第6話 カガミのカミサマ

 ハルトシたちが戦団に戻ったのは日が暮れてからだった。


 帰還したキヨラたちが傷だらけであることを心配する声を振り払いながら、ハルトシはノギ隊長の執務室を訪れている。


「サカキがそのような暴挙を企んでいたとは、信じ難いが……」


 ハルトシから事態の経緯を耳にしてノギが放ったのは、その一言だった。


「信じてください! サカキはガルガンチュアを復活させようとしているんです。メネラオスとカンパネルラも、サカキに協力しています!」


「落ち着くんだ。別に疑っているわけではないのだし」


「それじゃあ、ノギ隊長」


「マリカ君も帰還していないしな。これまでの経過は団長に報告しているから、団長が判断するだろう」


 ハルトシは不服を隠そうとしなかった。


「ゆっくりしていたら間に合いません!」


「よいではないですか、ハルトシ。準備はノギ隊長にお任せすれば」


「キヨラ……?」


 こういう場合、真っ先に突撃を主張するキヨラが泰然としていることは意外だった。


「それに私たちは朝から動き続けています。傷も手当てしないといけませんし」


 そこでハルトシは気付いた。


 軽傷とはいえキヨラたちは負傷しているのだ。休息の時間も必要だろう。


「ごめん。みんなのことを考えていなかったな」


「謝る必要はありません。私にはサカキたちを追いかける秘策がありますから」


「とにかく三人とも、医務室で治療してもらおう」


 ハルトシが三人を促して扉へと向かう。


「そう言えばー、昼から何も食べていないわー。お腹が減ったー」


「クシズちゃん、案外元気だね。じゃ、ハル君さ、今夜は休むとして明日はどうするの?」


「そうだな、いつも通り……」


「すみませんが、明日は陽が昇ってすぐに北門に集合してください」


「へー、キヨラちゃんの秘策があるから?」


「うー、少し早いですー」


「キヨラに考えがあるなら、そうしようか」


 四人は会話しながら退室していき、一人残されたノギがずれた眼鏡を直す。


「えっと……、団長には報告しておくから、みんなよく休んでおくんだぞ」


 その言葉は他者に届くことなく執務室の空間に消えていった。






「ねえ、ちょっと休んでいかない」


 すでに日が沈み始め、暗黒に包まれつつある森のなかでカガミが放った声を聞き、サカキは足を止める。


「どうした。これくらいで疲れる君ではないだろう」


「だってさ、サカキ。もう何時間歩いていると思ってんの? 腹だって空いたしさ」


「そうだな。ここで休もう。……カンパネルラ、それでいいか」


 サカキは先行するカンパネルラに声をかけた。


「構わないよ」


 足を止めたカンパネルラが返答する。黒い衣装と灰色の肌を有するカンパネルラの肢体は闇に同化するようだった。


 サカキたちが樹木の少ない場所に移動すると、カガミは慌ただしく辺りの小枝や木の葉を集めて山を作る。


「カンパネルラ、火」


 カガミの横柄な要求に肩を竦めてみせると、カンパネルラは指先から細い光条を照射、その光が当たった枯れ葉が燃え始める。


「さて、飯だね、飯!」


 カガミが地面に腰かけ、携帯していた麻袋から葉に包まれた干し肉を取り出す。その他にも細い木をり貫いた水筒をカガミが並べていると、カンパネルラが歩を進めていた


「どこへ行く、カンパネルラ」


「君たちが休むことには構わないと言ったが、我輩は先に行く。ガルガンチュアの残骸を探しておく必要もあるからね」


「分かった。頼むよ」


 カンパネルラの後ろ姿はすぐに闇に呑まれて見えなくなる。


「サカキ、何してんの。早く食べようよ」


 そう誘われてサカキも地面に腰かけると、カガミが干し肉と水筒を手渡す。

 サカキはそれを受け取ったが、口に入れる様子は無かった。


「いよいよ、明日ってことだね」


「うむ。ガルガンチュアさえ復活させれば、多くの人間を真実の世界に導くことができるだろう。明日のために、よく休んでおくことだ」


 揺らめく炎を映すサカキの静かな瞳、闇のなかで照らされるサカキの顔貌をカガミは美しいと思った。信念を持って人々を救おうとする、それはカガミにとって神の表情である。


 いつも落ち着いたサカキの声音には狂気など微塵も感じない。サカキの精神は正常なのだから。その思想が根本的に狂っているとしても。


「あんたこそ休んでおきなよ。表向きはカンパネルラの監視役をしながら、マリカって小娘から〈花の戦団〉の情報を探っていたんだろ?」


「大した手間ではない」


「昨日だって監視の振りをしてカンパネルラと、さっきの奴らを始末しに行ったんだし。動きっ放しじゃないか」


