まさかの近距離

 ずるずると、何かが自分から引き剥がされていくような感覚。

 そんな不快感に耐えること、しばらく。



「―――はい、もういいよ。目を開けて。」



 優しい声が、意識を引き上げてくれた。



「ん…」



 うっすらと目を開けた実を出迎えたのは、不安げな表情でこちらを見下ろすレイレンと尚希の顔だった。



「え、近いんだけど……」



 正直な感想だった。

 だがそう言ったところで、彼らの表情も距離感も変わることはなかった。



「実、大丈夫? 体、なんともない?」

「なんか、内側に違和感ないか? 何かが居座ってる感覚とかあるか?」



 二人して、急にどうしたのだ。

 状況についていけず、実は眉を寄せるしかなかった。



「いや、特には……」



 試しに動かしてみた体には違和感もなかったので、ひとまずそう答える。



「ほんとに? ほんとにほんと?」

「だ、大丈夫だって。それ以上寄るな、気持ち悪い!」



 ずいっと距離を詰めてくるレイレンに、実は思わずそう言って、その顔を押しのけた。



 本当に気持ち悪い。

 そんな、本気で心配するような態度で迫ってこないでくれ。

 明日、猛吹雪でも来たらどうする。



「大丈夫、なんだな?」



 尚希にも念を押すように問われ、実はぎこちなく頷いた。



「だから、大丈夫ですって。……一体、何なんですか?」



 状況が丸っきり見えないのだから、嘘のつきようもないではないか。

 訳が分からず、実が怪訝けげん深そうに顔をしかめていると……



「―――よかったぁ……」



 レイレンと尚希が、揃って安堵の息を吐いた。

 二人はそのまま床にへたり込み、疲労困憊こんぱいといった様子で全身の力を抜いている。



「一時は、どうなることかと……」



 額に浮いている脂汗を拭う尚希。



「いやぁ、しぶとかったね。僕だけじゃ、どうにもならなかったよ。ははは……」



 レイレンは空笑いをしながら、顔を扇いでいる。



「レイレンさんが最後の関門だって言った理由が分かったよ。今までよく一人でやってたよな、こんなこと……」



「いや、実の場合が特殊なの。普通、〝フィルドーネ〟の力がここまで逆らわれることないから。」



「精霊に気に入られてるって、本気であなどれないな…。レイレンさんの手袋の意味が、今ならすっごく理解できる。」



「でしょ? キースも気をつけなよ。」



「こんなん経験したら、嫌でも気をつけるわ。」



「………?」



 勝手に話を進めないでもらえないだろうか。

 実は頭の中に大量の疑問符を巡らせながら、二人の会話を聞くしかなかった。



「おはよう。」



 ふと頭上から別の声が降ってきたのは、その時だ。



「あ、拓也……」



 真上から顔を覗き込んできた拓也を見つめ、実はふとあることに気付いた。



「わっ!?」



 慌てて飛び起きる。



「ご、ごめん!」



 反射的に謝ると、それまでずっと膝枕をしてくれていたらしい拓也は、なんでもないことのように首を振った。



「大丈夫だよ。うん、特に異常がないようで安心した。」

「異常がないって、拓也まで…。あれって、一体何があったの?」



 実は、未だに二人で話し込んでいる尚希たちを指し示して問う。



「ああ、あれ? さっきまでずっと、実の中に残った大地の呪いを回収してたんだよ。」

「えっ…」



 一瞬驚き、すぐに経緯が分かって納得する。



 そういえば、レイレンは自分の内側に入るために〝フィルドーネ〟の力を使ったと言っていた。



 床に投げられた手袋を見る限り、おそらく素手で自分に触れたのだろう。



「拓也は大丈夫だったの?」



「おれ? まあ、おれも多少は大地の呪いを引き込んじまったみたいだけど、お前と違って、呪いを除去するのにそんなに時間はかからなかったぞ。」



「ちなみに、俺はどのくらい……」



「一時間。」



「いっ、一時間!?」



 思わず叫ぶと、ようやくこちらに気が向いたらしい尚希とレイレンの視線が集中した。



「あ、えっと……」



 瞬時に湧く葛藤かっとう

 だが、義理は通さねばなるまい。



「お疲れ様……二人とも、あ、ありがとうございました。」



 そう言うと―――



「………っ!!」



 レイレンが目を輝かせて、感動を噛み締めるのが見えた。



「実が、素直にねぎらってくれたあぁ~♪」

「うぐっ…」



 想像していたものと寸分違わないレイレンの反応だったものの、実際にこんな反応をされると、どうすればいいのか分からなくなる。



 たじろぐ実をよそに、レイレンは夢見心地で両手を合わせた。



「昔は何があっても、お礼なんて言ってこなかったのに……成長したんだなぁ……」



「俺が礼を言わなかったんじゃなくて、あんたが礼を言われるようなことをしなかったんだよ! 変な誤解を生むようなこと言うな!」



「えええっ! あんなに様子を見に来てあげてたのに!?」



「その時は、大抵俺が迷惑をこうむってただろうが!!」



 何が様子を見に来てあげた、だ。



 こちらが体力で敵わないことをいいことに、無理やり膝の上に乗せたり、着せ替え人形にして遊んだのはどこのどいつだ。



 まあ、あの時の自分は記憶を手放して純粋な時だったし、レイレンに上手いこと乗せられていたケースがほとんどだったけど……



 今思い出すと、非常に腹立たしい。



 しかし、勢いでまくし立てた次の瞬間、それが全くの無意味だと思い知った。



「あああ…っ。エリオスがそんな顔しないって分かってる手前、そのすっごく嫌そうな顔がたまらないんだよねぇ~♪」



 レイレンが陶酔して、そんなことを言ったからだ。


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