存在証明



 パチパチ、と枯れ枝が乾いた音を鳴らす。

 橙色の光が宵闇を照らし、焚き火の熱に当たりながら渾神カイムは憂鬱な気持ちで顔を伏せていた。

 炎を挟んだ反対側では、今や全世界の敵となった堕剣ネビが、ウサギの丸焼きを無心で食べているのが見える。

 菜食主義ベジタリアンであるカイムは森の中で採ってきたキノコを、ちまちまと齧りながら大きな溜め息を吐く。


(はぁ。帰りたい。おうち、帰りたいなぁ)


 そして隣りでは艶やかな銀髪の少女が、ネビと同じ肉を両手に抱えて、むしゃむしゃと頬張っている。

 昼間にあっけなく捕まってしまった時から、その少女はずっとネビと行動を共にしているが、カイムはまだ彼女が何者なのか詳しくは聞いていなかった。


「……なんじゃ? さっきからチラチラとこっちを見よってからに。これは私の分じゃ、渡さんぞ?」


「べ、べつにいらないし! うちお肉は食べないから!」


「そうなのか? じゃあ、何の用じゃ?」


「いや、そりゃ気になるでしょ。あなた何者なの? なんか軽く話を聞いた感じだと、このアタオカとずっと一緒なんでしょ?」


「ずっとというと語弊があるがな。私じゃてネビと出会ってからそこまで時間は経っておらんぞ。そちらの方がよっぽど古い付き合いじゃろ」

 

 日が落ちる前はあまりのショックと、ネビが基本的に無口で気楽に喋る雰囲気ではなかったためコミュニケーションをとっていなかったが、いざ会話してみればそこまで話しにくさは感じない。

 たしか、名前はアスタ。

 そこまでは記憶しているカイムは、身体の向きを銀髪の少女の方に向き直した。

 

「なんとなく普通の人間とは違う感じするし、あなたも加護持ちギフテッドなの?」


「んあ? ああ、そうか。私は事前にお主の話を聞いておったから忘れていたが、自己紹介がまだじゃったな」


「名前はきいたよ。アスタちゃんでしょ?」


「だれがアスタちゃんじゃ!」


「え? 違うの? ネビにそう呼ばれてない?」


「そこじゃないわ! そのちゃんとかいう蔑称をやめろ!」


「え、照れてんの? 可愛いんですけどウケる」


「……おいネビ。この小娘を軽くしめてもいいか?」


「食事中だからな。後にしたらどうだ?」


 カイムに子供扱いされたことが癇に障ったのか、アスタが急に顔を真っ赤にしてぷるぷると震え出す。

 いつも仏頂面なネビとは違って、感情が表に出やすいらしい。

 

(ああ、癒しだわ、これ)


 ネビによって乾き果てていた心がアスタと触れ合っていると潤っていくのがカイムはわかった。


「畏れ、敬え。私は“第七十三柱”、腐神アスタ。始まりの女神を討つ、叛逆の神じゃ」


「第七十三柱? ……あのね、アスタちゃん。ちみは知らないかもしれないけどね、神々は七十二柱までしかいないんだよ?」


「無知が! だから! この私がお主らの輪から外れた例外だと言っておる!」


「ね、ね、ネビ。なんでこの子、神に憧れてるの? しかもルーシー様を討つとかめちゃ物騒なこと言ってるんだけど。あんたの悪影響?」


「いや、元々そんな感じだったぞ」


「頭にきた! ネビ! この小娘お主以上に私のことを舐め腐っておる! 今から格の違いを教えてやるわ!」


「まあ、落ち着けよ、アスタ。カイムは基本的に頭が悪いんだ。いちいちめくじらを立てていたらキリがないぞ」


「はあ!? ちょっとネビそれはさすがに失礼じゃない!? うち! これでも神なんですけど! もっと崇めろ!」


「さっきまで泣き喚いてたと思えば、今度は怒り騒いでる。どっちみちうるさい奴だ」


「まじムカつく! ね、ね、アスタちゃん! なんかネビの弱み握ってないの!? 一緒にこいつ倒そうよ!」


「……まったく。ネビですら手に余るというのに、今度はこのおバカな小娘ときた。同じ神として恥ずかしいぞ」


 ネビとアスタは似たような仕草でやれやれと首を振っている。

 カイムはそれがとても腹立たしく苛立ちにキノコを食いちぎる。


「決めました。アスタちゃんはうちが育てます。もうすでに悪い影響が出てるもん。育て直さないと」


「ほんとにお主何様じゃ! おい、ネビ、ほんとにこの小娘必要なのか? もうこの辺で置いていった方がよくないか?」


「いや、カイムは必要だ。頭は悪いが、使える」


「おい、そこ! いま頭悪いって言う必要なかったろ!」


 カイムは心に決める。

 アスタの口と態度が悪いのは、ネビの影響に違いない。

 だから、自らが矯正するのだと。


(うん。絶対うちがアスタちゃんのことを救ってあげなきゃだね! なんたってうち、神だし!)


