品性


 学園都市ロビンレッグは、連合大国ゴエティアに属する七つの大都市の一つだ。

 標高1000mを超える丘隆地帯に立地し、黒灰質の岩石を切り抜いて作り出された街並みは独特の景観を持つ。

 短草で生い茂る遊牧地帯も併設されていて、酪農で生計を立てる農民と、石工を職にする鍛治採掘職人、そして世界で唯一といっていい加護持ちギフテッド育成機関、ギフテッドアカデミーの学徒と関係者がこの街で暮らしていた。



「それにしても人の街というのは立派じゃな。想像していたより凄いぞ。向こうを走っている毛がフワフワした生き物は魔物ダークとは違うのか?」


「あれはただの羊だ。魔物ではない。だから俺があれを殺す必要はない。魔素を宿してないからな」


「……べつに誰も殺す話はしてないのじゃがな」


 そんな学園都市ロビンレッグの街中を、全身をすっぽりと外套で覆い、顔を隠したネビと、特に顔を隠すことなく物珍しそうに周囲を見回すアスタは並んで歩く。

 ネビは自らがある程度有名人だと自覚しているため、姿は最低限に潜めるべきだと判断していたのだ。


「そしてあれがアカデミーとやらか。昨日も訪れたが、また酔狂なものをつくったものじゃの」


「アスタはバルバトスと知り合いじゃないのか?」


「違う。向こうは私のことを知っていても不思議ではないが、少なくとも私は低層の神々のことはよく知らん」


 アスタとしばらく共に時間を過ごして、ネビは気づいたことが幾つかある。

 そのうちの一つが、どうやらアスタの認識では神々の中にも明確な序列があるらしいということだ。

 高層と低層。

 いったいどこが区切れとなっているのかは定かではないが、アスタが把握している神々は始まりの女神ルーシーを含む一部だけらしい。


「お主もこのアカデミーとやらに属していたのか?」


「ああ、俺もここの卒業生だ。そういう意味じゃ、バルバトスは恩師といえるな」


「そんな恩師を相手に、今から殺し合いをする可能性があるのに、よく平気でいられるのぉ。何か思うことはないのか?」


「いや、特にない。それに何も必ず命を奪う必要もない。ある程度痛めつければ、向こうの方から加護を渡してくるだろう」


「……なんというか、お主、本当にドライじゃな。そもそも勝算はあるのか? さすがに私ほどとは思わんが、相手は神じゃろ? 勝てるのか?」


「バルバトスに関していえば、確実に勝てる。一年間、あいつの剣はほとんど毎日見てきたからな」


「根拠はよくわからんが、自信があることだけは理解した」


 欄外の彼岸ロストビーチを出た後も、何度か魔物ダークとの戦闘を見たが、たしかに戦いにおいてネビは傑出した才能を持っているらしかった。

 戦闘の全てが、アスタから見れば能力的には五分かそれ以上の相手としかこれまでネビは戦ってきていないが、それでもその全てにアスタの助けを借りずに勝利している。

 しかも、そのほぼ全てに、圧勝している。

 戦術、場慣れに関しては、アスタは素直にネビが自らより上だと認識していた。


「しかし何度見ても、奇妙な形をした場所じゃの」


「そうか? 俺は特に気にしたことはないが」


「逆にお主が何を気にするのか知りたいもんじゃ」


 アップダウンの激しい石路を抜けると、ひらけた草原に出る。

 涼やかな風が気持ちよく通り抜けるそこの中心には六つの塔とそれぞれの塔に囲まれた敷地内に白を基調とされた建物が並んでいた。

 道の先には一つの塔が建っていて、脇には大きな壁が並び敷地内に入るための他の出入り口は存在しないようだった。


「ここでは若い人の子が目立つな」


「基本的には十六の歳からギフテッドアカデミーには入る資格が与えられるからな、それより上の年齢には特別な制限はないが、半分以上は十六歳で、他もほとんどが十代の若者だ」


