第10話 平穏な夜の乾杯

 すでに太陽は地平にその姿を消し、天空の支配権を月に譲り渡していた。


 昼間は秩序の仮面を被っていた人々も、夜の暗幕を潜るとその仮面を外して享楽と狂乱の世界に溺れる。快楽と酩酊を享受する群衆が地上を蠢いていた。


 全知性類会議の見学から帰った一同は、〈光の民〉と〈喰禍の〉思わぬ繋がりの疑惑を背負ったまま食事を共にした。


 ハルトシは報告書の作成のために戦団本部へと戻っている。報告書作成などの事務的な役割を担うのは、基本的に年長者が多い男性〈花守〉だった。


 キヨラたち三人はハルトシと別れた後、酒場に移動して二次会を行っている。


 目抜き通りから外れた路地裏に地下へと通じる階段があり、その先に酒場が存在する。喧騒から隔離されて静謐に包まれる酒場は行きつけの〈星屑の庭園〉であり、店内の角に位置する八番席がいつもの場所だった。


「でもー、今日は不思議なことばかりだったねー」


 酒精が回って顔が赤くなっているクシズが言った。色白なだけに頬の赤みが際立っており、常より色っぽくなっている。


「森で偶然見かけた〈光の民〉が、全知性類会議に出席する〈禍大喰〉の監視役だったんだよね。しかも、その〈光の民〉は〈喰禍〉と同じ場所にいた。やっぱし、気になるね」


 クシズの隣に座るウタカが相槌を打った。


 二人の対面に腰かけるキヨラが酒杯を手にして応じる。


「ハルトシも気にしていました。報告を受けたノギ隊長がどう判断するかですね」


 そう言うとキヨラは酒杯に唇をつける。キヨラが好むのは出身地のイザヨイの名産である、米の醸造酒であるレイシュだった。

 透明で口当たりが驚くほど柔らかく、芳醇な香りと甘みのある酒だ。


「恐らくは、あの〈光の民〉の調査を命じられるのではないかと思っていますが」


「ウタカもそれには同意だなー。あの〈光の民〉は怪しすぎるもん。考えたくはないけど、〈光の民〉が〈喰禍〉と共謀して何かを狙っているなんてこともありうるからね」


「今はー、全知性類会議開催中だからねー」


「〈光の民〉と〈喰禍〉、そして全知性類会議……。嫌な予感がします」


 三人の物騒な会話を聞き咎める者はいない。


 不粋な大声を放つ酔漢はおらず店内は静かだが、円卓は離して設置されている。そのため声が聞こえてもよほど注意していないと、会話の内容までは分からないだろう。


 店内は広く、店主が働く調理場と客席を隔てるカウンターの他に円卓が幾つも設置されている。客席はすべて埋まっており、静かな会話が背景音となっていた。


 店内の内装は木材でできており、磨き抜かれて光沢のある木調に清潔感がある。光源は壁面に配置されている燭台で、壁にはめ込まれた鏡が天井や床に向けて光を反射しているため、店内は充分に明るい。


 重くなりがちな会話を嫌ってウタカが明るい声を発した。


「さあーさ、つまらない話は止めようよ。どうせ明日からは嫌でも考えないといけないんだからさ。……あ、クシズちゃんお代わりは? キヨラちゃんも同じのでいい?」


 そう言ってウタカは手を挙げて店員を呼び、酒の追加を頼んだ。


 店員が去ってからキヨラが感心して言う。


「ウタカさんはよく気が回りますね。私などはとても……」


「べっつにー。こういうのが好きなだけだよ。どうせなら楽しんでほしいから」


「ウタカは何でもできるものねー。頭もいいし、運動もできるしー、本当に凄いのよー」


「そんなのいいよ。それより、クシズちゃんはたくさんお土産を買ったね」


 露骨に話題を変えられたがキヨラとクシズは気にしなかった。賞賛されても、それを誇らないところはウタカの長所だろう。


「だってー、たくさん露店があったから目移りしちゃってー。欲張りすぎたかなー?」


 クシズの足元には多くの品物を詰めた紙袋が置かれている。


「マリカちゃんのお土産も買わないといけないしー、あとはカラコちゃんたちと、ノギ隊長とー、ハルトシさんのとー、……あッ!」


 クシズが常にない大声を上げる。驚いた周囲の視線を感じながらキヨラが問い返した。


「どうしたのです?」


「自分のお土産を買い忘れちゃったのー……。シクシクだよー」


「『しくしくだよ』?」


「悲しいってことだよ」


「はあ、なるほど」


 ウタカの注釈を聞いてキヨラが頷く。


「やっぱり今日の運勢は悪かったんだわー。四羽の鳥が北から南に飛ぶのを見たからー」


「まあ、それくらいで済んでよかったではないですか」


 そのとき、先ほど注文した酒が運ばれてきた。


 キヨラはレイシュ、ウタカはウイスキイを手にしてクシズに葡萄酒を握らせると、朗らかな声を放つ。


「さ、どんどんいっちゃいましょー。改めてカンパーイ!」


 三人がそれぞれの酒杯を打ちつけ、軽やかな音とともに三色の酒が揺れて光輝を放つ。


 キヨラは自身が笑みを浮かべていることに気付いていない。


 三人の夜はこうして更けていった。

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