倍返し


 歓楽都市マリンファンナには幾つかのカジノと呼ばれる集合アミューズメント施設が存在する。

 そのカジノのうちの一つ、街の東側にある“ディーゼル”にネビは真っ先にやってきた。

 重厚な扉を開くと、ぬるい風が吹き抜けていく。

 紫色の絨毯がところせましと敷き詰められており、少し目に毒々しい。

 甘ったるく僅かに酒の匂いが混じった室内は若干薄暗く、しゃかしゃかとした騒音で満ちている。

 黒服を着た従業員は忙しそうに店内を早歩きしており、ネビたちに特別構うようなことはしない。


「ここは大衆的なカジノだからな。まずはここで稼ぐぞ。カイム、金を貸せ。倍にして返してやる」


「は!? いきなりカツアゲ!? しかも絶対返さない奴の言い方なんだけど!?」


 店に入った途端、金をせびるネビにカイムは素っ頓狂な声をあげる。

 そんな二人の横ではアスタが、物珍しそうに辺りをきょろきょろと見回していた。


「これがギャンブル場か。なんとも奇妙な場所じゃが、たしかになんとなく心が逸るぞ。おい、カイム。私もギャンブルがやりたい。金を貸せ」


「まじなんなのこいつら!?」


 外から見た時には何フロアもあるように思えたが、中に入るとたしかに天井は高いものの階段らしきものは見当たらない。

 しかしアスタはそんな些細なことはもう気にならなくなり、賭け事に全神経が取られていた。


「なあ! ネビ! 私はどれをやればいい!? どれがオススメなのじゃ!」


「まあ、お前はべつにギャンブルをする必要もないし、好きなのをやればいいんじゃないか? 俺はまずはスロットをやって、そのあとはダーツ。次にカードだな」


「おお、そうかそうか! なら私もまずはスロットをやってみようかの! おい! カイム! 金はまだか!?」


「うっわ、アスタちゃん目めっちゃ輝かしてんじゃん……じゃあ、ちょっとだけだよ?」


「うおー! 感謝するぞカイム! やはりお主を連れてきて正解だった!」


「でへへ。でしょ? うち、ちょー人気神だから、実はまあまあお金持ちなんだよね。てかうちもやろっかな」


「カイムも一緒にやろう!」


「うし! やるやる! なんかうちも楽しくなってきた!」


 数秒前まであれほど渋っていたカイムも、アスタが興奮に声を大きくするのを見て、気づけば自分も乗り気になっていた。

 

「じゃあみんなでスロットやろ! あがってきた!」


「ふっふっふ、誰が一番勝てるか勝負じゃの! ネビ! お主に神の力を見せてやる!」


「賭博の神も兼任してたのか」


 気を良くしたカイムから軍資金を受け取り、カジノ専用のチップに交換したネビたちは、そのまま迷いのない歩みでスロットコーナーへと進んでいく。

 白、緑、黄、赤のチップをそろぞれ数枚ずつ。

 このチップを投入することで、スロットは動く。

 スロットは高速回転する三列の様々な絵を、任意のタイミングでスイッチを押して止め、柄を特定の組み合わせで揃えると配当を手に入れることができるという、シンプルなゲームだ。


「どの台にしようか迷うのう。何か変わりはあるのか?」


「ああ、あるぞ。だが、最初の一台目ならどれでも変わりはない」


「関係あるのかないのかどっちなんじゃそれは」


「チッチッチ、アスタちゃん。迷っちゃだめよ。こういうのはね、直感。ビビッときたやつが運命の相手なわけよ」


「たしかにそうじゃな。私の勘はあたる……これじゃ!」


「うちも、君に決めた!」


 きゃっきゃと騒ぎながら、アスタとカイムが何十もあるスロットマシーンの中から好きなものを選び座る。

 そんな二人を横目に見ながら、数台離れたところにあった台を選ぶ。

 別にその台に何か予感めいたものを覚えたわけではない。

 単純に、アスタとカイムのすぐ傍でスロットをすると、やや騒がし過ぎる気がしただけだった。


「よっしゃ! いけぇいけぇ! 回れ! 回れ! うぉー! 惜しい! というか今揃ったじゃろ! もう一回じゃあ!」


「うわ! ちょとまって! まじやばい! これ来たんじゃない!? 絶対きたでしょ! ほら! ほら! いきそういきそう!」


「お! 今度こそくるか! くるぞこれは! くるぞくるぞ! お、お、お……きたぁーーー!!! 揃った揃った! がっはっは! おい! ネビ! もうお主の出番はないぞ! この私が大金を稼いでやるわい!」


