苦しくて、切ないのに―――

 安らかな表情をする彼女の姿はやがてつたの色に染まり、完全に蔦の一部へと変貌する。



 それを自分の腕へと納め、尚希はじっと腕を見つめた。



 そこにあったのは、決意と覚悟を秘めた強い瞳。



 彼はその瞳を一度まぶたの向こうに隠し、ぐっと手を握る。

 そして次に、レイレンへと目を向けた。



「なんか思ったより簡単だったけど、こんなんでいいのか?」



 あっさりとした様子で訊ねる尚希。

 それに対し、レイレンは何故か表情をひきつらせていた。



「こんなんでいいのかって……やってから訊かないでよー。キース、今相当危ないことしたの分かってる?」



「いや?」



 何か問題でも?

 怪訝けげんそうな尚希の表情が、レイレンにそう訊ねていた。



「大地の呪いを使って精霊を取り込むのは、極力最終手段に取っとかないとだめなの。あの瞬間が一番、自分の心の守りがもろくなるんだ。下手すれば、心を食われるよ。だから本来は、ちゃんと先代に指導を受けてからじゃないと、その力を使っちゃだめなの。それなのに、君ったら僕から話を聞く前に勝手に大地の呪いを使っちゃってー…。母体クラスの精霊を取り込むなんて、それこそ自殺行為だったんだからね?」



 さすがに肝が冷えたのだろう。

 レイレンの表情からは、珍しくふざけた色が消えていた。



「レイレンさんが嫌われるのがいけないんじゃん。」



 にべもなく、尚希は事実を告げる。



「むむ…。そこを突かれると、何も言えないけどぉ……」



 レイレンは言いよどみ、すぐに溜め息をついて首を左右に振った。



「あー、言っても無駄なことに突っ込むのはやめよう。キース、覚悟しててね。これから一週間で、大地の呪いの扱い方を叩き込むから。」



「はいよ。」



 早々に方向を切り替えたレイレンに、尚希もまた全てを了承して頷いた。



「どういうこと…?」



 ふと、かすれた声が彼らの間に入る。



「なんで……尚希さんが〝フィルドーネ〟の力を使えてるわけ?」



 実は顔面蒼白で、尚希を見つめていた。



 見間違うはずもない。

 今のは完全に〝フィルドーネ〟の力だった。

 精霊を身の内に取り込んでも平気でいられるのも〝フィルドーネ〟だけだ。



 精霊を取り込んだ尚希が何事もなくここに立っていることが、彼の身に起こっていた変化を如実に表していた。



「尚希……えっ、お前、ほんとに…?」



 実の言葉から事態を察したのか、拓也の声にも驚きと困惑が混ざった。



「仕方ないじゃん。これが、実たちを助けるためにキースが受け入れたこと。精霊に引っ張られた二人と違って、僕らは〝フィルドーネ〟の力を使わないとここまで来れないんだから。」



「そんな……だからって……」



 実の唇が戦慄わななく。



「だからって、何も尚希さんを道連れにしなくたって―――」

「実。」



 取り乱しかけた実を止めたのは、尚希本人だ。



「全部オレの意志だ。レイレンさんは悪くない。」



 尚希は実の目をまっすぐに見つめ、一言一句を言い聞かせるようにはっきりと告げる。



「………っ」



 尚希の表情を直視して、実は思わず口をつぐんだ。



 語られる前に理解できてしまったのだ。



 尚希の言葉に決して嘘がないこと。

 そして、彼が自分に注いでくれている想いに。



「実が拓也のために命を賭けたように。オレのために走って、あのネックレスを届けてくれたように。オレも実のために何かがしたかった。そのためのものなら、いくらでも喜んで背負えるさ。お前だってそうだろう? 実。」



 ―――ああ、こんなにも……



 実は視線を下へと向ける。



 こんなにも苦しいものなのか。

 こんなにも切なくなるものなのか。



 それなのに―――こんなにも嬉しいものなのか。



 初めて、心の底から思い知った。



 自分のために、誰かが何かを犠牲にする。

 それが、こんなに重たく感じることだったなんて。



 なるほど。

 そういうことか。

 今になって、ようやく理解できた。



 桜理や拓也や尚希が言ったことは、本当だったのだ。



 こんな風に自分をなげうってまで助けに来られたら、もうどうしようもない。



 こんなに苦しくて切ないのに。

 なんでこんな馬鹿なことをしたんだと、全力でなじりたくもなるのに。



 それでも、その気持ちが嬉しくてたまらない。



 ここまでされたら、その想いに少しでも応えられたらいいと、同じ想いを返したいと、そう思ってしまうではないか。



 初めから、やり逃げなんてできるはずもなかったんだ。



 拓也が言うとおり、自分が皆に振りまいていたのは筋違いな優しさだ。



 遠ざけたいと思いながら、何度も自分のエゴで手を伸ばした結果、皆を余計に自分へ縛りつけてしまっていたのだから。



「…………ほんと、馬鹿ですよ。みんな。俺なんかのために。」



 少しだけ。

 ほんの少しだけ、意地を張らせてほしい。



 嬉しい気持ちの中に、ささやかな恐怖がまだしぶとく居座っている。

 それを乗り越えるには、まだ少し時間がかかりそうだ。



 だから今は、まだほんの少しだけ……


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