第5章 現実へ

彼女を招く腕

 実の体から弾き出されてしまった精霊は、目が覚めた瞬間に全てを理解したのか、行き場を探すようにおろおろと狼狽うろたえていた。



「ごめんね。」



 実は彼女の頬に、優しく手を添える。



「言ったでしょ? 俺には、君と一緒にいてあげられる資格がないって。無理に一緒になろうとしても、俺は消えるだけなんだよ。ここまでやったんだ。自分の目で見たんだから、それは信じてくれるよね?」



「………」



 彼女は何も言わない。

 ぽろぽろと大粒の涙を流す彼女の頭を、実は何度もなでてやる。



 きっと、彼女も身にみて分かったはずだ。



 自分は、彼女が望むような形で傍にいてやることはできないと。

 一つになったとしても、ずっと一緒だという実感は決して得られないのだと。



 うなだれる彼女の姿を見ていると、それが伝わってくるから切なくなる。

 自分は、彼女に何もしてあげられないと思い知らされるから。



 実の表情に影が差す。

 ふと誰かの気配が近付いてきたのは、その時だった。



「いやぁ、拓也君お手柄だよ。僕たちが出る幕なんてなかったね。」



 拍手をしながら近寄ってきたレイレンは、にっこりと笑った。

 そんな声を聞きながら、まだ肝心な問題が解決していないことに思い至る。



「レイレン。この子、どうするつもり?」



 実は少しの警戒心を滲ませながら訊ねる。



「んー、どうするつもりって…。実は帰ってきたし、別に悪いようにするつもりはないんだけど……」



 そこで、ちらりと精霊を一瞥いちべつするレイレン。

 すると、彼女は大袈裟なほどに体を震わせ、実の胸の中へと身を隠してしまう。



「僕、この子に好かれてないみたしだしなぁ。」

「そりゃ、あんなもんを見せられたら怖いだろうよ。」



 突っ込んだのは尚希だ。

 レイレンは唇を尖らせる。



「だって、自分には嘘つけないしー。それに、悪いことした子にはおきゅうが必要ってもんでしょー。」



「はいはい。じゃ、今回はそれがいき過ぎてたってことで。」



 レイレンの抗議を軽く流すように手を振った尚希は、彼を置いて足を進めた。

 ゆっくりと歩み寄り、実と精霊の傍に片膝をつく。



 精霊をかばうように身を固くする実と、実にしがみついて怯えている精霊。

 そんな二人と丁寧に目を合わせ、尚希はその顔に優しげな微笑みを浮かべた。



「おかえり。二人とも、無事で安心した。」



 両手を伸ばし、尚希は実と精霊の頭を軽く掻き回す。

 尚希の行動が意外だったのか、実は呆気に取られた様子で目を丸くした。



「……怒らないんですか?」

「ここまできたら、逆に怒れないだろ。最悪の結果にならなかっただけで十分だよ。」



 苦笑いを交えた尚希は、次に実の腕の中で未だ震えている精霊と目を合わせた。



「よかったな。」



 最初に告げたのは、そんな言葉。



「本当に一人になる前でよかったな。取り込んだ友達の声が聞こえなくなって、本当はずっと怖かっただろ?」



「………」



 そんなことを言われるとは思っていなかったのか、精霊はパチパチとまぶたを叩いた。

 そんな彼女を見つめる尚希は、笑顔を絶やさない。



「ごめんな。オレたちも、回りくどいことしかできなくて。君にもちゃんと、事情があったのにな。だから、これはお互い様。誰も怒ってないし、誰も君のことを嫌ってないよ。」



 穏やかな尚希の声。

 彼がしばらく彼女の頭をなでていると……



「………っ」



 突然、彼女の顔がくしゃりと歪んだ。



「あー、泣くな泣くな。ほらおいで。」



 困ったように眉を下げた尚希が腕を広げると、彼女は勢いよくその中へと飛び込んでいった。



「よしよし、もう大丈夫だ。」



 大声で泣き始めた精霊をしっかりと抱き締めてやり、尚希はまるで親がそうするように背中を叩いた。



「オレのことは平気? 怖くない?」



 尚希が訊ねると、彼女はこくこくと頷いた。



「そっか。」



 尚希は安堵して肩の力を抜く。



「じゃあ、オレと一緒に行こうか。もう寂しくない。寂しくないからな。」



 これにも、彼女は何度も頷きを返す。



「よかった。嫌だって言われたらどうしようかと思ったよ。」



 尚希は肩をすくめながら笑い声を零し、彼女の前に手を差し出した。

 そして―――



「おいで。」



 とびきり優しい笑顔で語りかける。



 その言葉が意味するところは、本能的に分かっていたのかもしれない。

 彼女はしばらく尚希の手を見つめて……



 ―――ふわり、と。



 嬉しそうな笑顔をたたえて、尚希の手を両手で掴んだ。



 尚希の腕から伝ってきた黒いつたが、重なりあった手を通して精霊の体へと広がっていく。



「もう疲れただろう? オレはちゃんと一緒にいるから、今はゆっくりおやすみ。」



 最後に、尚希がまた精霊の頭をなでる。

 すると、彼女はやはり嬉しそうに笑って、尚希に言われたとおりに目を閉じた。


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