骨の夏
黒崎ナイア
骨の夏
女だ、女がそこに居た。奇妙な女だった、背丈は異様に高く肉付きは異様に細く枯れ木のようだった。
私は8月も過ぎた中頃、クーラーの冷気を感じながら小説を書いていた。自慢ではないが、それなりに売れっ子の作家ではあるのだ。
だが、どうにも筆が進まない。暑さのせいなのか、このやかましいセミの盛り声によるものかは検討もつかないが。とにかく締切も迫っていてとにかくイライラしていた。
「あぁ、まったく。ネタが無い、どうしたものだこれは」
新人賞を見ればどこかで見たような題材と文体、平々凡々とした足らない作品ばかり。世間ではこういうのが評価されるのだから全く分からない。凡人の考えなど似たり寄ったりと言ったところか。
編集のAからは「先生の作品は売れるんですが、どうにも尖りすぎていて…もう少しウケるテーマをお願いします」などと、小言を言われる始末だ。
余計なお世話だと言うのに、出版社としては売れるテーマでなければ編集も首を縦に振らないのだ。
少し外に出て気分を変えるか、とタバコを手に乱雑に積まれた資料や作品のボツ原稿を押しのけて狭苦しいアパートのドアを開けた。
「暑いな…こんな暑さじゃ大衆娯楽も狂っちまうのかもな」
そう独りごちて世間をバカにしてやる。ただの八つ当たりという自覚はあるが、暑さのせいという事にするのが都合がいいように思えた。
アパートを後にして近所の公園のベンチでぷかぷかとタバコをふかして周囲を眺める。変わり映えのない住宅街、つまらない日常だ。
つまらない風景の中に、妙なものを見つけた。いや、面白そうなとも言えそうなものだった。
女だ、奇妙な女がいた。枯れ木のように細く白い服と帽子、背丈は180センチを超えているのではないか。
気持ちが悪い、印象はそうだった。だが、目を離すには惜しく感じた。この女をネタに怪奇小説でも書いてやるか、と妙なやる気が湧き上がるのだ。
しばらく遠目に見ていると女が唐突に、あまりにも唐突すぎて認識が遅れるほどだったが、白い服を脱ぎ始めたのだ。
「おいおい、暑さで変になったか?こんな昼間にストリップショーが見られるなんて」
信じられない光景に思わずつぶやいてしまったが、誰もいやしない。聞こえるわけもないのだ。そんな事はどうでもいい。
問題があるとしたら、その女だ。ストリップショーを始めた事じゃない。その女の異様な体躯から伸びる5本の腕、もはや脚とも捉えられる…奇妙なもの、が全身から生えていた。
暑さでおかしくなったのかと思った。だが、女は近づいてくる。5本の腕を使いながら器用に走ってくるのだ。
髪を振り乱し、帽子だと思っていたのは大きな異形の頭骨。
白い女は骨だったのだ。異形の女だった。
私は悲鳴をあげながらアパートへ走って逃げた。女は追いかけてくる。
逃げなくてはならない、とにかくそれだけしか頭になかった。当たり前だろう。
しかし、それが仇となった。信号を見ておらず、車にはねられてしまった。ブレーキ音、セミの声、悲鳴、全ての音が混ざり、風景は7色の輝き。そして闇が訪れた。
目を覚ますと、私は病院に居た。編集のAが心配そうに私を見ていた。
「先生、良かった。良かった」
「なんだ、ここはどこだ?」
「病院ですよ。先生は部屋で倒れてたんです。私が来たらドアが開いていて、部屋の中で倒れてたんですよ」
部屋で倒れていた?事故にあったのでは無いのか?あの女は?疑問が頭を逡巡する。全ては夢だったのか?
「いいえ、夢ではありませんよ。先生は狂っておられるのです。作家ですら無いのです。あなたはこの病院の医師です」
何を言っているんだ、私は作家だぞ。売れっ子の作家で賞だっていくつも取っている。それをなんだ、この失礼な男は。出版社の雇われ編集の癖に。
「あはは、先生。あなたはおかしいのですよ。あはは、あはは」
ケラケラと笑うA、その後ろには異形の女がいつの間にか立っていた。
「あぁ、Bさん。先生の様子を見ておいてくれないか。先生、看護師のBさんですよ」
「先生、大丈夫ですか?いつも私を見たら逃げ出すんですから」
女も笑う、かたかたと2人は笑う。かたかたかたかた、かたかたかたかた、2人の人骨が私に笑いかけてくる。かたかたかたかた、かたかたかたかた。
「あはは、狂っているのはお前たちだ。私は作家だ、この化け物共め」
そう言いながら2人を殴り倒そうとすると、私は見てしまった。
鏡に映る私を、私の姿をした人骨を、笑う骨を。私はとうに狂っていたのだ。暑い、暑い、夏の夢なのだ。そうに決まっている。
女だ、あの女が居たからだ。誰かこの悪夢から私を覚ましてくれ。狂った夏の暑さから私を…
骨の夏 黒崎ナイア @pikarin2022
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