「えー! アスタちゃん! すご! もう当ててる! ……ってあれ? これ、うちも当たっちゃてるんじゃない!? やばああああ! 当たっちゃってるぅぅぅ!!!! うちすごすぎ! 天才! つかまじで神!」


 声にならない声をあげて、はしゃぐアスタとカイム。

 距離を置いておいてよかったと、ネビはほっと胸を撫で下ろす。

 彼は知っている。

 偶然と必然。

 カジノでは、二つの相反するシステムが共存していると。


「分析と集中、それだけあればいい」


 ネビは何度か適当なタイミングで、スロットを叩く。

 

 ミス。

 

 柄は揃わず、チップが無造作に吸い込まれていく。

 先ほどと全く同じ姿勢で、ネビは再び叩く。

 

 ミス。


 柄は揃わない。

 だが、彼がイメージした通りの並び方になった。

 今度は姿勢を変えないまま、最も揃えやすそうな組み合わせを狙って叩く。


 ビンゴ。


 少ない量だが、チップが吐き出される。

 柄が揃った。

 ネビはもう一度、その組み合わせを狙って叩く。


 ビンゴ。


 また、揃う。

 再び吐き出されるチップを眺めながら、ネビは確信する。

 

「まだ調整に入ってないな」


 この街では、運命は操作されている。

 しかし、それは常にとは限らない。

 意識を切り替え、ここからは最短でいく。

 最大配当の組み合わせを改めて一度確認し、ネビは目を細める。


「やるか」


 深い呼吸を規則正しく繰り返し、意識を集中させる。

 耳障りな多種多様で圧の強い音に晒されているはずにも関わらず、段々と音が遠のいていくのをネビは感じていた。


 収束。

 収束。

 収束。


 雑念を排除し、精神をたった一つの点に収束させていく。

 緩慢としていた瞬きの間隔は大きくなり、やがて瞳を閉じる必要をネビは感じなくなる。

 

 トゥクン! トゥクン! トゥクン!


 視線の先で回り続ける三列の数字が、段々とその速度を緩めていく。

 脱力しきった利き腕の右は、真っ赤なスイッチの上に添えられている。


 一度見抜けば、あとは繰り返すだけ。

 

 そして、ネビはそっとスイッチを叩く。

 

 トゥクン、トゥクン——、


 6、6、とまで揃った柄。

 最後の一列だけ、他よりゆっくりと回転を緩める。



 ——トゥクトゥクトゥクトゥクトゥクン!!!!!



