第二章 謀略の蕾

第1話 天才少女、ウタカに根差す陰影

 翌朝、ハルトシは書き上げた報告書をノギ隊長に提出して昨日の出来事を報告していた。


「やはり、気になるな。〈光の民〉と〈喰禍〉を同じ場所で見かけたというのは」


「はい。しかも、それが秩序派の〈禍大喰〉であるカンパネルラの監視役でした」


 執務席に腰かけるノギは考え込むように顎を伏せた。その際に眼鏡がずり落ちたが、それを気にかけることも無い。


 しばしの思索を経たノギは顔を上げてハルトシを見やる。


「ハルトシ君。済まないが、その〈光の民〉の身辺について調査してもらいたい」


「はい。了解です」


「君と行動を共にするのはクシズ班にしよう。当該の〈光の民〉を目にしたのはクシズ班だというし、正直言ってまともに動けるのはクシズ班しかいないからな」


「そうですね。〈プラツァーニ戦役〉の影響がまだ残っています」


 半年前の〈プラツァーニ戦役〉には三番隊も出征している。その際にカラコ班とミツカ班の班員は重傷を負い、まだ回復していないため内勤を主な任務にしていた。


 まともに動けるのはクシズ班だけであり、どうしても重要な任務はクシズ班に回ってきてしまう。その分だけクシズ班に負担が生じることをノギは憂いているようだった。


「クシズ班ばかりに負担を強いて済まないとは思うが、そうしないと手が回らないのだよな」


「彼女たちなら分かってくれますよ。口では文句が多いですが、人を守りたいという熱意は人一倍ですから」


「私も、それは重々承知しているよ」


「報告は俺からしておきます。今日は例の〈光の民〉の調査に向かうということでいいのですね」


「ああ。シロガネ大聖堂へも調査の件は報告しておこう。サカキも〈禍大喰〉の監視役に選出されていたから、何かあったら彼を頼るといい。気兼ねすることはない」


「了解しました」


 思い出したようにノギがずれた眼鏡を指先で押し上げたのを見届け、ハルトシは執務室から出て行った。


 昨夜、別れ際に指定した東棟の玄関口でハルトシが待っていると、珍しく最初に現れたのはウタカだった。


「ハル君、お待たせー」


「いや、待っていないよ。それよりウタカがこんなに早いなんて珍しいな」


「ウタカが早いんじゃなくて、キヨラちゃんが遅いの。エッヘッヘ」


 ウタカが楽しそうに笑い、ハルトシが目を丸くして尋ねる。


「朝から機嫌がいいじゃないか。何かあったのか?」


「昨夜は大収穫だったんだ。キヨラちゃんを酔わせて、あんなことやこんなことを聞き出す作戦が成功してさ。キヨラちゃんから色んなことを聞いちゃった。エヘヘ」


「まったく、任務があるんだから深酒なんかさせるなよ」


「キヨラちゃんはそんなに軟弱ヤワじゃないよ。それより聞きたい? 聞きたい? キヨラちゃんがどんな服で寝るかとか、愛用の下着がどんなとかさー」


「……いや、いいよ」


 少し間が空いたが何とか理性を総動員したハルトシが断ると、ウタカは残念そうに唇をすぼめた。


「えー、何でー? せっかく聞き出してあげたのにー」


「頼んでないだろ」


 ウタカは気を取り直したのか、キヨラから聞いたことを想起して忍び笑いを漏らしている。ハルトシはその様子を呆れて眺めた。


 ハルトシは戦団に所属して一年近くになり、その間ウタカやクシズと交友を深めているが、未だにウタカの捉えどころのない性格には手を焼いている。


 ウタカはその屈託ない性格が長所であるものの、その実は内面に軽薄さが含まれている。適当に振る舞っていても誰とでも交友関係を築けるため、逆に言うとウタカは誰かと仲良くなろうと本気になることはない。


 本気にならない、というウタカの陰は他にもその暗い顔を覗かせることがある。


 ハルトシはウタカの経歴を思い起こした。


 ウタカはムラクモ都市国家同盟に所属する都市の一つ、キラシロの出身である。キラシロは商業の発展した都市であり、交易や行商で富を得た富裕層が多い。


 ウタカも例に漏れず裕福な家庭で育ち、幼い頃からその地位に応じた勉学に励んできた。

 ウタカの特筆すべき点は勉学や運動など多彩な方面に才能が有り、努力せずとも他人より優れた成績を出せるところだった。


 その突出した才能により、何事も努力しないで他人を凌ぐ能力を持つ天才少女ウタカが、何かに対して本気になることなどあるはずが無い。その才媛故の悲しさか、努力を知らず、本気になることも無い言動には軽薄さが付きまとう。


