第5話 花は散ってもまた芽吹く

 マルカナ丘陵の一角、森のなかで開けた平地に大きな穴が開いていた。


 その穴を埋める岩の一つが動き、細い手が突き出される。その手は辺りを調べるように動くと、近くの岩を掴んだ。


 いきなり、岩の破片のなかから人影が出現する。


 紅茶色の髪も衣服も土に汚れているが、キヨラが無事な姿を現したのだ。


「ハルトシ! クシズさん、ウタカさん! どこですか⁉」


 キヨラは穴から抜け出し、仲間を呼びながら岩を掘り起こす。


 そのとき地中から黄色い光が天へ突き抜け、ウタカが姿を現した。


「ウタカさん、無事でしたか!」


「うん。何とかね」


「ハルトシとクシズさんが……」


「クシズちゃんはここ」


 ウタカが穴からクシズを引っ張り出す。ウタカに手を掴まれるクシズは、もう片方の手で日傘を胸に抱いていた。


「うー、死ぬー……」


「クシズちゃん、今日は幸運なんでしょ。生きてるよ」


 キヨラは二人を見て安堵する。だが、もう一人の人物を思い出すと必死の形相で辺りを捜索した。


「どこです、ハルトシ! 返事をしてください、お願い!」


 キヨラが叫んでハルトシを探す。


「おーい、ここ……る」


「ハルトシ⁉」


 キヨラの元にクシズとウタカが駆けつけ、一緒に穴を掘った。


 岩をどけると、足が出てきた。三人が協力してその足を引っ張る。


「痛ッ! お、おい。もっと優しく……」


「せぇーの!」


 三人が息を合わせた瞬間、ハルトシが岩のなかから地上へと生還する。


 勢い余って地に叩きつけられたハルトシへと三人が集まった。


「あ、ありがとう……」


「ハ、ハルトシさんー、お顔がー……」


「全身傷だらけだよ!」


「こんなひどいこと……。許せません!」


「……いや、傷に関しては、たった今できたんだけど。とにかく、助かった……」


 ハルトシが仰向けに寝転がり、大きく息を吐いた。


「みんな生きててよかったなあ」


「本当にー。今日はやっぱり幸運でしたー」


「今のところはね」


 クシズとウタカが同意する。


 ふと、キヨラが黙り込んでいることに気付き、ハルトシがその顔を覗き込む。


「どうした、キヨラ? どこか怪我をしたのか?」


 キヨラの双眸は濡れていた。


 溢れる涙が頬を伝って顎から落ち、きつく握りしめられた拳に当たって微細な雫となる。


「キヨラ……?」


「怖かったのです……。さっきの私は、これまでにない恐怖を感じていました」


「相手は仲間だったマリカと、〈光の民〉だからな、そう感じても不思議は無いよ」


「いえ……。私が恐れたのは、クシズさんとウタカさんを失うこと……。二人がメネラオスに殺されそうな場面を見たとき、恐ろしくて背筋が冷えました」


 思わず瞳を見交わすクシズとウタカへと、キヨラが両手を伸ばして抱きついた。


「ごめんなさい……、クシズさん、ウタカさん。今までの私は独りよがり過ぎました」


 キヨラの慟哭を聞きながら、戸惑ったようにクシズがその頭を撫で、ウタカは照れたように頬を掻いている。


「本当によかった」


 その三人の姿を見ながらハルトシは安堵の息を吐く。






 キヨラが落ち着くと、一同は穴から上がって草むらに座り込んでいた。


「さて、これからどうするかだな」


「サカキの暴挙を阻止しなければなりません」


 まだ少し赤くなっている両目に強い意志を宿らせ、キヨラが言う。


 キヨラの小太刀はマリカに攻撃された拍子に手から落としていたため、穴に埋まることなく無事にその鞘に納まっている。


「それは当然だ。だけど、今の選択肢は二つある」


「戦団本部に戻って応援を呼ぶか、サカキたちを追うか、ということですか?」


「ああ。みんなはどう思う?」


 意外にも最初に口を開いたのはクシズだった。


「応援を呼ぶべきだと思いますー。わたしたちだけでは、サカキさんに勝てないですしー」


「私もクシズさんに同意です。それに、サカキが向かうのは〈不毛の地〉と分かっているのですから、今すぐ追う必要はないでしょう」


「やっぱり、そうだよな。ウタカもそれでいいか?」


 黙りこくっているウタカへとハルトシが尋ねる。


「うん。ウタカが思うに、今できることはそれだけだよ」


「どうした、元気がないじゃないか」


 ウタカは常とは異なり、その緑がかった水色の瞳に陰影を刷いている。


「みんな、本当に勝てると思っているの?〈花の戦団〉の戦力を投入したって勝てないよ」


「いつものウタカらしくないよー?」


「クシズちゃんも見たでしょ? 弱いって言われるメネラオスが、あの強さなんだよ? それにカンパネルラだっているんだから、みんな殺されちゃうよ」


 その一言にハルトシが苦悩を滲ませて面を伏せる。


 これまで挫折を知らなかった天才少女ウタカにとって、自身の力量が及ばない事態は初めてなのだ。

 いつものウタカとはかけ離れた弱々しい姿にキヨラは息を呑むばかりで、励ましの言葉も浮かばないようだ。


「無理だよ。みんな、死んじゃうんだよ……」


 ウタカは、恐怖を静めるように小鳥の髪飾りに手を当てている。彼女にとって、あの髪飾りは自身の才能の象徴だった。


 幼い頃、勉学も運動も優れたウタカへと友達から誕生日の贈り物が渡された。露店で買った安物ではあっても、小鳥を模した髪飾りはウタカにとって宝物となる。


 旅行中に〈喰禍〉に襲われて亡くなった友達の少女のため、ウタカは〈花の戦団〉に入団。才能を称えてくれた友達に恥じぬよう、いつも天才ウタカであることを己に課しているのだ。