「……分かった。口では君に勝てないからな」


 サカキは干し肉を口に運び始める。


 カガミはすでに食事を終え、水筒に容れたマンネンロウ茶ローズマリーで喉を潤した。それから腕を枕にすると、サカキの顔が見えるように横向きに寝転がる。


「明日からは忙しくなるね」


「ああ。君のおかげでここまで来られた。感謝している」


「あんたが感謝するなんて珍しいね。さすがに思うところがあるってことか」


「当然だ。しかし、どうしてここまで私のために戦ってくれるのだ?」


「……ま、あんたに生命を助けられたこともあるしね。覚えてる?」


「そんなこともあった気がする」


 愛想の無いサカキの答えにカガミは苦笑した。


「暇つぶしに昔話でもしてみようか」


 揺らめく炎越しにサカキの顔を見ながら、カガミが口を開く。


「あたしの父さんは光陰こういん教の信者でさ。『神様を信じて良いことをしていれば、きっと神様が守ってくれる』。それが口癖の男だった……」


 サカキは燃える炎を見詰め、ちゃんと話を聞いているのか分からない。それでもカガミは語り続ける。


 カミサマ、という存在を幼いカガミは理解することができなかった。カガミが十歳の頃に知人の借金を肩代わりさせられ、父親が自殺してしまったせいもある。

 ただ、良いことをしていれば助けてくれる、その父親の言葉だけを覚えていた。


 そのせいか、カガミは神学校に通うことになる。その中等生のとき、虐められている同級生を庇ったのは、その父親の言葉を覚えていたせいだろう。


 その結果は、数名の上級生から袋叩きにされてカミサマの存在を信じなくなった一人の少女を生んだだけだった。


 神学校を退学したカガミは、生前に父親から渡された指輪が種子化していることに気付き、〈花守〉の能力を生かして傭兵として活動し始めた。


 普通の〈花守〉は〈喰禍〉などの外敵と戦うことを選ぶが、傭兵として人間相手に能力を振るう人物もいるのだった。


 あるとき、カガミは辺境で〈喰禍〉の大群討伐の任務に参加した。多くの〈花守〉が招集された大規模な戦いだったが、寄せ集めに過ぎない〈花守〉たちは次々と戦死していった。


 相棒となった男性〈花守〉も戦死し、力尽きたカガミはその場に倒れ込んで迫りくる死を待つだけだった。


「そのとき思ったんだ。最後まで頑張ってみたけど、あたしと父さんの信じたカミサマはいなかったって。……でも、あんたが来てくれた」


『無事だったか。間に合ってよかった』


 そう言った人物がカガミを見下ろす。太陽を背にしていたせいで逆光になり、黒い輪郭が眩しい光を放つようだった。


『カミサマ……?』


『私の名かね? そんな大それたものではない、サカキと呼んでもらえば結構だ』


 サカキはそう言ってカガミに手を伸ばした。


『君が〈喰禍〉を引きつけてくれたおかげで、派遣された増援の私たちが間に合った。近くの都市は無事だったよ。よくやってくれたな、君』


『君じゃない、カガミって呼んでくれる?』


『そうか、カガミ。よくやってくれた』


 その声を聞いたとき、カガミは視界がぼやけて頬を熱い感触が伝うのを感じた。


「あたしと父さんが信じたカミサマは、ここにいたんだ。そう思ったよ……」





 カガミが目を開けると、空は白んでいて森のなかには薄明かりが満ちていた。いつの間にか眠っていたらしい。


 カガミの前にはまだ火が燃え残っている。対面ではサカキが座った姿勢で目を閉じていた。少し前まで寒くないように小枝を継ぎ足していたのだろう。


「サカキ……」


 カガミは自分の両手に嵌めている指輪を見詰める。


 右人差し指に嵌めているのは、かつて父から貰った指輪。もう一つは、サカキが買ってくれた指輪だった。


 以前、ある都市に立ち寄った際、露店に並ぶ装飾品をカガミが物珍しげに眺めていた。


『カガミ、その指輪など、君に似合いそうではないか』


『ええ? こんな安物が似合うって嫌味?』


『安くても美しいものは美しく、それが似合うことはよいことだ』


 サカキはその露店の指輪を買うと、自らカガミの左薬指に指輪を嵌める。

 サカキにとっては、ただの気紛れだったのだろう。


『……あのさ、サカキ。左手の薬指って、意味が分かってやってんの?』


『どういう意味がある?』


『もういいよ。ま、ありがと』


 それ以来、カガミはその指輪を外したことは無い。


 それまで過去の光景を映していたカガミの瞳が、目前のサカキに焦点を戻した。


「あんたのために戦う理由、一番大事なことを言えなかったな」

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