第2話 背狂者、正気の向き先
北門から伸びる街道は、湿地帯に築かれた
一年を通して針葉樹に覆われるマルカナ丘陵は、新緑の壁となって旅人を待ち受ける。
街道をひた走るキヨラがマルカナ丘陵の麓まで来ると、樹々の間にメネラオスの巨体が見えた。キヨラは腰の小太刀を右手で抜くと、街道の端に矢印を描く。
巨体を目印にして注意深くキヨラが尾行していくと、メネラオスがマルカナ丘陵を上る街道から外れた。その横に並ぶ複数の影、カンパネルラとサカキ、カガミも道を曲がる。
「まさか、〈不毛の地〉に向かっている⁉」
キヨラが顔色を変える。
今は廃止されているが、マルカナ丘陵に沿って西に進む街道も存在する。その先に続くのは〈不毛の地〉と呼ばれる場所だった。
もう八十年前になるらしいが、ある場所で人類と〈喰禍〉の大戦があった。〈ガルガンチュア大戦〉と呼ばれるそれは、人類史上有数の戦禍として歴史に残されている。
小山ほどの巨体を有すると伝えられ、吸収した〈ハナビラ〉を元にして〈喰禍〉を生み出す〈喰禍〉、ガルガンチュア。
自ら生んだ数百体の〈喰禍〉を従えるガルガンチュアに対し、人類は周辺の戦力を総動員。 多大な犠牲を払いながらもガルガンチュアを倒した。
しかし、ガルガンチュアに〈ハナビラ〉を吸い尽くされて枯れた大地は黒く染まり、草木の生えない死の土地と化した。
いつしか人々は踏み入る者もいなくなったその土地を〈不毛の地〉と呼び、二度と悲惨な戦いが起こらないよう、近くに位置するヒカリヨに〈花の戦団〉を創設した。
「カンパネルラが〈不毛の地〉に向かうなんて、嫌な予感がします……!」
独語したキヨラは、横道への目印をつけて先を進む。
カンパネルラたちは警戒する様子が無いため、尾行するのは容易だった。
しばらく歩くと、樹陰が途切れて開けた場所に出たカンパネルラたちが立ち止まった。
尾行が露見したかと思ったキヨラは足を止め、茂みに身体を隠す。
そのとき、背後から足音が鳴った。振り向いたキヨラの瞳が森を歩く四人の姿を映す。
キヨラが手招きする。緊張感が伝わったのか、四人は黙って接近してきた。
「あれを」
キヨラが言わなくても視界に捉えていたのだろう。ハルトシは頷いてカンパネルラたちに視線を向ける。
「あそこで何をしているんだ?」
「分かりません。ついさきほど、あの場所で立ち止まったのです」
「ねえ、キヨラちゃん。この道って〈不毛の地〉に続いているんだよね」
「ウタカさんもご存知でしたか。不穏な気配がします」
キヨラがそう言ったとき、後ろで葉の揺れる音が響く。
どうせ、クシズが不注意に音を出したのだろうと思い、キヨラが振り返った。その双眸が見開かれ、総身が凍りつく。
キヨラの血相が変わったことに気付いた一同が、何気なく背後を見やった。
「これは。我が親愛なるサカキのご友人ではないかね」
「カンパネルラ……」
キヨラの唇から漏れる掠れた声音が、その人物の名前を象った。
「ど、どうしてー⁉」
一瞬で恐慌に陥ったクシズが顔を引きつらせて後退し、木の幹に背中を打ちつける。
「何を驚くことがある? 我輩たちは知らぬ仲じゃないだろう。向こうで話をしようじゃないかね」
そう言ったカンパネルラは黒い霧状となって宙を飛び、元いた場所で姿を戻した。
カンパネルラが戻ると同時に、メネラオスとサカキたちが木陰へと、ハルトシたちが潜む方向に振り向く。
観念したハルトシたちは木陰から白日の下へと移動する。
「ハルトシさん、どうしてこのような場所に?」
サカキの冷徹な視線を受け止め、ハルトシは口を開いた。
「サカキさん、カンパネルラとメネラオスは何か企んでいます。この道の先は〈不毛の地〉に続いているんです」
「〈光の民〉と〈喰禍〉が結託しているということか?」
「その二人を〈不毛の地〉へ向かわせるわけにはいきません! こっちは〈花守〉が七人もいるんです。カンパネルラたちをヒカリヨへ連れ戻しましょう!」
サカキが考え込む風に顎を引き、すぐに首を横に振る。
「すまないが、『そちら』にいる〈花守〉は四人だけだ」
その言葉の意味を理解したハルトシが息を呑んだ。
「まさか、サカキさんもカンパネルラの協力者なんですか⁉」
ハルトシの叫びを正面から浴びたサカキは無表情を保っている。サカキの代わりに顕著な反応を示したのはカンパネルラだった。
「あははははは! サカキが我輩に協力している⁉ 傑作ではないかね!」
「どういうことだ?」
「確かに我輩とメネラオス、そしてサカキは仲間ではある。だがね……」
カンパネルラは毒々しい灰色の舌を伸ばした。
「我輩とメネラオスがサカキに協力しているのだよ。サカキこそ、我輩とメネラオスを繋げた張本人なのだね」
ハルトシはその衝撃に絶句する。