 以前、世間話のように軽い口調で語ってくれたウタカの過去をハルトシが想起する。


 その明朗な振る舞いの裏に隠された決意も守れないほど、打ちひしがれたウタカを勇気づける言葉がハルトシには見つけられなかった。


 そのとき、クシズがウタカに歩み寄る。


「ウタカのことはー、私が守るからー」


「クシズちゃんの日傘だって、メネラオスの攻撃を一度も耐えられなかったじゃん……」


「次はもっと頑張るからさー」


 クシズはウタカの前にひざまずくと、日傘でウタカの頭上を覆う。


「私がウタカを守るからー、ウタカには街の人たちを守ってほしいのー」


「クシズちゃん、そんなこと言ったって……」


「わたしはー、いつも笑っていてー、みんなを元気にしてくれてー、頭がよくて強いウタカが好きだなー」


「……」


「ウタカはー、本気になれば何でもできるって信じているのー。お願いー、わたしに力を貸してちょうだいー」


 ウタカはそれまで伏せていた顔を上げると、いきなり両手でクシズの頬を引っ張る。


「ひ、ひたひー。ふたはー、ひどひひょー」


「クシズちゃんのくせに格好いいこと言うから、お仕置きだよ」


 ウタカはクシズの頬から手を離すと、気弱な姿を見せた照れ隠しのように笑った。

 感心してクシズを見詰めていたキヨラが立ち上がる。


「さあ、ゆきましょう!」


 クシズとウタカも立ち上がったが、ハルトシは俯いて座り込んだままだ。


「ハルトシ、どうしたのです?」


「みんなばかり戦わせて、ごめん」


「今さら何を言っているのですか?」


「みんなが傷つきながら戦っているのに、俺だけ見ているだけなんて申し訳なくてさ……」


 傷つきながら戦う三人キヨラとクシズとウタカは三色の視線を交わし合う。


 先ほどの戦いで三人が死にかけたのに、自身が手助けできなかったことをハルトシは歯がゆく思っているようだ。


「それに今回の敵は強すぎる。もしかしたら生命は無いかもしれないのは、みんな分かっているだろ?」


「気に病むことはありません。それが私たち〈花守〉の使命ではありませんか」


「わたしはー、ちょっと怖いけどー、頑張りますー」


「それに、ハル君は世界の平和を守らないといけないでしょ?」


「何だっけ、それ?」


 ハルトシが間抜け面を上げたので、キヨラが呆れた声を出す。


「もう。自分で言っておいて忘れたのですか?」


「キヨラさんとウタカだけじゃなくて、わたしも覚えていますー」


 ……それはキヨラがクシズ班に配属されてから間もない頃だった。


『え、俺が〈花の戦団〉に入った理由?』


『うん。そう言えば聞いていなかったなと思ってさ』


 見回りの合間の雑談で、ウタカの質問にハルトシは呆けた返事をしていた。


『うーん、世界の平和を守るため、かな?』


『あはは! 世界って、話が大きいなあ』


『でもー、いいことですー』


 ハルトシの言葉を冗談と受け取ったクシズをウタカが笑声を上げる。


 二人の笑いにつられてキヨラも笑みを漏らした。


『あれ、何かおかしいこと言ったか?』


 不思議そうなハルトシの一言で笑い声は止んだ。


 三人は〈花守〉として人々を守るという思いはあったが、世界という言葉は少女たちにとっては予想外過ぎたのだ。


『あ、いや、ごめんね。ウタカ、そこまで考えていなかったから』


『ごめんさなさいー……』


『……私も浅慮でした』


『急に笑ったり、謝ったり、忙しい奴らだな』


 そう言ってハルトシは屈託なく笑っていた……。


 キヨラたちは、無言のうちにその記憶を共有し合う。


「世界っていうのには、ウタカたちも入っているんだよね」


「だからー、わたしたちはハルトシさんと戦えるのですー」


 逆光になって微笑む三人の〈花守〉の少女をハルトシは眩しそうに見上げた。


 キヨラがハルトシに手を伸ばす。


「ほら。『シクシクだよ』している場合ではありませんよ」


「『シクシクだよ』?」


 以前に酒場でクシズが使った言葉を真似てみたが、怪訝なハルトシの表情を目にし、キヨラが不安げにウタカへと問いかける。


「今の使い方、間違っていましたか?」


「えーと、あんまり正しくないかな?」


「難しいですね……」


 キヨラは仕切り直すように咳払いすると、改めてハルトシに手を差し出す。


「いつまで座っているのです。私たちと世界の平和を守りにゆくのですか、ゆかないのですか?」


 ハルトシは苦笑すると、キヨラの掌に自身のそれを合わせて立ち上がった。

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