第12話 願わくは、いつまでもあなたと
〈不毛の地〉。
大地は黒ずんで草木も生えない荒れ地になっており、空気もどこか饐えて淀んでいるようだ。
かつては草原が広がっていたという恵沢な地は、ガルガンチュアに〈ハナビラ〉を貪られ尽くして死んでしまっていた。
黒に染まった地面に同色の岩が転がる。それだけの世界に佇むのは二人の姿だった。
一人は小柄な道化師のような服装をした〈禍大喰〉、カンパネルラ。その足元には闇を吸い込んだような漆黒の塊が鎮座している。
もう片方の人影は、一連の事件の元凶である男、サカキだった。細い長身に撫でつけた白い頭髪が、この暗黒の景色には眩しい。
サカキに抱き上げられているカガミは傷だらけで、その表情も常の強気さを剥落させて苦しげである。
「カンパネルラ。それが、ガルガンチュアの残骸か?」
「ああ。よほど人類はガルガンチュアを恐れたのか、あの巨体が残らないほど破壊したのだね。探すのに苦労してしまったよ」
カンパネルラは残骸を足で転がす。握り拳ほどのそれは闇を内部に封じ込んで、どこまでも黒い輝きを放っていた。
「メネラオス君がいないが、彼を待つ必要はあるのか」
「いや、我が友はすでに〈ハナビラ〉を
カンパネルラが薄ら笑う。サカキは頷くと、カンパネルラへと歩み始めた。
そのとき、カガミが苦痛を押し殺した声音でサカキに言う。
「いいよ。もう下ろしな」
「カガミ、君には頼みがあるのだが……」
「分かっているよ。だから、自分で行くのさ」
カガミが足を地に着けると、痛みに顔をしかめつつ口を開いた。
「ガルガンチュア再生には依代が必要だけど、
「こんなはずではなかった」
「あんたに助けられた命だ。あんたのために使えることは嬉しいんだよ。本当に」
そう言ってカガミは踵を返した。全身の痛覚が刺激され、呻きを上げつつも、カガミは歩を進める。自身を供犠としてサカキの目的を叶えるために。
カガミがカンパネルラの前に辿り着く。
「身を挺してサカキの役に立とうとするとは尊敬するね」
「……どきな」
肩を竦めてカンパネルラがサカキの元へと向かう。カガミは二人に向き直った。
「君はそこにいればいい。では、始めようかね」
カンパネルラが両手を広げると、その全身を黒い霧状の粒子が包み込んだ。その粒子が拡散した空間が突如として揺らめく。
「眷属よ。我輩の元に集うのだ」
カンパネルラの声とともに、揺らめきから喰禍が出現した。十体の岩魔や甲蟲はカガミへと向かっていく。
「カンパネルラ、あれは?」
「ああ、繋ぎだ。人類とガルガンチュアとのね」
カンパネルラが手を握りしめると、ガルガンチュアの残骸の表面が流動し始める。固形物から流体へと姿を変えたそれは、近くの喰禍へと飛び掛かってその肉体を飲み込んだ。
十体の喰禍を取り込んだ流動体は、最後の獲物としてカガミを狙う。黒い奔流と化してカガミの四肢に食らいついた。
その全身をガルガンチュアに包み込まれたカガミは、残された顔をサカキへと向ける。
カガミは震える右手で左手の薬指を探った。そこには彼女にとって確かな存在がある。
「あんたのために命を捨てるのは惜しくない。だけど、できれば、もっと一緒に……」
カガミの双眸から一筋の涙が溢れたと同時、その顔を黒い流体が飲み込んだ。
一つの黒い塊となったカガミの身体は、瞬時に人型が崩れて歪な球形と化していた。その周囲の空間に大規模な揺らめきが生じる。
「サカキ、下がっていたまえ。ガルガンチュアの巨体に押し潰されては笑えないからね」
頷いたサカキが後退して充分な距離をとる。
空間の揺らめきが激しくなり、背景が混じり合って判別がつかなくなっていた。その揺らめきが爆発し、衝撃波が四方に突き抜ける。
