第7話 キヨラの〈開花〉

「手早く片付けます。ハルトシ、〈開花〉させてください」


「分かった」


 キヨラが小太刀を握った右手を上げ、ハルトシがその手の甲に接吻する。


 突如、キヨラの五体から〈ハナビラ〉の奔流が溢れ出た。それに連動して深紅の光を帯びた小太刀の切っ先が延長され、その長さは刀ほどになる。


 さらにキヨラの衣服の袖口から幾筋もの赤い線が走ると、その線は衣装の襟や裾まで伸びた。脈動するように、一定間隔でその線に沿って赤い光が走っている。


 それがキヨラの〈開花〉した姿だった。


「ありがとうございます。これであの程度の敵、斬るなら簡単です」


 その語尾とともにキヨラが掻き消え、次にその姿を現したのは標的に定めた甲蟲の前だった。真正面からキヨラの右手の小太刀が振り下ろされ、甲蟲の眼球ごとその本体を斬り割る。


 黒き塵を浴びるキヨラの威容を目にし、臆したように甲蟲が動きを止めた。


「この加護がある限り、あなたたちは私に傷一つつけられません」


 再び深紅の帯を描いて移動したキヨラが別の甲蟲を仕留める。樹の間を縫って駆け抜けるキヨラが小太刀を振るごとに、甲蟲は着実に数を減じていった。


「なあ、ウタカ。見ているだけじゃなくて手伝わないのか?」


 キヨラの戦いを見学しているだけのウタカに問いかける。


「こう遮蔽物が多い場所だと、ウタカの射撃は却ってキヨラちゃんの邪魔だよ。それにキヨラちゃんの加護があれば、甲蟲なんか相手じゃないって」


「確かにな。〈高潔なるはやき者〉か」


 加護とは、〈花守〉が有する異能のことである。世界を創造した女神から〈花守〉に与えられた特殊能力であると考えられており、個人によって発現する現象は異なる。


 加護の〈高潔なる迅き者〉により、キヨラは数メートルの距離を一瞬で移動できる超高速移動を可能としている。十数メートル圏内ならば、連続使用して一秒足らずの間で移動することが可能だ。


 瞬く間に、見守るハルトシたちの目前でキヨラが甲蟲を全滅させていた。


 最後の甲蟲を塵へと帰したキヨラは、それでも油断せず残心として両手の小太刀を構える。数秒の間を経て、敵が全滅したと確認すると構えを解いた。


 キヨラはさすがに加護の乱用で息切れしているが、戦団内で〈一陣のあかき孤剣〉という綽号しゃくごうを有するに相応しい力量を示した。


「終わりました」


「キヨラちゃん、お疲れ様」


「すごいですー」


 三人へと歩み寄るキヨラだったが、背後に何かの気配を察したように立ち止まる。

後ろを振り向いたキヨラの緊迫に気付いたハルトシたちも、怪訝な表情で森の奥に視線を投げた。


 その場の全員に重々しい足音が聞こえる。


 その音が近づくとともに地面から伝わる振動が四人の五体に響き、樹々が揺れて葉が慄くように舞う。


「騒がしいが、何かあったのか?」


 その声とともに大樹の後ろから現れたのは、軽く身長三メートル以上はあろうかという大男だった。紺のズボンと白い襯衣シャツを着用しているが、その巨体が異質であった。


 金色の髪と紺碧の瞳を有する大男がキヨラたちを目に映し、戸惑ったように口を開いた。


「人類……? なぜ、こんなところに?」


 キヨラが警戒して小太刀の切っ先を大男へと向けている。


「あなたは何者です?」


「お前たちには関係のないことだ」


 大男は慌てて立ち去ろうとする。その背へハルトシが呼びかけた。


「あ、あんた〈光の民〉じゃないのか? あんたこそ、どうしてこんなところで〈喰禍〉と一緒にいるんだ?」


「別に一緒にいたわけじゃあない!」


 大男が振り返って口走ったその大声に、ハルトシたちが身を竦ませる。


 反論したことを後悔したように大男が口元を歪ませると、踵を返して急ぎ足に遠ざかっていった。地鳴りのような足音が去っていくと、キヨラは緊張を解いて小太刀を納める。


「怖かったー。ハルトシさん、あれが〈光の民〉なんですかー」


「見たことは無いけど、人間に化けているときの〈光の民〉は巨人の姿をしていると聞いたことがある。それに〈光の民〉であることは否定しなかった」


「でもさ、〈喰禍〉と一緒にいたってことは力一杯否定していたよね? あの慌てようだと、ハル君の質問に言質をとられたって言ってもいいんじゃないかな?」


 ハルトシは考え込むように目線を沈めた。


 有害指定知性類に分類されている〈喰禍〉は、無差別に〈ハナビラ〉を食い尽くし、世界を枯れさせていく存在だ。例外を除いて他の知性類とは敵対関係にある。


 対して〈光の民〉は、まだ人類が文明を築いていなかった時代から庇護者的立場をとっている。人類とは同盟関係であり、他の知性類とも友好関係にあった。


 決して〈喰禍〉と〈光の民〉は相容れない関係である。その両者が一緒にいるということは、考えられないことだった。


「ハルトシ」


 名前を呼ばれたハルトシは、物思いから意識を戻してキヨラへとその茶色の瞳を向けた。


「さっきの件、どう思いますか」


「うん。〈光の民〉は普段ならばこの辺にいないだろうけど、今は知性類会議のために各地から知性類が集合しているからな。何かの理由で迷い込んだということも考えられるし、帰ってからノギ隊長に報告することにしよう」


「あなたがそう言うのならば、私は構いません」


 キヨラは〈光の民〉については拘泥することなく頷いた。こういった切り替えの早さも、キヨラの性格である。


「ウタカも放っておいていいと思うな」


 横からウタカが口を出す。その言動から想像しづらいが、ウタカはクシズ班で一番の知性派であり、彼女が危険性は無いと判断しているならハルトシも安心して同意できる。

 単に知性類会議に行きたいため、多少の不審を看過しているだけかもしれないが。


 とにかく、全員の意見は一致した。この森に出没していた〈喰禍〉を排除した以上、この場に留まる必要は無い。


「それじゃあ、知性類会議の見学に行こうか」


 ハルトシの言葉にウタカとクシズが賛成の声を上げ、キヨラも静かに首肯した。

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