 さらにウタカの闇は他人に対しても向けられた。本気で物事に取り組む人物へとウタカが笑いかけるとき、それは冷笑の色を帯びるときがある。


 努力知らずのウタカには、一生懸命な他者の姿が滑稽に映るのだろう。生真面目なキヨラを見るウタカの瞳に、嘲りが宿っているときがあることにハルトシは気付いている。


 決してウタカはキヨラを見下してはいない。ただ無意識にウタカの陰が発露してしまうのだ。


 ハルトシの双眸が翳りを帯びていることに気がついたのか、ウタカが怪訝な顔を向ける。


「どうしたの?」


「……なんでもない」


「変なの」


 へらへらとウタカが笑っていると、通路を踏み鳴らす足音が二人の耳朶を打った。


「ごめんなさいー。今日のお守りを選ぶのに時間がかかってしまってー」


 相変わらず屋内でも日傘を差したクシズが小走りに近づいてくる。


「みんな揃っているわねー。さー、早く出発しましょうー」


「待って待って。まだキヨラちゃんが来ていないよ」


「えー? キヨラさんが遅いなんて珍しいー。珍事だわー、稀有だわー」


「キヨラちゃんは昨夜よく飲んでいたから。ちょーっと、お酒が残っていても仕方が無いよ。クシズちゃんみたいな底抜けバケツと一緒にしたらダメでしょ」


「もう、その言い方は止めてー」


 クシズが頬を膨らませて抗議し、不都合な話題を逸らすように口を開く。


「それよりー、さっきマリカちゃんと会ったのよー。今日はマリカちゃんの方から話しかけてきてくれたのー。あのお土産も嬉しいって言ってくれたわー」


「へー、よかったね」


「うんー。そう言えば、今日は〈喰禍〉と一緒にいた〈光の民〉を調査するって話したら驚いていたわー」


 クシズが楽しそうにマリカとの会話について語る。


「マリカちゃんは、今日も会う人がいるって言ってたー。最近はマリカちゃんも外出するようになったのねー」


「そっか。マリカも立ち直ろうとしているんだな」


 ハルトシが感慨深そうに言った。マリカの傷心が癒されているとすれば、その一因にはクシズの心遣いがあるはずだった。


 そのとき、近寄ってくる足音を聞いて一同がその方向に視線を向ける。


 ウタカが小首を傾げてハルトシに尋ねた。


「あれ誰だっけ?」


「キヨラだろ」


 一見すればそれがキヨラだと分かるのだが、ウタカが疑うのも無理なかった。


 常の端然とした姿はどこかへ消え失せ、面を伏せて弱々しく足を運ぶ姿はいつものキヨラから想像しがたい。信じがたいことに、髪の一部が逆立って寝ぐせを直すこともしていない。


「お、おはようございます。お待たせしてしまった……ようで申し訳、ありません……」


「体調が悪そうだけど、大丈夫か?」


「いえ、少し飲み過ぎただけです……。やはり、最後の一杯は余計でした……」


 キヨラは健気に歩を進めて出口を潜る。それを見送ると、三色の瞳が互いを見交わした。


「どうすんだよ。ウタカが飲ませ過ぎたせいだろ」


「うーん。レイシュって思ったより度数が高いみたいだね。ウタカの計算外だった」


「そこじゃなくて。もし敵と戦うことになったら、どうするんだ? あれじゃ頼りにならないじゃないか」


「えー? そんなこと言われてもな。クシズちゃんだって、キヨラちゃんにお酒を勧めていたし、ウタカと同罪。いや、元凶はクシズちゃんでしょ。だって、底抜けバケツのクシズちゃんに勝てる相手なんていないよ?」


「ひどいよ、ウタカー。えっとー、うんとー、でもキヨラさんも楽しそうだったしー、不可抗力というかー……」


 言い訳するクシズの一言を聞いてハルトシが両眼を見開く。


「キヨラが楽しそうだった?」


「はいー。キヨラさん、よく笑っていましたものー」


「ふーん。じゃあ、仕方がないか」


 ハルトシの言葉を聞いたウタカが問い返す。


「し、仕方がない⁉ いいの? それでいいの⁉」


「キヨラが楽しそうだったんなら、いいだろ? 二人ともキヨラの仲間なんだから、しっかりとキヨラの援護をしてくれよ?」


 ハルトシはそう言って玄関を出て行った。

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