黒き砂塵が波となってサカキへと吹きつけた。サカキは腕で目を覆って庇い、烈風が過ぎ去るのを待つ。
周囲が静かになると、サカキが腕を下ろして前方に目を向けた。その口唇から感嘆が漏れる。
「おお、素晴らしい! これがガルガンチュアか……!」
全高は十五メートルほどの小山のような巨体で、その体表は滑らかな漆黒の金属のようである。陽光を吸った暗黒色の姿は見る者の目に禍々しい。
形状は巨大化した甲蟲と形容して差し支えないだろう。円形の核から四本の太い足が生え、大地を踏みしめている。
四方から見るとどこが前面か分からないのだが、サカキに向き合っている核の部分に穴が開いており、そこから呼気が漏れていた。そちらが正面なのかもしれない。
「ガルガンチュアは強大な力を有するが、知能がほとんど無くて〈ハナビラ〉を食い尽くすしか能が無いからね。サカキが導いてやるといい」
カンパネルラがサカキの手を握り、その身を宙へと浮遊させた。空を飛んでガルガンチュアの核の上部へと、サカキを移動させる。
ガルガンチュアの核にサカキが足を着けた。
「ガルガンチュア。これからこの人類がお前の主だ。おとなしく従うがいい」
カンパネルラの言葉を理解したのかは不明だが、ゆっくりとサカキの下半身がガルガンチュアの核に沈み始めた。
腰まで沈んでガルガンチュアと一体化したサカキは、その瞳を狂気で濡らしている。引き歪んだ口が高らかに宣言した。
「ガルガンチュア! 私とともに真実の世界を広めに行こう!」
「サカキ、手始めにどこへ向かうのかね」
サカキの横に佇むカンパネルラが、灰色の口唇で笑みを象りながら問いかけた。
「もちろん、ここから一番近い都市、ヒカリヨ。私たちをもてなしてくれた礼をしなくてはね」
その言葉を受け、ガルガンチュアがサカキの意思に感応するように足を動かす。その足が地を踏みしめるごとに砂塵が舞い、大地が慄くように振動した。
転回したガルガンチュアが前進を開始。ガルガンチュアの爪先が向く方向、マルカナ丘陵を越えたその先にはヒカリヨが位置する。
「何だ、この振動は⁉」
木立のなかを走っていたハルトシたちが足を止める。
大きな爆音が響いたかと思うと、定期的に地を揺るがす振動が、四人の足元を震わせていたのだ。立ち止まった一同の頭上で木の葉がざわめいている。
「ウタカが思うに、イヤーな予感がするんだけど」
「ま、まさかー……」
「振動が大きくなっています! 近づいて……!」
頭上を見上げるキヨラの双眸が見開かれる。樹の葉の隙間から垣間見えたのは、巨大な黒き怪物だった。
天蓋のように視界を覆い尽くすその巨躯は、長大な足で樹々を踏み倒しつつハルトシたちの後方へと進んでいく。
樹の陰に隠れてハルトシたちのことには気づかなかったようだ。
「あれが……ガルガンチュアですか⁉」
「ちょっと予想より大きすぎだよ。ね、クシズちゃん。……もー、目を開けたまま気絶している場合じゃないでしょ」
ウタカに頬をぺちぺちと叩かれてクシズが意識を取り戻す。
「よ、よかったー! 夢だったのねー」
「もう向こうに行っちゃったんだよ」
呑気な二人のやりとりに呆れそうなハルトシだが、泣き叫ばないだけマシだと思い直す。
「遅かったみたいだな……。とにかく、奴らを追おう!」
「方向からすると、ヒカリヨに向かっているようですね。きっと、サカキは手始めに狂った計画の舞台にヒカリヨを選んだのでしょう……!」
ハルトシたちは元来た道を引き返し、ガルガンチュアを追い始めた。
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