傷の道を突き進んで

 ざっくりと木々が切れて、体が戒めから解放される。



「うぐっ……」



 実が顔を歪めて身を折った。



 当たり前だろう。

 今木々を操っているのが実の力なら、それを傷つけることは実を傷つけることと同義。



「ティル……」



 驚いた尚希とレイレンが、固まったままこちらを凝視してくる。

 そんな二人に。



「キース、レイレンさん。手を出すなよ。」



 拓也は静かに告げ、右手に握る槍を構えた。



「おれがやる。」



 いっそ無感動に聞こえる声で、そう断言。

 次の瞬間、拓也は実に向かって勢いよく駆け出した。



 拓也の魔力を察知した木々が、狙いを一点に定める。

 まるで津波のように押し寄せてくる木々を、拓也は一切止まらないまま切り落とし続けた。



「ううっ……あああっ!」



 実に近づくほど木々の密度が増し、それらを切り刻むほどに、実が苦痛にうめく。



 それでも、止まるわけにはいかない。

 進まなければいけないのだ。



(今なら、あの人がああ言った意味が分かる気がする。)



 足を進めながら、そんなことを思った。



 この二年半以上もの時を必死に駆け抜けてきて、少しは実のことを分かっていたつもりだった。

 実がこちらを完全に信じることができずに悩んでいるだろうと思って、何度も何度も訴えた。



 自分は味方だと。

 絶対に裏切らないと。



 警戒心が強くて臆病な実は、こちらから無理に近づこうとすれば逃げてしまう。

 だから根気強く語りかけて、どれだけの時間をかけてでも、実に告げた言葉を証明していけばいいと思っていた。



 でも、それではいけなかったのだ。

 全然足りなかったのだ。



 確かに、実の全てを認めて優しく包んでくれる人は必要だろう。

 だがそれは自分じゃなくて、自分よりずっと大人である尚希やエリオスがやればいい。



 実が自分に本気で求めたのは、そんな役目じゃない。



『拓也は……』



 実が自分に求めたことは最初からずっと、あの時に置き去りにされたままで―――



 きっと、あの人はそのことを知っていた。

 実がずっと抱いていた、本当の願いに気付いていた。

 だから自分に、あんな願いを託した。





 どうか――― 傷つけることを躊躇ためらわないで、と。





 我ながら、本当に馬鹿だ。

 徐々に近づいてくる実の姿を見つめながら、自分の間違いを悔しく感じる。



 実を支えたいと思うなら、もっと早く気付いてやればよかったのに。



 結局は自分も実と同じで、大事な部分を履き違えていた。

 無意識に都合の悪いことをなかったことにして、口先だけで分かったようなことを言っていただけだった。



 今まで実にぶつけてきた気持ちが間違っていたとは思わないけれど、中途半端で筋違いな優しさを注いでいたのは、自分だって同じだったのだ。



 なら、今からやり直せばいい。

 今度こそちゃんと、前に進もう。



 もう手遅れだなんて言わせない。

 絶対に間に合わせる。



「これで、最後…っ」



 最後の枝を切り捨て、拓也は実の元へと走った。



「………」



 実は肩で大きく息をして、膝をついている。



「実…」



 そんな実を見下ろして名前を呼ぶと、一度肩を震わせた実が、のろのろと顔をあげた。



「たく……や…?」



 ひどい姿だ。



 なかば目の焦点を失っている実。

 その頬からいくつもの涙と血が流れていき、座り込んだ足元には大きな血だまりができていた。



 このほとんどは、自分がつけた傷。

 これだけの傷を負わせてでも、自分はここまで来なければならなかった。

 やるべきことをやるために。



 拓也は無言で槍を振り上げる。



「ティル、やめろ!!」



 尚希が声を荒げるが、拓也はそのまま槍を実に向かって振り下ろした。





 ――――――…………





 そこに落ちた沈黙は、切れそうなほどに鋭いものだった。



「………」



 実はきょとんと、目をしばたたかせた。



 何が起こったのか分からない。

 まるで幼子おさなごのようなその表情が、実の心の声を代弁しているかのようだった。



「目が醒めたか?」

「え? ………あ……」



 拓也に問われ、実も尚希たちも、周囲の変化を初めて認識した。



 揺れが収まっていたのだ。

 それだけではなく、先ほどまで暴れまくっていた木々も、その威力をなくしている。



 尚希とレイレンが少し身じろぎをすると、彼らを拘束していた木の根は、あっさりと崩れていった。



「ごめんな。本当は……逆だったんだな。」

「………?」



 未だ現実についていけないのか、実は微かに首を傾げるだけだ。

 拓也はそんな実に微笑み、実の鼻先に突きつけていた槍を静かに下ろした。



「実、お前に届けもん。」



 実の前に片膝をつき、拓也はパーカーのポケットにしまっていたそれを差し出した。



「何? これ…?」



 拓也の手に乗る水晶を見つめ、実は不思議そうな顔をする。



「さあな。おれにも、詳しくは分からない。」



 拓也は肩をすくめる。



「お前と話しながら、なんでこれがおれに託されたのか、ずっと考えてた。でも、今なんとなく答えが分かったわ。」



 一度水晶を握る拓也。

 そして拓也は、その水晶を実の胸に強く押し当てた。



「多分これは、お前が自分から受け取るもんじゃないんだ。お前の意志に関係なく動ける誰かが、こうやって無理にでも渡してやらなきゃいけない物だったんだろうよ。」



 水晶がまばゆく光る。

 驚く実が抵抗する間もなく、水晶は溶けるようにして実の胸の中へと吸い込まれていった。



「いった…!!」



 実が頭を押さえる。



 水晶が放っていた光は、収まることを知らない。

 まるで、実自身が光っているようだ。



 その光はどんどん輝きを増していき、実と拓也の意識をいとも簡単に飲み込んでいった。


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