第3話 〈背狂者〉サカキの来訪

 会話が落ち着いて食事を進めていたハルトシが、ふと思いついたことを口走る。


「そう言えば、今日はその知性類会議に関係のある人がここに来ているという話だったな」


「まあー、会議の出席者だったら、凄く有名な人かもしれませんねー」


「でも、なんで戦団の本部なんかに来ているの?」


「いや、そこまでは知らないなあ。ノギ隊長がそう話しているのを聞いただけだからさ」


 ハルトシが首を横に振ると、頷いたウタカが身を引いた。その代わりにキヨラが口を開く。


「そうでしたら、ノギ隊長本人に聞いてみればいいのでは?」


「もうすぐ昼休みも終わっちゃうし、そこまで興味も無いよ」


「何に興味が無いんだ? ハルトシ君」


 いきなり背後から聞こえた男性の声に、ハルトシは驚いて反射的に立ち上がった。

 振り向いたハルトシの目前にいたのは二人の男性である。


 一人は細身の体格に金髪碧眼をした四十代の中年男性だった。かつて多くの女性を虜にしたであろう面影を残す容貌は、慢性的な疲労によってその魅力を過去のものにしている。


 男性はずり落ちている眼鏡を指先で押し上げているが、直した後から眼鏡はゆっくりと下がっていく。


〈花の戦団〉三番隊隊長、ノギ。ハルトシたちの直属の上司であった。


「ああ、いや、これはノギ隊長! 本日もお元気そうで何よりです」


「嫌味かね」


「そんなことはございませんですよ! いやはや、ノギ隊長のおかげで俺たちも仕事に精励できるというもので、感謝のしようもありません。はっはっは!」


 ハルトシは堅物のノギ隊長のことを苦手としていて、とにかく言葉を発して失言を誤魔化そうとした。


「まあいい。君たちに紹介したい人がいるのだ。戦団の本部を案内していたら、君たちが目に入ってね」


 そう言って、ノギ隊長が後ろにいた人物へ進み出るように手招きした。


 それに合わせてハルトシも姿勢を正す。横を見やるとキヨラたちは依然と座ったままお茶を手にしているので、それとなく目線と手で立ち上がるように促した。


 最初に気がついたクシズが慌てて立ち上がり、クシズに袖を引かれたウタカが仕方なしに席を立つ。二人に合わせてキヨラも腰を上げた。


「こちらは、明日から開催される知性類会議に出席する要人の付き添いをされている、サカキさんだ。五年前まで戦団に在籍していた君たちの先輩でもある」


「サカキ・ナルコと申します。以前は戦団に在籍しておりましたが、現在は要人警護の任に当たっています。どうか、よろしく」


 サカキと名乗った人物は三十代中盤の男性だった。後ろに撫でつけた白い頭髪に赤い瞳を持っている。右目の瞳には瞳孔の周りに四つの黒い点があるのが異様だった。


 細身の長身をした体格のサカキの顔を見るためにキヨラたちは顎を上向けなければならない。その顔は切れ長の双眸と高い鼻梁が印象的であり、怜悧な雰囲気を帯びていた。


「あ、これはご丁寧に。私は三番隊所属のハルトシ・トーダと申します。後ろの三人は三番隊のクシズ班です」


「サカキさんは三番隊に所属していてな。昔は私の部下だったんだが、都市国家同盟の要職警備組織に栄転した、戦団きっての人材だ」


「ノギさん、大仰に言われては困る。私などは所詮、〈背狂者はいきょうしゃ〉に過ぎません」


「〈背狂者〉ー⁉ あなたが、あのー?」


 クシズが驚愕の声を上げる。ウタカとキヨラの頭上に疑問符が浮いているのに気がつき、クシズが小声で説明する。


 昔、〈花の戦団〉には〈背狂者〉という有名な人物がいた。


 その人物は、元々精神に異常を来していた。夢遊病者のように虚ろな表情で街を歩く姿はヒカリヨ市内でも噂になっており、風変りではあるが無害な人物として放っておかれていた。


 ただ、その人物は〈花守〉としての才能があり、あるとき〈ハナビラ〉を大量に収集した。〈ハナビラ〉は万物の根源であるが、人間がその身体に過剰に収集すると精神や身体に異常を来してしまう。


 その人物は元から狂気の世界に身を置いていたため、〈ハナビラ〉を大量に収集して狂った意識は、逆に正常な世界へと彼を連れ戻した。

 正常な精神を手に入れた彼は能力を生かすため〈花の戦団〉に入団し、その優れた実力によって頭角を現した。


〈背狂者〉サカキ・ナルコ。彼の名前と経歴は〈花の戦団〉でも有名なものだった。


「お恥ずかしい限りだ」


「いえー! あなたのような有名な方に会えるなんて光栄ですー」


 気恥ずかしそうにサカキは白い頭髪を撫でる。


「本日はどのようなご用でここにいらしたのですか?」


「いや。特に用は無かったのですが、ヒカリヨまで来るのは久しぶりでしたのでね。今度はいつ来られるか分からないということもあって、古巣を覗きに来たまでです」


「ああ、なるほど」


「ここは私がいたときと変わりません。この世界を守るために戦う人々の活気に溢れている。実に懐かしい」


 サカキが細い両眼に懐古の色を帯びさせて周囲を見渡した。


 そこへノギ隊長の声が割って入る。


「サカキさんも忙しいのでな。挨拶はこれくらいにしておこう。では、サカキ、行こうか」


「はい。……みなさんも、機会があればシロガネ大聖堂にお出で下さい。運が良ければ案内くらいはできるでしょう」


「はーい。私たち、明日見学に行くつもりなんです」


 ウタカの言葉を聞いたサカキは口元を綻ばせる。


「それはそれは。楽しみにしています」


 そう言ってサカキは踵を返す。ノギとサカキは並んで歩き出したが数歩を行ってノギが振り返った。


「忘れるところだった。明日は君たち内勤の予定だったが任務が入った。明朝説明するから、私の執務室に来るように」


 四人の不平の声を背中に浴びながら、ノギ隊長はサカキを伴って階段へと姿を消していった。

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