第7話 マジメ剣士、キヨラの命題
キヨラは横道に入ると、小さな喫茶店の前で足を止める。
「ここです。私の行きつけのお店です」
「へえ、喫茶店なのか」
「食事もお茶も美味しいですよ」
そう言ってキヨラはハルトシを伴って入り口を潜る。出迎えた店主は顔馴染のようだったが、会釈するのみで言葉を交わすことはしない。
奥の席に着いたキヨラはすぐに食事を注文した。焦るハルトシにキヨラが言う。
「ここは赤瓜のタレを絡めたトル麦麺が美味しいですよ」
「それじゃあそれで」
注文を済ませた二人は、先に運ばれてきたお茶に口をつけた。赤藪(ルイボス)という大陸南部でとれる針葉を発酵させた茶葉であり、煮出すと栄養価が高く赤いお茶ができる。
「付き合ってもらってすみません」
「食事に誘ったのは俺だよ。いい店だな」
ハルトシは店内を見回す。木材で作られた壁と床は落ち着いた雰囲気で、店内も広くなく十人にも満たない人数しか入れないだろう。
キヨラが好みそうな静かな店だと、ハルトシは胸中で納得する。
「明日からの動きをノギ隊長は何と言っていましたか?」
「やっぱり、できることは監視くらいしかないと言っていたよ。でも、昼間は知性類会議があるし、サカキさんもいるからそんなに動けないはずだしな」
「メネラオスとカンパネルラに企みがあるとしても、私たちが監視してそれを未然に防げれば、充分に役目を果たしたことになるでしょう」
「そっか。そうだな」
ハルトシが首肯していると注文した品が運ばれてきた。
キヨラが頼んだのは羊乳の
礼を言ってキヨラが料理を口に運ぶ。訓練の後で空腹だったのか、その健啖ぶりは男のハルトシを凌ぐ勢いだった。
ハルトシの視線を感じたのか、恥ずかしそうにキヨラが手を止める。
「すみません、お腹が減っていて」
「いや、訓練後だから当然だよ。健康的でいいと思うし」
「本当ですか……?」
キヨラが
「本当だって」
ハルトシの笑顔を見て、安心したようにキヨラは再び食事に戻る。だが、数口を食べた後にキヨラの手が止まった。
「ねえ、ハルトシ」
「何だ?」
「私には分からないことがあるのです。聞いてもいいですか」
キヨラは卓上に視線を落として、一点を見詰めながら先を続ける。
「ある人が言っていました。『斬るだけなら簡単なんだ。でも、剣を持つ者こそ相手を斬らずに物事を解決する力が必要なのだと思う』と」
ハルトシは料理を口に運ぶ手を止め、キヨラの顔を盗み見る。『斬るなら簡単』というのは、キヨラの口癖でもあった。
「相手を斬らずに物事を解決する力というのは何でしょう? 私には分からないのです」
「……うーん。剣の心得も無い俺なんかじゃ分からないよ」
「そうですよね。詮無いことを聞きました」
「その人に聞いてみたら?」
「その人は、もういませんから」
キヨラの瞳に陰影が差した。それも束の間で、キヨラは笑みを浮かべてみせる。
「急に変なことを言ってすみません。さあ、料理が冷める前に食べてしまいましょう」
キヨラが食事を再開したので、ハルトシも口を動かし始める。それと同時にキヨラの経歴を思い返した。
あまり多くのことを聞いたわけではないが、キヨラは大陸最東端の国家、イザヨイ出身であるという。それが何かの理由があって幼少の頃、ヒカリヨに移住してきた。
母親はキヨラが生まれて間もなく亡くなっているらしく、父子だけの静かな生活を送っていたようだ。
キヨラの父は剣の達人でもあり、ヒカリヨで道場を営んでいたらしい。その父の影響でキヨラも小太刀を習い、幼き身でありながらかなり上達したそうだ。
しかし父親が若くして病没し、キヨラは天涯孤独の身となってしまう。それからキヨラは自身の〈花守〉の才能に目覚め、〈花の戦団〉に入団することになる。
今でもキヨラは父親の剣が最強であると信じ、それを証明するために〈花の戦団〉で戦い続けている。
「どうしたのです。食べないのですか?」
いつの間にか、物思いに比重を置きすぎて手が止まっていたらしい。キヨラが怪訝な顔で問いかけてきた。
ハルトシは慌てて料理を口に詰め込む。
澄んだ笑い声が上がり、ハルトシが口を動かしながら正面を向いた。珍しいことに、キヨラが穏やかな笑みを浮かべている。
「だからって、そんなに急がなくてもよいのに」
仕事中ではないせいか、いつもよりキヨラは和やかな雰囲気だった。
「そう言えば、私はハルトシのことを全然知りませんね」
「そうか。クシズとウタカには話したかもしれないけど、キヨラとはまだ三ヶ月の付き合いだからな」
キヨラが見つめてくる。話してほしいのだと気付いてハルトシは口を開いた。
「別に大した話でも無いけどさ。俺はキラシロ出身なんだ。ウタカは本都市だけど、俺は山間部の副都市で生まれた」
勢力を伸長した都市国家には副都市を有するものもある。商業都市として名高いキラシロは増えすぎた人口を分散するため、複数の都市を有していた。
本都市の商人に納める布製品を作る職人の家系にハルトシは生まれた。毎日、同じ姿勢で布を織り続ける両親の暮らしに嫌気が差し、別な生き方を考えていた。
その後、自身に〈花守〉としての能力があることに気がついて、〈花の戦団〉に入団することになる。
神話では、世界を創世した神々の多くは女神であり、その加護を受け継ぐ〈花守〉も多くは女性である。その神話に数少ない男性神に比例しているのか、男性〈花守〉の存在は貴重であり、戦団には簡単に迎えられている。
「面白くもない話だろ?」
「ま、そうですね」
「話させておいて、ひどいな」
二人はお互いに目を見交わして笑う。
料理を食べ終わったのはほぼ同時だった。ゆっくり
「そろそろ行こうか?」
「何を言っているのです。本命はこれからですよ?」
キヨラの言葉にハルトシが首を傾げていると、皿の下げられた卓上へと新たな料理が運ばれてきた。皿には、香ばしく焼かれた生地の上に赤いジャムが塗られている。甘酸っぱい香りが食欲をそそる一品だった。
「トル麦に砂糖と水を加えて練った生地をカリカリに焼いた上に、同じく砂糖をこれでもかと混ぜた苺ジャムを塗ってあるのです。この店の名品で、私はこれが大好きです」
「へえ、美味しそうだな。俺も少し食べてみたいな」
「心配ありません」
キヨラがそう言うと、ハルトシの目の前にもう一皿が運ばれてくる。
「ちゃんとハルトシの分も注文しておきました」
「おおう……」
さすがに丸ごと一つはハルトシには多い。キヨラの細い身体のどこに食後の甘味まで入るのか不思議だが、平気な顔をしてキヨラは口をつける。
「やはり訓練の後のこれはたまりませんね」
キヨラは喜びを抑えきれないようにその面を笑みで彩りながら、食後の甘味を頬張っている。
ハルトシも覚悟を決めて肉叉を手に取った。
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