仮説
一匹の
種族名はアシッドベア。
斬撃に強い強固な皮膚と酸性の唾液を持ち、群れで行動し統率のとれた集団狩猟を得意とする知性ある魔物だ。
神々や
レベル30超えといえば、加護持ちの中でも一流と呼ばれるべき上位層に位置する数十人の数えられる程度の者しかいない。
加護持ちの頂点である神下六剣の中でも最も低い
そんな高危険度の魔物が、片目は潰れ、全身には打撲跡を至る所につけ、本来は群れで行動する特性があるにも関わらず一匹だけの状態で、片足を引き摺りながらも何かから逃走していた。
「……ッ!」
積雪深い林道を、怯えるように周囲に視線を回しながら、アシッドベアは生存本能に導かれ駆けていたが、その動きが唐突に止まる。
一切の音のしない、静かな枯れた木々の奥から覗く、二つの小さな光。
無意識のうちに、アシッドベアは後退りをする。
それは、明確な死の光だった。
脳裏に焼き付いた、同胞たちが残酷に嬲り殺されていった光景。
痛ぶるように、何度も打ちつけられ、一匹一匹、ゆっくりと、しかし確実に群れの仲間たちは屠られていった。
死の光は、赤い色をしていた。
魔物は悟る。
もう、逃げ切ることは、できないのだと。
体長3メートルを超えるアシッドベアに対して、その赤い光の死神はずっと小柄だった。
左腕には切れ味の悪い長手の刃物を持ち、小さな口からは荒い息を弾ませている。
死神が武器とするその武器の刃は、これまで奪ってきた命の血潮がこびり付いてるのか、赤黒い染みが点々と残っている。
あの刃で何度も叩き打ちつけられ、最後には死んでいった同胞のことを知っているアシッドベアにとっては悪夢の象徴だった。
「こいつで、最後か?」
ふと、背後から柔らかだが、どこか冷たい声が聞こえた。
アシッドベアは後ろを振り返る。
そこにいたのは、赤の死神よりもさらに小柄な、シルバーの毛髪を持つ者。
神聖な雰囲気を纏い、退屈そうな瞳でアシッドベアを一瞥すると、すぐに興味を失ったようにして死神の方に視線を移した。
一目で分かる。
その小柄な者もまた、遥か格上。
その超善とした佇まいは、純粋な格だけでいえば死神より上なのではないかと思えてしまうほど。
しかし、本能的な恐怖は、いまだに死神の方に向けられている。
アシッドベアは、逃げるなら、背後だと考える。
もうその魔物は、戦意を完全に失っている。
それでも、赤い光は、自らを捕らえて離さない。
眩いほどの、絶望だった。
「ああ、こいつで最後だ。あと小一時間ほど叩けば、もうこの辺りで
※
腐神アスタは、頬杖をつきながら、一種類の魔物の死骸の山を眺めていた。
アシッドベアはアスタから見ても余裕で倒せる程度の魔物であったため、
「……のお、ネビよ。どうしてこの魔物だけひたすらに狩るのじゃ? 個人的に恨みでもあるのか?」
「いや、特別な思い入れはない。ただ、ちょうどいいだけだ。四足歩行の魔物は動きが読みやすくて相手をしやすい。それにこいつは群れで狩りをする特性があるからな。逆に一匹ずつ誘き出して戦えば、こちらのペースに持ち込みやすい。保有している魔素の割に倒しやすいんだ」
「はあ、そうなのか」
ネビは倒しやすい、と口にしているが、アスタには全くもってそうは見えなかった。
彼の戦闘スタイルはかなり独特で、あえて一言で表現するとすれば、“病的にしつこい”、戦い方だ。
まずもっとも特徴的なのは、とにかく戦闘が長いことだ。
ヒットアンドアウェイ。
一撃を与えたら離れ、また一撃。
それをひたすらに繰り返す。
ネビの攻撃力が足りないのか、中々一撃ではアシッドベアにダメージが通りにくいようで、十分に傷が蓄積するのに時間がかかる。
その反面、ネビの耐久力はそこまでないらしく、アシッドベアの攻撃を一度でもまともに喰らえばすぐに瀕死に陥るとのことだ。
そんな分の悪い紙一重の戦いを、一切の休みなく、延々と続ける。
アスタからすればまるで理解のできない異様な集中力。
この戦い方を、やりやすい、と表現するネビについて、まともに考えることをアスタは段々と放棄し始めていた。
「加えてこいつは、斬撃が効きにくい。レベリングにするには、うってつけだな。俺の攻撃方法は斬撃しかないからな。最高だよ」
「お主が言っていた、見えないレベルの法則か」
「そうだ。あの山頂にいた怪物相手みたいなレベリングは反則技みたいものだからな。何度もできるものじゃない。基本的にはこんなふうに地道にこなすしかないのさ」
すでに
あの無謀すぎる戦闘の後、ネビは彼自身が独自に見つけ出した法則についてアスタに語った。
前提として、魔素を吸収することによって上がるレベルには、五つの異なる尺度が存在する。
ネビはそれぞれを、“
この五つの尺度には別個のレベルが存在し、上がる条件もまた異なるという。
次に、
つまり、筋力の秤に魔素を注ぐためには、筋力に合致する行動が必要で、感覚の秤に魔素を注ぐためにはまた感覚に合致する別の行動が必要ということだ。
魔素の吸収は魔物を打ち破って、核を貫いたときにだけ吸収されるというのが一般的な常識ではあるが、それは間違いだとネビは語る。
高濃度の魔素に剣想が触れたとき、その際の行動に応じて、魔素は吸収される。
全てはネビの仮説にしかすぎないが、そう考えると様々な辻褄が合うとのことだった。
「ああ、死んだのか」
ドサ、と重々しい音を立てて、アシッドベアが地面に倒れ込んで動かなくなった。
これまで何度も繰り返しみてきた光景だ。
今更アスタが何か感想を抱くことはない。
片目が潰され、全身打撲痕だらけ。
ネビ曰く、一撃で殺すよりも、何度も傷をつけて殺した方が多くの魔素を得られるらしい。
「やっと終わりか。なんだか、見てただけなのに、私はずいぶんと疲れたぞ」
「これ以上レベルを上げるには、さすがに柱の加護が欲しい」
どうやら、やっとネビはこの単調作業を終えたようだった。
右腕はいまだに折れたままだったが、それをあえて急いで治すつもりは彼にはないらしい。
本人曰く、魔素が濃い空間で傷を放置していれば、それだけで耐久のレベルが上がっていくとのことだった。
痛みはないのかとアスタは訊いたが、ある、とネビはただ答えてその後何も言葉が続かなかったので、彼女はもう気にしないことにしている。
「それで次は、どうするつもりじゃ?」
「前にも言ったが、初神バルバトスを潰す」
アスタは、深呼吸をする。
やっとだ。
ついにその時がきた。
「道はわかるんだろ? 案内を頼む」
「もちろんじゃ。この日をどれほど待ったか」
しかし、今、彼女は一人ではない。
赤く錆びた、剣がある。
「案内しよう、女神の丘に。ここから出るために、まずは始まりの女神を軽く切り裂いて欲しいのじゃ」
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