「なんだかお主がここに混ざって、若者らしく目を輝かせていたなんて、信じられんな」


「基本的にはいい思い出しかない。楽しかったよ、ここは」


「嘘じゃろ? お主に楽しいとかいう感情があったのか?」


「……お前、俺をなんだと思ってるんだ」


「いや、じゃがたしかに魔物狩りをしとる時のお主は、たしかに目を輝かせて本当に楽しそうにしている。昔は若い人を狩っていたということか」


「誰が狩るか。だいたい人と戦っても、ほとんど得られる魔素はない。レベリングにならないからな。戦う意味がない」


「なんだか人を狩らなかった理由が、一歩間違えばという感じがするんじゃが、まあ、あまり深くは考えないでおくか」


 アスタはネビを一瞥してから溜め息をつく。

 他の場所より小高いところにギフテッドアカデミーがあるため、視線を遠くに伸ばせば、美しい緑の山々を眺めることができた。


「晴天というのも、悪くないのぉ」


 自然と口角を緩めながら、アスタはギフテッドアカデミーの塔の扉を開ける。

 そこは前日も訪れたため、もう目新しさはない。

 カウンターテーブルが一つ設けられ、そこには事務職員が一人いるだけ。

 あとは奥の廊下につづいていくだけだ。


「おはようございます。アスタ様と、そのお連れ様ですね?」


「ああ、そうじゃ。加護を貰いにきた」


「初神バルバトス様は奥の三の塔でお待ちしております。こちらの受験者証をお持ちになってお進みください。お連れ様はこちらの来客証をどうぞ」


 特に感情の見えない、受付嬢の義務的な笑顔。

 事前に申し込みをすませているため、受付は滞りなく済んだ。


(本当は受験者と来客が逆なのじゃが、まあいいか。どうせ半分脅して加護をぶん取る算段じゃしな)


 アスタが想像していたような門番のような存在はいないらしく、いとも簡単に敷地内へと入っていくことができた。

 若干の肩透かしは否めなかったが、障害がないにこしたことはないため、そのまま案内された場所へと進んでいく。


「ずいぶんと警戒が甘いの。こんな簡単に入れるとは」


「普通に考えて、この場所で問題を起こそうとする奴はいないからな。前提として、神に反逆する奴はいない。犯罪者ですら、ほとんど始まりの女神の信徒だ」


「ふんっ。反吐が出るな」


「だがその狂信のおかげで、俺はまたここに来れた」


 ここは一種の神の社だ。

 この空間で罪を犯すのは、神の目前で罪を犯すのと同義。

 だから、まさか神そのものを標的にした成らず者が侵入してくることは想定すらされていないのだった。



「お、本当に来たぜ。まじで受験者証つけてんじゃん」


「てかガキじゃね? 顔は悪くねぇけど胸がねぇな」



 しかし、案内された長い回廊の途中で、アスタの進行方向に二人組の若い男が立ちはだかる。

 一人は昆虫のような顔と痩身が特徴的で、もう一人は背が低く舐め回すような視線でアスタの方を見ている。


「は? なんじゃお前ら」


「噂になってたからどんなもんか見に来たけど、大したことなさそうだな」


「おい、ガキ。バルバトス先生は暇じゃねぇんだ。お家に帰ってママの乳首でも咥えてろよ」


「とりあえず、脱がすか? 俺、こういう顔だけの女が、屈辱で泣きそうになる顔を見るのが好きなんだ」


「お! いいねぇ! やっちゃう!? ヤっちまうか!?」


 最初、アスタはその二人組が何を言っているのかまったく理解できなかった。

 だが、遅れて、自らが侮辱されていることに気づく。

 怒りは、湧かなかった。

 どこまでも冷静に、その愚か者たちを観察するのみ。



「あらあら、少し、足りていないみたいですね––––」



 その時、何かが、輝いた。

 こつ、こつ、こつ、と響く足音。

 傲慢な笑みを浮かべていた二人の若者が、背後を振り返ると、一瞬でその表情が曇る。


「お、おい、あれって……」


「そういうば、黄金姫も今、ここに来てるっていう噂も……」


 一瞬、あの憎き第一柱の女神かとアスタは錯覚する。

 眩いほどの黄金の髪に、全てを見通すような青の瞳。

 しかし、違う。

 それは女神ではなく、姫だった。

 美しく、気品に溢れた、加護持ちギフテッド


「––––品性が、足りていない」


 刹那、その黄金の姫がぶれた。

 廊下の奥にいたはずの少女は、一瞬で距離を詰め、動揺を続ける少年二人組の背後に立つ。

 

