第4話 ちょっとしたお仕事の下命

 翌朝、ハルトシはノギ隊長の執務室を訪れた。


 扉を叩いても返事が無いため、勝手に扉を開けてみたがノギは不在だった。ハルトシは執務室に入ると来客用の長椅子に腰かける。上質な革張りの椅子で、座ると腰が深く沈む。


 ハルトシは所在無げに室内を眺めた。


 執務室の中央には来客用の長椅子と卓が据えられている。扉の反対側の壁際には執務机が位置し、机上には本や書類が積まれていた。壁際にも書物が詰め込まれた本棚が並び、ノギの学識を垣間見せる。


 執務机側の窓から差し込む朝日が床を白く染め上げていた。その場を満たす静寂にハルトシが身を任せていると、扉を叩く音が室内に響く。


「はい」


 反射的にハルトシが声を上げると、扉を開いて入室してきたのはキヨラだった。


「あ、ハルトシ? もう来ていたのですか」


「ああ。でも、ノギ隊長は離席中みたいだ。ま、座って待っていよう」


 キヨラはどこに座るか迷うように立ち尽くし、わざわざ遠回りしてハルトシの斜め前に腰を下ろす。


 それからキヨラはハルトシから顔を背けるようにして窓外の風景を眺めていた。にべもないキヨラの態度にハルトシは胸中で溜息を吐く。


 キヨラは三ヶ月前に他の隊から編入してきた。任務によって重傷者が出た人員を穴埋めするための異動だった。


 キヨラが加入したことでクシズ班の戦力は補強されたが、また別の問題を抱えることにもなる。


 キヨラは他人と交流を深めることに関心が少ない人物のようで、まだハルトシはキヨラと打ち解けることはできないでいる。


 ウタカとクシズも積極的にキヨラと過ごす時間を作ろうとしているようだが、キヨラ自身は強引な二人に対して引き気味であるとハルトシは感じていた。


 そういったわけで、キヨラ・ベルガモット・ソーマとハルトシは静寂に包まれて部屋の主を待っていた。


 そのうち扉を通してよく響く声が二人の耳朶を打ち、ウタカが姿を現す。その後ろからクシズも顔を見せた。


「二人とも早いね」


「ノギ隊長はー、まだいないんですねー」


 そう口々に言いつつウタカはハルトシの正面、クシズはハルトシの横の席に腰かけた。


 それから間もなくして扉が叩かれたが、誰も入室してくる気配が無い。ウタカが立ち上がると軽やかな足取りで扉を開いた。


「いや、すまんね。両手が塞がっていたものだから」


 入室してきたのはノギだった。その両手は茶器を乗せた盆を掴んでいる。

 進み出るノギの後ろでウタカが扉を閉める。ノギは卓上に銀製の盆を乗せると、陶製の容器にお茶を注ぎ始めた。


マンネンロウローズマリーだが、嫌いな人はいないだろう?」


 みんなが首肯するとノギはお茶を配り、自身も容器を手にして執務席に座った。


「私の好みですまないが、遠慮せずに飲んでくれ」


「いやあ、わざわざありがとうございます」


 ハルトシに続いて三人も礼を口にするとマンネンロウを飲み始める。


 マンネンロウ。キヨラの出身地では〈万年郎〉とも書き、永遠の若者を意味する。その名前通り高い抗酸化作用があり、老化防止に効果があるとされていた。さらに、すっきりした爽やかな香りと味わいが集中力を高める。


 ノギが好み、よく来客に出すお茶であることは有名だった。


「……それでは本題に入らせてもらおう」


 その言葉を聞いてハルトシたちがノギに目を向ける。


「今日、君たちに来てもらったのは他でもない。任務を頼みたかったからでね」


「はいー。私たち、今日は内勤の予定だったのですけれどー」


「ま、すまないと思っている。だが、たいした任務ではないから安心したまえ」


 ノギは一枚の紙片に目線を落とした。


「ヒカリヨの東門から街道を辿ると森林に入るのは知っているな?」


「はい。歩いて二時間ほどの距離でしたかね」


「数日前からその森に〈喰禍〉が出没しているとの情報があってね。その〈喰禍〉たちを討伐に行ってもらいたい」


「ヒカリヨ周辺に〈喰禍〉ですか? 珍しいですね」


 ヒカリヨは〈花の戦団〉本部の所在地だけあり、周辺の〈喰禍〉はほぼ掃討されている。ヒカリヨから徒歩で数時間の場所に〈喰禍〉が出現するのは稀有なことだ。


「うむ。〈喰禍〉の数は二十体ほどで、下級のものばかりだということだ。何かの拍子に迷い込んできたのかもしれん」


「つまりは、ヒカリヨ東の森林に出没している〈喰禍〉を討伐する任務というわけですね。その敵の規模も大きくはない。ま、簡単な話に思えますが」


「その通りだ。今から出かければ、運が良ければ昼過ぎには帰ってこられるだろう。今日の任務終わりと明日を休暇にするということで、手を打ってくれないか」


「……私は特に異論はありませんが?」


 キヨラがそれとなく一同を見渡す。まず同意の声を上げたのはハルトシだった。


「俺も、いいんじゃないかと思うけど」


「わたしも、仕方がないと思いますー。今日はまだ不運の兆しはありませんしー」


「みんながそう言うなら、ウタカもいいよ」


 ノギはその細い面に喜色を浮かべた。その眼鏡は再びずり落ちている。


「ありがたい。本音を言うと、君たち以外に動ける人間がいないのでね。助かるよ」


「そんなにみんな忙しいんですか?」


「ここ最近、各地で〈喰禍〉が活発化しているらしい。他の部隊も遠征をしている者が多くて、手が回っていないのが現状だ」


「はあ。それは、まあ、仕方がないですね」


「では、頼んだよ。私はこれから書類の整理があるから」


 そう言うと、ノギは机上に積まれている紙片に筆を走らせていく作業を始めた。


「それじゃあ、行ってきます」


「ごちそうさまでした」


「おいしかったですー」


「行ってきまーす」

 ノギはずれた眼鏡を気にもせず、騒々しく去っていく四人を見送っていた。

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