トラウマ



「さあ、勝負を続けよう」


 思わず、乾いた笑いが出た。

 歓楽都市マリンファンナのカジノマスターの一人であるミスターハイドは、想像とは違った展開に、表情にこそ出さないが内心驚嘆していた。


(信じられないな。何かしらの仕掛けや、固有技能ユニークスキルを利用しているのかと思っていたが、これは違う。そんな予兆も気配も、準備をしていた様子もなかった。こいつはただ、にダーツが上手いだけだ)


 単純な技量。

 加護持ちギフテッドとしての力を利用した小細工などではなく、純粋な実力。

 剣聖ネビ・セルべロスの意外な一面を見たミスターハイドは感心に手を叩いた。


「……やりますね。まさか一戦で決着がつかないとは思いませんでしたよ」


 ミスターハイドの世辞にネビは反応を示さない。

 感情を映さない凪の瞳を輝かすばかりだった。


「ですが、次もそう上手くいきますかね?」


「それは俺次第だ」


 あくまで平然といった様子のネビを見て、ミスターハイドは少し安堵するのと同時に僅かばかりに落胆を覚えた。


(……なんだか、しらけたな。この感じだと、本当に隠し手がある感じじゃない。つまらない。ここは俺の世界だ。俺が負けることはない。本気で、ただ上手いだけで俺に勝てると思ってるのか? 剣聖とかいうから期待していたが、所詮魔物を殺すのが得意なだけの愚か者か)


 もちろん、ミスターハイドも普通にダーツ勝負をしても負けない自信はある。

 だが、この場において、純粋な敗北は彼にとってありえない。

 このカジノで起こるすべては彼の掌の上の出来事。

 彼が白を黒といえば、黒になるのがこの場所だったのだ。


「お次はそちらですよ」


「ああ、そうだな」


 再び矢を取り、構えようとするネビを、ミスターハイドは冷めた目つきで見やる。

 

(世の中には、勝てない勝負もあるということを、教えてやるか)


 ミスターハイドは自らの中指についた指輪をそっと何度か叩く。


 ギュルンッ。


 どこからともなく聞こえる、不自然な音。

 すると、突然ダーツの的が高速で回転しだした。



「は!? おいおい! なんだよあれ!?」


「嘘だろ!? どう考えてもイカサマだろ!」



 一瞬の沈黙の後、にわかに色めき出す。

 観客達がその明らかに異常な光景に湧き立った。

 中には罵声のようなものをミスターハイドに向ける者もいたが、彼は気にも留めない。


「さあさあ、そちらの番ですよ。まさか、今更降りるなんて——」


「ああ、今投げる」


 パシュ、パシュ、パシュ。

 しかし、その騒然とした空気の中を切り裂く小気味の良い音。

 電光表示されるスコアは、66。

 今だにダーツの的は目にも留まらぬ速さで回転し続けているせいで、どこに矢が刺さっているのか目視すらできない。


「……は?」


 自らですら、間抜けだと自覚できる声が漏れて、ミスターハイドは目を何度か瞬きさせた。

 気づけば再び耳に痛いような沈黙が辺りに広がっていて、呆然としているのはミスターハイドだけではなく周囲の観衆も全く同じらしかった。


「次はそっちの番だ」


 その時が止まったような空気の中、ネビが順番を告げる。

 じわりと、脇から粘り気の強い汗が滲み出るのが分かる。

 ミスターハイドは生唾を飲み込みながら、震える指でもう一度指輪を叩く。


(な、なにがおきた? こいつ、投げたのか? さっきと全く同じタイミングで、何の迷いもなく? この状況下で?)


 得たいの知れない恐怖が、ミスターハイドの心臓を鷲掴みにする。

 何かが、おかしい。

 それはもはや、ダーツが上手いという単純な言葉では言い表せない。


(こいつ、何をした? なにか仕掛けている気配はまったくなかった! いくらなんでも、ありえないだろ! というかこいつ、何か他に言うことあるだろ! 的がいきなり回り始めたんだぞ!? なんか感想ないのか!?)


「投げないのか?」


「な、投げるに決まってるだろ!」


 急かされるミスターハイドは、思わず素の態度を溢しながら、震える手で矢を放つ。

 彼が使う矢は特注製で、吸い寄せられるように的に特定の場所に刺さるようになっているため、外れることはない。


(くそが! 余裕ぶりやがって! 本気で俺にこのカジノで勝てると思ってるのか!?)


 再び表示されるスコアは66。

 勝ち誇った表情で、ミスターハイドはネビの方を見る。

 そこには特に表情を変えない元剣聖がいるだけ。


「勝負続行か。また次はそちらからだ」


「……その余裕がいつまで続くか見ものだな」


 ミスターハイドは決意する。

 この男を、完膚なきまでに叩きのめすことを。





—————





 勝負は決した。

 その見るも無惨な光景を眺めながら、渾神カイムは自らのトラウマを思い出し身震いした。


「うぅ、やだやだ。嫌なこと思い出しちゃった」


 あれほど沢山いたギャラリーも今や、もうカイムしか残っていない。

 最初の熱狂はとっくのとうに冷め切って、まるで大金を賭けたゲームなど存在していないかのように、他の客達はそれぞれのギャンブルに戻ってしまっていた。



「次は俺の番だな」


「……ああ、あ、あ、ああ……」



 パシュ、パシュ、パシュ。

 また、この音だ。

 ただの傍観者でしかないカイムですらもううんざりしているのだ。

 相手をしているカジノマスターからしたら、発狂するほど不愉快な音だろう。


「なんじゃ、あいつ、まだやっとったのか。相変わらず気の長い男じゃな」


「いやもうこれ、気が長いとかそういう次元じゃないでしょ」


 また軽くギャンブルをしてお金を溶かしてきたアスタが、ひょっこりと戻ってくると呆れた顔を見せる。

 一般庶民の生涯年収ほどの大金を賭けた勝負のはずにも関わらず、すでに当初の緊張感はどこにもない。

 それもそうだろう。

 あれからもう、三時間ほどは経とうしている。

 綺麗に撫で付けてあったオールバックは汗のせいでだらしない前髪を作り始めていて、カジノマスターであるミスターハイドは気分が悪いのか何度か嗚咽をしていた。


「次はそちらの番だぞ」


「う、う、うわあああああああ!!!!!」


 癇癪を起こしたようにダーツを宙に放り投げるミスターハイド。

 まるで適当に投げ捨てたようにしか見えない矢は、明らかに異常な曲線を描いて的に刺さる。

 スコアは66。

 しかし、その結果を見届けることなく、彼はそのまま大声で叫びながら通路の奥へと走り去って消えてしまった。


「困ったな。次も向こうの番なんだが」


「もう勘弁してやったらどうじゃ、ネビ。もうあれ、二度とダーツやらんぞたぶん」


「勝負の途中だ。降りることは許されない。追いかけるか」


「鬼じゃろこいつ」


 首をコキコキと鳴らして、ネビは奥に消えたカジノマスターミスターハイドを追うらしくそのまま歩き出す。

 三時間ぶっ通しで高速回転するダーツで最高スコアを出し続けた後とは思えない軽やかな動きを見て、カイムは再び身震いした。



(ほんと。思い出す。こいつがうちの試練を受けた時のこと)



 堕ちた剣聖ネビ・セルべロス。

 もはや他の客も、店員も、関係者立ち入り禁止区域にずかずかと踏み込んでいく彼を止めようとしない。

 それほどまでに、彼は異常な状態が自然に思えてしまうのだった。



 

 







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