「え」


 ゴツッ、という鈍い音が響く。

 気づけば少年二人の頭は、それぞれ床に叩きつけられていた。

 後頭部を華奢な白い手がそれぞれ鷲掴みにし、黄金の少女は穏やかに笑っている。


「……ぐぁっ、がっ…?」


「君たちは、このアカデミーに相応しくない。先生の代わりに、私が少し、教育してあげる」


「す、すいません、俺たちが悪かったで……」


「ううん。大丈夫ですよ。謝罪はいらない。その命を間引くだけで済むから」


 ミシミシ、と骨が軋む音をさせながら、鼻が折れたらしく床を血で濡らし始めた二人の少年の耳元に少女は息を吹きかけていた。

 指に込められる力が、強まる。

 少女は笑顔のまま。

 片方の少年が痛みと恐怖のあまり失禁したのか、下半身を濡らし始めて、独特の鼻をつく悪臭が漂い始める。

 力を、更に込め、いよいよ少年の頭が破裂する寸前の果物のように歪む。


「……なんてね」


 と、そこで少女は頭蓋を掴んでいた手を離して、屈んでいた体勢から立ち上がってアスタたちの方に視線を移した。

 もう少年たちの方には一瞥もくれず、真っ直ぐとアスタとネビを交互に見つめる。


「バルバトス先生を探しているのですよね? この先の突き当たりを右に曲がれば、そこにいますよ」


「あ、ああ、そうなのか。それは親切にどうもじゃ」


 まるでこの数十秒の間に何もなかったかのように、自然な流れで黄金の少女は話しかけてくる。

 多少面食らったアスタだったが、少女の方から敵意は感じなかったため、とりあえず一旦その場を後にしようと歩き出す。

 

(ネビもそうだが、人というのは魔物に負けず劣らず野蛮な生き物じゃな)


 こんな若くて美しい少女が、当然のように少年二人組を叩きのめした光景が、いまだに目に焼き付いていたが、なんとなく触れ難い気がして、そのまま通り過ぎようとする。


「……あの、そちらの来客者の方。どっかで私と会ったことあります?」


 アスタに続いて、ネビも少女の横を通り過ぎようとするが、そこで呼び止められる。

 不意に、合致するネビの赤い瞳と少女の蒼い瞳。

 その僅かな邂逅で、何かを感じ取ったのか、少女はずっと顔に貼り付けていた笑みを消す。


「いや、知らないな」


 短い、ネビの返答。

 視線を外したネビは再び歩き出す。

 嫌な予感を、アスタは覚えた。



「––––本当、ですか?」



 再び、閃光が走った。

 鈍く輝く、赤い錆。

 腰に下げていた鞘から、素早く抜き出したネビの剣想イデアが、唐突に背中に突きつけられた模造刀の一太刀を受け止める。

 ふわり、と舞う風。

 深く被っていたフードが、風に煽られて外れる。


「……バルバトス以外に、用はないんだがな」


「黒い髪に赤い瞳、そして赤く錆びた剣。ああ、ごめんなさい、初めましては、本当のことだったみたいですね。でも、私はあなたのこと、よく知ってますよ」


 驚いたように目を細めると、黄金の少女––––黄金姫エルドラドナベル・ハウンドは、これまでとはまた異なった種類の笑みを浮かべる。



「改めて初めまして、“堕ちた剣聖”ネビ・セルべロス。ちょうど今、あなたの首が欲しかったところなんですけど、貰えたりします?」

 

 

 


 


 


 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る