回想
第七十一柱、初神バルバトスは、ふと回想していた。
この日くる予定の受験者を待ちながら、模造刀を軽く振る。
時々現れるギフテッドアカデミーを通らず、彼の試練を乗り越える者は稀なため、記憶に残りやすい。
直近でいえば、
もう少し遡れば、現神下六剣の一人、剣仙フルー・ヴィンチもバルバトスの教え無しで
しかし、彼がこれまで試練を与えてきた中で、最も印象深い存在がアルスやフルーであったかというと、そうではない。
「……うぅ。最悪だ。嫌なことを思い出してしまったな」
初神バルバトスは悪寒が走ったように、肩をぶるりと震わせる。
脳裏に浮かぶのは、とあるかつての教え子の一人。
今でもなお彼の記憶に刻まれている、ある意味最も優秀で、最も問題だった生徒。
それはギフテッドアカデミー在籍時から実力が飛び抜けていて、主席で卒業していった“剣帝”や“剣姫”でも、黄金世代のトップを走り続けているナベルでもなない。
(あいつほど意味のわからない奴はいなかったな)
その生徒は目立つような生徒ではなかった。
騒がしいわけではなく、どちらかといえば寡黙。
授業や鍛錬に対しても、比較的貪欲で、態度は真面目といえる。
だが、明らかに、その生徒は他の生徒とは異なっていた。
それは誰の目にも明らかで、異様さは当時から際立っていた。
バルバトスがギフテッドアカデミーで教える事柄は、大きく分けて三つある。
一つは、剣術の指南だ。
加護持ちは基本的には剣士というくくりになるため、基本的な武器と身体の扱い方をバルバトスは一年をかけて教え込む。
二つ目は、
魔物は非常に強力だ。
一般市民が相対すれば、ほとんど一方的に食い物にされてしまうだけ。
殺意のみで襲いかかってくる獣との戦い方をバルバトスは伝える。
そして三つ目が、
見えないレベルと呼ばれる概念があり、剣想が魔物から魔素を吸収し、その力を増すことはよく知られている。
このギフテッドアカデミーを卒業する最低資格として剣想の発現があるように、この力は加護持ちにとっては必須の資質となる。
しかし、剣想は万能ではない。
剣想を発現させたものにバルバトスがまず最初に教え込むのは、“押さえ込み”である。
つまり、剣想を自らの中に留める術を伝える。
剣想は強力な武器であり、同時に毒でもある。
基本的に、剣想は発現状態が長引けば長引くほど、魔素の関係しない身体機能に悪影響を及ぼす。
最も顕著なのが頭痛。
次に倦怠感、動悸が襲いかかり、症状が進めば、幻覚、幻聴の類も激痛と共に襲いかかってくる。
ゆえに、加護持ちにとって剣想は切り札であり、最大の武器でこそあるが長時間の使用には向かない諸刃の剣だった。
たとえば剣想には個人の資質が反映されやすいが、黄金世代の頂点に立つナベル・ハウンドの剣想はこのような悪影響が薄いという特質がある。
その恩恵によってナベルは長時間の剣想使用が可能であり、彼女が若くして加護持ちの中でもトップランカーとなっているの大きな理由となっている。
ただし、バルバトスは、知っている。
この世界に唯一、その常識から考えればありえない存在が一人いたことを。
(今でもわからん。あいつは、あいつの頭の中はいったいどうなっていたんだ?)
ギフテッドアカデミーの学徒には基本的に模造刀を与え、それによる鍛錬をさせる中、その少年は別の剣を使っていた。
古びた、赤い、錆まみれの剣。
思い入れがあるのか、その赤く錆びた鈍剣を一年間の学びの中で、常に持ち歩き、振り続けた少年。
その少年は、卒業試練の日まで、ついに剣想を発現させることはなかった。
『……残念だが、卒業の資格がお前にはない。試練を受けさせることは、できない』
『……それは、困る。俺には、加護がいる。強くなる、必要が、ある。俺に、加護をくれ。もし、くれないなら––––』
寡黙なその少年は、勤勉だった。
鍛錬の日々の中で、常にバルバトスの剣を見続けていた。
魔物との戦いに対しても、恐れることは一度もなかった。
少年が、その剣を手から落とす姿を、バルバトスは見たことがない。
だから、初神は気づけなかったのだ。
すぐ目の前に、最初から、最も必要な資質がそこに顕現していたことを。
濡れろ、赤錆、と少年が剣を撫でた光景が、今でも記憶から消えない。
十三期生最低成績で卒業していったその少年は、やがて全世代の頂点に立つことになった。
「––––奪うだけだ。バルバトス。それが俺には必要なんだ」
回想が途切れる。
訓練場に、冷たい風が一陣吹き抜ける。
聞き慣れてはいないが、聞き覚えのある声だった。
「……どうしてだろうな。いつかこんな日がくる気がしていたんだ」
初神バルバトスは、ゆっくりと振り返る。
気づけばそこに立つ、一人の男。
不清潔に伸ばされた黒髪。
爛々と輝く、赤い瞳。
右手からは刃が赤く錆びた細身の剣が伸びている。
「お前がここを去る時、言ったはずだ。私がお前の前に立つことは、二度とないと」
黄金姫ナベル・ハウンドがこの日、突然現れた時点で薄々と察していた。
それよりも更に前、堕剣の知らせを受けた時点で、予感していた。
「久しぶりだな、ネビ」
「バルバトスも元気そうで、なによりだ」
寡黙ではあるが、苛烈な少年だった。
勤勉ではあるが、度を超えていた。
大きな問題は起こさなかったが、生意気で、小さな問題は何度も起こしていた。
剣聖ネビ・セルべロス。
少しの懐かしさと共に、ずっと前から決めていた通りに、初神バルバトスは自らの掌に淡い青い光を集める。
迷いはなかった。
第七十一柱の役目は、果たす。
初神の使命は、剣想を発現させ、彼に対して畏れなく向かう者に加護を渡すこと。
全身に力を漲らせ、そして初神バルバトスは叫ぶのだった。
「はい! 今ここで私の柱の加護渡すからな! もう私には二度と関わりにくるなよ! じゃあな! おつかれ! お前がなにをしたいのかよくわからんが頑張れよ!」
淡い緑の色の光を纏った柱の加護を投げつけると、バルバトスは踵を返して全力疾走でその場を去る。
その速度は神の名に相応しい一瞬のことで、瞬く間にギフテッドアカデミーの主の姿は見えなくなった。
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