やっと聞けた

「うっ……ううっ……っ」



 涙が止めどなく流れてくる。

 それを止めるすべがなくて、実はただただ涙を拭い続けていた。



「ねえ、拓也……拓也はこれを見せて、俺にどうしろっていうの?」



 最悪だ。

 こんな想いなど、知りたくなかった。



 ずっと憎んでいた。

 ああはならないと、全身全霊で拒絶してきた幼い自分。



 そんな彼まで、あんなことを言うのか。

 自分を否定しなくていいなんて、そんなことを。



 こんなにも滑稽こっけいなことがあるだろうか。



 今まで自分が自分を嫌って否定してきた意味なんて、どこにもなかったということじゃないか。



 ずっと秘められていた彼の言葉は、自分から最後の支えさえも取り上げていってしまった。



 もう、どうすればいいのか分からない。



 憎んでいたはずの彼にまで認められてしまったら、自分で自分を否定する理由がなくなってしまう。



 世界を愛せない自分も。

 全部消えてしまえばいいと願う自分も。

 生きたいと思えない自分も。



 全部受け入れるしかないとでもいうのか。

 そんなことをしたら、何が起こるかなんて分からないのに……



「もうやだ……立ってなんかいられない……」



 心の悲鳴が、小さく零れていった。



 憎むべき存在を失って、空っぽになっていく自分が怖くて。

 自分の中に過去の自分という虚像を作って、なんとかそれで立ってきた。



 それすらも失ったら、自分がみんなのためにできることなんて何もないじゃないか。



 自分の力で立つことすらできないなんて。

 そんな風になるくらいなら、いっそこのまま消えることを選んだ方が何倍も楽だ。



「立っていられない、か……」



 拓也が口を開く。

 そして。





「―――やっと聞けた。」





 安堵の息と共に、彼は何故かそんなことを呟いた。



「……へ?」



 一瞬何を言われたか分からず、実は目を丸くして拓也を見つめた。



「その言葉が聞きたかったんだよ。」



 拓也は満足そうに笑う。



「ようやく認めやがったな、この意地っ張りが。最初から、人間がずっと一人で立てるわけなんかないんだよ。なんのために、おれやキースが傍にいたと思ってんだ。」



「でも……だって……」



 認めたくない。

 この期に及んでまで残っている子供っぽい意地が、拓也の言葉を受け入れたがらない。



「意味分かんないよ。俺が俺を受け入れたら……封印がどうなるか分かんないんだよ? 俺、強くないもん。こんな弱い俺じゃ、生きて封印を守ることなんてできっこないじゃん。今までだって、拓也たちに迷惑しかかけてこなかったんだ。だからせめて、自分のことくらいはちゃんとしないといけなかったのに……」



「ばーか。」



 拓也が告げたのは、その一言だけ。

 拓也は面白くなさそうな顔でこちらを眺め、重たげな溜め息を吐き出す。



「あのな、お前と知り合ってから今までのこと思い出してみたけど……おれはお前が思ってるほど、お前に迷惑をかけられたことはねぇんだけど?」



「え……だ、だって…っ!」



「あー、もう! お前が何を言いたいかは、なんとなく分かるさ。」



 辟易とした様子で髪を掻き回す拓也。



「全くのゼロとは言わない。言わないけどさ、それはお互い様ってやつだろ? 確かに今まで散々な目に遭ってきたけど、それが全部お前のせいだとは思わない。もちろん、お前の運命のせいだともな。」



「………っ!!」



「お前の場合、生まれ持ったもんが生まれ持ったもんなんだから仕方ないだろ。それでひどい目に遭うとしても、それはお前をほっとかない馬鹿な奴らのせいだ。お前は、ただの被害者。それとも、お前が自分からおれたちをどうにかしようなんて思ったことあんのか?」



「………」



「だろ?」



 拓也は肩をすくめる。



「それなのに、お前は自分のせいじゃないことにまで責任感じてさ……ほんと、十分強いよ。我慢強すぎ。別にいいんだよ。誰かのせいだって言える図々しさくらい持ってて。」



「でも……」



 実はぎゅっと、両の手を握り締める。



「俺は……こんな自分、嫌だ……」



 きっと、今の自分のことを受け入れられても、それを許すことなんてできない。



 意味がなかったと分かっても、こんな風に座り込む自分を、それでもいいなんて思えない。



 自分がここにいていいとは思えないのだ。



 拓也は、自己嫌悪に陥っている実をじっと見つめ……



「…………はあぁ……」



 と、盛大な息をついた。



「もう……お前のその、無駄に理想とプライドが高いところ、どうにかなんないのか? 別にいいじゃんか。どんだけ自分が弱くたってさ。」



「………」



 実は、答えを拒絶するように沈黙する。



「―――分かったよ。」



 何を心得たのか、拓也はふいにそう言った。

 その刹那。



「―――っ!?」



 突然拓也に胸ぐらを掴まれて、驚いた実は息をつまらせる。



「立てよ。」



 拓也は低く、そう告げた。



「こんなとこで、うじうじしてんじゃねぇよ。桜理を生かしたいんだろ? だったら、気合い入れろ。無理にでも立て。立てないなんて、甘ったれたこと言ってんな!」



「………」



 実はポカンと口を開けて、目をまたたく。



 頭の中が、軽くパニックだ。

 拓也の態度の急変に、全然ついていけない。

 何がどうなったらこんなことになるのかが、全く見えない。



「生きたいと思えない? 世界を大事に思えない? そんな身の丈に合わない問題は後回しにしろ。お前が生きなきゃいけないと思ったのは、桜理を守るためだろ。なら、今はそれにしがみついて前だけを見て生きてろ。弱いまんまでも立てよ。それでもお前が弱い自分を許せないってんなら……いいぜ。おれが、弱いお前を全否定してやる。」



「!!」



「何回でもそうやって、情けなく座り込んで泣けばいい。その度にこうやって、お前のことを否定してやる。お前はこんな場所で折れていい奴じゃないだろうって、何度でも立たせてやるよ。お前がどんなに動きたくないって駄々をこねても知ったことか。進む道が分からなくなっても、目の前に見えるのが絶望でも、もう後ろに下がることなんか許してやらないからな。」



 そこまで言った拓也が、そこで表情を柔らかくする。





「とことん弱いお前を否定して――― 一緒に背負って進んでやる。どこまでも。」





 その宣言は、胸の深いところにまで強く響いた。


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