 6。

 三つの列、全てが同じ柄に揃った瞬間、スロットが絶叫する。

 それを冷めた目つきで見やるネビには、喜怒哀楽のうち、どの感情も浮かんでいない。

 ただ、当然の出来事のように、見つめ続けるだけ。


「ラッキー……なんてね」





—————





「だぁー! 全然当たらんくなった! どうなっとるんじゃ!」


「うっそでしょ。手持ちのお金、もう、なくなってる……?」


 無情にも一個差で柄が揃わないスロットの画面を見た瞬間、アスタは天を仰ぐ。

 最初こそ調子よく当たりを繰り返していたが、段々とミスとビンゴの割合が傾き出し、何度か再交換をして増やしていた手持ちのチップがついになくなってしまった。

 どうやらそれは近くにいたカイムも同じようで、財布を逆さまにしてぷらぷらと力なく揺らしては、絶望的な表情で口を半開きにさせていた。


「カイムー。お金なくなったー。というかネビはどこじゃ?」


「いやいや、まじやばいって。うち、この二時間くらいで、どんだけ損したんだこれ? やばすぎ。うっわ。変な汗でてきた。気分悪い。吐きそう」


 先ほどまでの熱中が消え、醒めた面持ちのアスタは台から立ち上がり、凝った身体を伸ばす。

 すると、ちょうど廊下の奥からいつもと変わらぬ無表情で近づいてくるネビの姿が見えた。


「おー、ちょうどいいところにきたな、ネビよ。どうじゃ、そっちの調子は。私は最初はかなり調子がよかったんじゃがなー。資金切れになってしまった」


「そうか。なら少し分けてやる。俺はもう少し稼ぐつもりだが、まだ時間がかかる。暇つぶしに使ってくれ」


「おお、お主は勝っておるのか。大口叩くだけあるの」


「ほら、カイム。お前にも最初に借りた分は返す」


「あ、ありがとう。でも借りた分返してもらう程度じゃ、うち立ち直れない」


 ポケットからじゃらじゃらと紺色のチップを数枚ネビは取り出すと、その内の一つをそれぞれアスタとカイムに渡す。

 

「なんじゃあ、チップ一つか? これじゃあ暇つぶしにならんぞ」


「え、でも待って、ネビ、このチップって……」


「言っただろ。倍にして返すと」


 手渡された紺のチップを見て、カイムが表情を一変させる。

 彼女の憔悴しきっていた瞳に、見る見るうちに光が戻り、興奮に鼻息が荒くなる。

 得られるチップは、交換した金額によって変化する。

 白のチップが、100グリム。

 緑のチップが、500グリム。

 黄のチップが、1000グリム。

 赤のチップが、5000グリム。

 青のチップが、10000グリム。

 そして、紺のチップが100000グリム。

 最初に渡したチップは、全て足して10000グリム分だけだったはずだ。

 その後、アスタと自分自身に対しては、追加で何度かチップを交換していたが、ネビには最初しか渡していない。

 それにも関わらず、正確には確認できなかったが、今、ネビは紺のチップを何枚か持っていた。


 ありえない。


 カイムは完全に思考停止する。


「ば、倍って、十倍? エグくない? もはや怖いんですけど」


「おー、よくわからんがこれでまだまだ遊べるんじゃな! さすが我が剣ネビ・セルべロスじゃ!」


「まだスロットを続けるなら台を変えた方がいいぞ。当たりと外れの割合は決まっている。あまりに当たりが出続けると、調整が入って当たらなくなるんだ。調整が入る前なら、コンマ数秒の決まったタイミングを狙って、スイッチを押せば当たりはコントロールできるが、限界はある。限界が来たら、別の台に動いて、またタイミングを分析して、コンマ数秒を狙い続ければいい」


「なに!? そうなのか!? どうりで当たらんと思ったぞ! インチキじゃったのか!」


「いやいや、アスタちゃん、今のネビの話、前半しか聞いてないでしょ。どう考えても後半の方がイカれてるって。コンマ数秒を狙い続けるってなんやねん。できるか」


 コンマ数秒のタイミングも見極めるのも、もはや集中力や動体視力といった次元の話ではないし、見極められたとしてもそこを狙って完璧な精度でスイッチを押すのは並大抵のことではない。

 しかも、それを寸分の狂いなく、何時間も繰り返す。

 実質不可能。

 カイムはじとっとした目つきでネビを睨み付けるが、本人はまるで気にしていないようだ。


「俺は次にダーツに行く」


「私もこんなインチキギャンブルもう飽きた! 私もダーツをやろうではないか!」


 手のひらに残された紺のチップを眺めながら、カイムは小さく溜め息をつく。

 ギャンブルで乱高下していた感情が、ネビと会話をするとすっと平坦に落ち着くのがわかった。

 そして冷静さを取り戻した頭で、カイムは再びスロットの前におもむろに座る。


「でもこれ、うちまだマイナスなんだよね……よし! もうちょっとだけうちもギャンブルやろっと!」

 

 

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