痛みと共に捧げる誓い



「―――……」





 実が告げたその願いに、拓也はしばらく何も言わなかった。



(やっぱり……そうだったんだな。)



 感じたのは、ちょっとした脱力感。



 静かに目を伏せ、自分に伸びる実の手を見る。



 かたかたと震える実の手。

 きっと、自分の答えを聞くのが怖いのだろう。



『でも……生きなきゃいけないんでしょ? 拓也は、殺してくれないんだよね…?』



 記憶を取り戻したばかりの時、小さく身を縮めて、実は自分にそう言った。



 あれが、実の最初で最後の願いだったのだ。



 それを無理だと突き放したのは自分。

 我が身可愛さでその責任から逃げたのは、自分だった。



 だから実は、その願いから目を背けることしかできなかった。



 優しい実のことだ。



 自分があの時に見せた顔を他の誰かにもさせるくらいならと、無意識に自分を押し込めることを選んだに違いない。



 本当は、自分のことを無理にでも立たせてくれて、いざという時に自分を殺してくれる誰かを求めていたのに。



(実に色々と我慢させたのは、あの時のおれの弱さだったんだな。)



 こんなことを言えば、実が慌てて否定するのは目に見えているから言わない。

 言う必要もないだろう。



 これは、自分が背負いたくて背負う罪。

 そしてその償いは、これから長い時間をかけてするつもりなのだから。



(あの時は逃げたけど……)



 拓也は目を閉じ、大きく息を吸った。





「分かった。約束する。」





 あの時には言えなかった言葉を音に乗せて、きちんと実の目を見て頷いてやる。



 それに、実が大きく目を見開いた。

 もしかしたら、今の実にはこれで十分なのかもしれない。



 ―――だが、まだだ。



 拓也は右手に意識を集中させる。

 すると、手の中の槍が自分の意志に応えてその刀身を小さくした。



 この次の拓也の行動に、実だけではなく、尚希やレイレンまでもが度肝を抜かれることになる。



 槍をぐっと握り締めた拓也は次の瞬間、それを思い切り実の左肩へと突き刺したのだ。



「いっ…」



 唐突な激痛に実が押し殺した悲鳴をあげ、衝撃に負けた体が後ろへと傾ぐ。

 その体を左手で支えてやり、拓也はそのまま、実の右肩に頭を乗せた。



「はあ……この傷が生身に残らないのは、残念だな。」



 腹に力を入れ、できるだけ平静な声を装う。



 気を抜けば、一気に体が震え出してしまいそうだった。

 だが、この程度の恐怖を乗り越えられなくてどうする。



 自分は、これ以上の約束を実としようとしているのに。



「拓也……どうしたの?」



 不安げな実の声。

 拓也はそれを聞きながら、強く奥歯を噛み締めた。

 そして顔を上げて、実の目を間近から見つめる。



「あと数センチだ。」

「え?」



「あと数センチずれれば、心臓だろ?」

「―――っ!!」



 実が息を飲む。

 拓也は槍を握る手に力を込めた。



 ―――これが、自分の覚悟だ。



「今実が感じてる痛みと、この傷に誓おう。もし、実が完全に自分を失って世界を壊そうとした時には、お前の手が汚れる前におれが終わらせる。誰のことも、お前の手で殺させなんかしない。この力の全て、お前の願いを叶えるために使うよ。」



 本当に、このあるじは潔癖すぎて困る。

 自分の魂がけがれることを、ほんの少しでも許せないのだから。



 いいだろう。

 上等だ。



 汚れることを振り切った自分にぴったりの主じゃないか。

 これでこそ、つかえがいがあるというものだ。



 どんないばらの道でも突き進んでやる。

 この誓いと使命を、胸に刻んで。



「拓也……」



 実は呆けた様子で、何度もまばたきを繰り返している。

 それをじっと見つめていると、ふいにその唇が薄く開いた。



 何を言ってくるのかと構えていると……



「なんか……さすがに気持ち悪い。」



 飛び出してきたのは、予想の斜め四十五度を突き破っていく言葉だった。



「なっ……はあぁっ!?」



 完全に裏をかかれた拓也は、素っ頓狂な声をあげる。

 それを見た実は、ハッとして口元を押さえた。



「あっ……思わず本音が。」

「本音かよ!? なおさらひでぇな!」

「いや……だって……ね……」



 どこか引いているような、困っているような。

 そんな複雑な顔をして、視線を逸らす実。



「その……拓也にそう言わせたのは、俺なんだろうけど……そんなに熱烈に言われると、さ。ちょっとこう……誤解する人は、誤解しそうだなって。拓也って別に……そっち系の人じゃ、ないよね…?」



「はあ!? お前は何を言ってんだ!?」

「だだだ、だってーっ!」



「ああああもう!! おれの一生分の覚悟を返せ!!」

「いったーっ!!」



 拓也に勢いよく槍を引き抜かれ、実は大きく顔を歪めた。



 拓也は頭痛をこらえるように、額に手をやる。



 全身全霊で誓ったばかりなのだが、早くも前言撤回したくなってきた。

 実が馬鹿なのか、それとも本当に自分の言葉が誤解を生むほど大袈裟だったのか。



「つー…っ。ほんとに痛い……」



 実はうずくまって痛みに耐えている。

 それを、拓也が半目で見下ろしていると……



「………ふふ、ふふふ……」



 その口から、今までとは全く違う声が漏れた。



「あはは……あははははっ!!」



 傷口を押さえたまま、実は大声をあげて笑い始める。

 それに、拓也は言葉を失ってしまった。



 実のこんな笑顔を見るのは初めてだった。

 こんなに純粋で、こんなに明るい笑顔なんて。



「ありがとう、拓也。すごく嬉しかった。拓也がくれた言葉も、この傷と痛みも。全部嬉しかった。絶対に忘れない。」



 満面の笑顔には、一片の嘘も見られなかった。



「……ぶっ刺されてそんだけ喜ぶとか、ドMかよ。」



 さらに前言撤回。

 ちょっとだけ、さっきの実の複雑さが分かった気がする。



「ふふ、そうかもしれない。」



 実は拓也の言葉を認め、傷口を押さえていた左手を拓也へと伸ばした。



「帰るんでしょ? 手を貸して。」



 今までで一番綺麗な微笑みを浮かべて、実はそう言った。



 初めて自分から、笑って手を伸ばしてくれた。

 そのことに、拓也は自分でも驚くくらいに感動してしまっていた。



 ただでさえ味方がいない実の、数少ない味方であれたらいい。

 そう思えば思うほど、実の拒絶がつらくて、自分の未熟さが悔しくて。



 嫌な思いも腐るほどしたし、実に言いたい文句は山のようにあったけど……



 こんなに綺麗な笑顔と迷いなく伸ばされた手を見ただけで、その全部が報われたような気になるのは単純だろうか。



「……お前って、ずるい奴。」



 素直にこの気持ちを認めるのはちょっとばかりしゃくで、拓也はあえてそんなことを言う。



 だが、伸ばされた実の手を掴むその表情は笑みに彩られ、目の端にはうっすらと光るものが浮かんでいた。



「お望みどおり、立たせてやるよ。」



 強く、実の腕を引いてやる。



 普段の体力が嘘だと思えるほどに華奢きゃしゃな体は、自分がちょっと引っ張っただけであっさりと引き上がった。



「ありがとう。」



 実は拓也に礼を言うと、自分の右半身を覆う木の枝に触れた。

 そして、優しく告げる。



「ごめんね。やっぱり俺は……一緒にいられないみたい。」



 その瞬間、実を覆っていた太い枝に大きな亀裂が入った。


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