 頭から伸びる二本の紅い羽根をぴょこんと揺らして、カイムは決意する。

 このネビという不良人間によって道を外れかけている可愛らしい妹アスタを、自分の手によって救ってみせるのだと。






——————





 真っ暗な道に爛々と輝く“66”の数字。

 煌びやかなメインストリートでは、嬌声色めくクラブやカジノがネオンの光を眩しく点滅させている。

 肥えた貴婦人が容姿の良い男を両腕に抱いて道を歩く一方、裏路地では物乞いが虚な瞳で、空っぽの器を萎びた腕で掲げている。


 ここは連合大国ゴエティア七大都市の一つ、歓楽都市マリンファンナ。


 そんな人間の欲望をエネルギーに照明を灯し続ける街に、一人の加護持ちギフテッドが足を踏み入れた。

 金髪碧眼。

 その均整の取れた偶像のような美貌は、よく始まりの女神に例えられる。


「相変わらず、品性の足りていない街ですね、ここは」


 黄金姫エルドラド、ナベル・ハウンド。

 若き天才加護持ちは、どこか冷めた表情で、石畳を音もなく歩きながら小さく舌打ちをする。

 息を吸うだけで、自らの高貴さが損なわれる気がした。

 本来ならば、二度と訪れるつもりのなかった街。

 だが、今回だけは、例外。

 彼女の存在証明プライドにかけても、果たさなければならない事が、この街にはあった。



「ヨーヨー、驚いたぜ。あの変態神の言う通りだ。まさかお前がここに来るとはな。淡白なお前がここまで執着するなんて。どうやら、あの堕剣に“負けた”って噂は本当らしい」



 ふと、足を止める。

 進行方向で明滅を繰り返す、接触不良の電灯。

 その真下の影に隠れる、鮮やかな赤髪の女。

 爬虫類のような温もりのない瞳で、ナベルを舐め回すように見やる。

 

「誰ですか。そんなデマを流してる人は。私は、負けてません。私が負けることなんて、ありえない。それは貴女が一番よく理解してるんじゃ?」


「オーオー、相変わらず口だけは達者なままだな、ハウンド。ガキの頃が懐かしいぜ」


 赤髪の女は街頭に寄りかからせていた身体を揺らし、ナベルの前へとゆっくりと移動する。

 女性にしては筋肉質な体格。

 身長もナベルより頭二つ分高く、見下ろすような格好で不敵に笑う。


「久しぶりですね、オーレーン。“黄金世代わたしとゆかいななかまたち”として立派にやってるって話は聞いてますよ」


「ウゼェ。本当なら今すぐその可愛い顔ボッコボコにしてやりてぇ」


 “大食いバーサーク”オーレーン・ゲイツマン。

 ギフテッドアカデミーではナベルと同じ三十三期生として卒業し、今では黄金世代と称される若き加護持ちのトップランナーの一人として数えられる神童の一人。

 オーレーンは覚えている姿のまま、不遜な態度を崩さないナベルを見て頭に血が登るのを自覚したが、それは理性で抑え込む。

 今はまだ、その時ではない。


「……まあ、昔話は後にしようぜ。この街の主人がアタシらを呼んでる」


「さすがに自分が狙われていることはもう自覚済みなんですね。ここの神は反吐が出るほど嫌いですが、しょうがない。招かれてるなら、行きましょうか」


「ハッ! そこだけは同感だぜ! 堕ちた犬も気色悪い変態神モドキもまとめて殺処分したいもんだ」


「いっそのこと二人で協力します? 変態の方はあげるんで、駄犬は私が狩ります。わんわん」


「うるせぇ。ほざいてろ」


 不愉快そうに鼻で笑うと、そこでオーレーンは踵を返し、また闇の奥へと歩き進んでいく。

 ナベルも一度だけわざとらしく肩をすくめた後、同期の背中を追って光のない方へ消えていった。

  

 




 

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