「サカキは要職警護の立場を利用して我輩やメネラオスと伝手を作り、それぞれの利益を説いて協力関係を築いたのだ」
想像の射程外から放たれた重い事実に耐えつつ、キヨラが震える唇を開いた。
「いったい、何が狙いなのです」
カンパネルラが口を開いたが、その肩に手を置かれて言葉を飲み込む。
カンパネルラは自身の肩を掴むサカキを見やると、薄ら笑いながら身を引いた。
入れ替わるように進み出たサカキの顔を目にし、肝の据わったキヨラも寒気を覚えた。
初めて見るサカキの笑顔。口元は引き歪み、双眸は限界まで見開かれている。
その右目の周りに散る四つの黒点が、サカキの表情に凄味を与えていた。
「我らの目的は、ガルガンチュアの復活だ」
「ガルガンチュア……」
八十年前に大戦を引き起こした〈喰禍〉、ガルガンチュア。再びガルガンチュアがこの世界に現れれば、その被害は甚大なものとなるだろう。
「な、なぜ人間のサカキさんがガルガンチュアの復活を望むんです?」
勇気を奮い起こしたウタカが問いかけ、サカキがゆっくりと目を向ける。
「私が必要とするのは、ガルガンチュアそのものではない。〈ハナビラ〉を大量に収集できるガルガンチュアの能力だ」
ハルトシたちがその言葉の意味を理解しかねる。
ハルトシの困惑を意に介さず、サカキはその顔を天空に向け、両手を広げてみせる。
「この世界は、美しい!」
他に声を発する者のいない静寂のなか、サカキは空に向けて言葉を放つ。
「あの空は時間によって色を変える。その移り変わりの何と美しいこと! そして、一つとして同じ形の存在しない雲は、どのような芸術家の想像力をも超える芸術! 姿の見えない風は、その音で私に存在を教えてくれる! 小鳥のさえずりや木の葉のざわめきは、私にとって究極の音楽! そよ風が私の頬を撫でる感触、心地よい雨の音、雪の冷たさでさえ、私には愛おしい!」
上空に向けられていたサカキの顔が急にハルトシたちに向けられ、一同は身を竦ませた。
「分かるかね⁉ 二十歳を過ぎるまで、この美しい世界を私は知らなかったのだよ! その後悔と屈辱は、喜びの分だけ深かった」
「それとガルガンチュアが、どう繋がるんだ?」
「やっと私が辿り着いた、美しいこの真実の世界。きっかけは、〈ハナビラ〉を大量に摂取したことだった」
「それは、あんたの精神が元々……」
〈ハナビラ〉は万物の源ではあるが、人間が大量に摂取すると肉体や精神に異常を来す。
サカキの場合は、元より精神が尋常でなかったため、幸運にも正気を取り戻したのだ。
「この美しい真実の世界を、私だけのものにしておくわけにはいかない。より多くの人間に、この真実の世界を知ってもらう必要がある」
サカキの目的に気付き始めたハルトシの表情に、紛れもない恐怖が広がる。
「多くの人間に〈ハナビラ〉を注ぎ込むには、それだけ多くの〈ハナビラ〉が必要だ。そのための道具が、ガルガンチュアなのだ」
サカキは口を閉じたが、興奮の余韻がその息を弾ませていた。
「まさか、そんなことのために、ガルガンチュアを蘇らせようとしているのか……?」
「何が、〈背狂者〉……。あなたは、まだ狂っています……」
呆然と呟くハルトシとキヨラと違い、ウタカは気丈に問い詰める。
「どれだけ〈ハナビラ〉があっても、それを他の人に与える手段が無いと無意味なんじゃ」
サカキは円になるまで見開いた双眸をハルトシに向ける。
「ハルトシ君、〈ハナビラ〉の伝達方法は何かな」
「……口づけだけど」
「そうか。私の方法は『声』だ。私の声が届く任意の対象に、〈ハナビラ〉を分け与える」
サカキは首を傾けて、背後の人物を視野に収める。
「カガミ」
サカキの声に応じて、カガミが右手を掲げてみせた。
サカキの身体から光の奔流が溢れ、カガミの指に嵌めている指輪へと吸い込まれる。指輪が光の塊と化してカガミの右腕を覆い、籠手のような形状に変形した。
「別に名前を呼ぶ必要は無いのだ。私の声が聞こえた人物へと、私の意思に応じて〈ハナビラ〉を付与することができる」
「声が聞こえた相手ということは……」
「そうだ。私の能力の効果範囲は君の比ではなく、同時に複数の対象に〈ハナビラ〉を付与できる。〈花の戦団〉時代は、この能力が私を支えていた」
「その能力とガルガンチュアが集める〈ハナビラ〉で、人々を狂わせようというのか」
「〈禍大喰〉であるカンパネルラの知識、メネラオス君の力、〈不毛の地〉に眠るガルガンチュアの破片を利用すれば、その再生は可能だ!」
ハルトシは仲間を振り向く。
キヨラたちも、サカキの壮大にして荒唐無稽な目論見に言葉が継げないらしい。
少女たちは一様に血の気の無い面でハルトシを見返す。
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