零れ落ちる想い

 その瞬間、実たちを大きな揺れが襲う。

 それは、先ほど精霊が力を暴走させた時のような揺れでなはなかった。



 足元だけではなく、まるで世界全体が丸ごと揺れるような―――



「あ……あああ…っ」



 実は必死に頭を抱えて首を振った。



「違う……違う違う違う!!」

「おい、実!?」



 拓也が実の豹変ぶりに慌ててその肩を揺するが、当の実に、その声は全く届いていないようだった。



「違う…っ」



 実はぎゅっと目をつぶり、自分の中で荒れ狂う衝動を懸命に抑えた。



「違う。そんなこと思ってない。消えてほしくない。消えてほしくないから……」



 抑えろ。

 抑えるんだ。



 今この衝動を否定しないと、取り返しがつかなくなる。



「だ、れか……」



 もう何も考えられない。

 無意識に伸びた手が、すぐ傍にあるものを掴む。



「――― 助け、て……」



 もう、何もかも壊れてしまいそうだ。



「実…」



 ふと耳に入ったのは、自分の名前を呼んでくる声。



「拓也…?」



 声に導かれて顔を上げると、そこには心底驚いている拓也の顔が。

 その紺碧こんぺき色の双眸と目が合って、唐突に我に返った。



「―――っ!!」



 背筋が一気に冷えた。



 自分が彼の前で、どんな姿を見せてしまったのか。

 それを、今さら自覚する。



 頭が真っ白になって、つい衝動的に拓也を突き飛ばしてしまった。

 さらに自分も後退し、拓也との距離を取る。



 そうしないと、全部見破られてしまう気がした。

 しかし。



「実、お前……」



 拓也は青い顔をして呟く。





「まさか、封印が…?」

「―――っ!?」





 もう、何もかもが遅すぎた。



「………」



 ああ……

 ついに、ばれてしまった。



 全身を、妙な脱力感が支配する。

 拓也の言葉は自分の胸の奥に深く突き刺さり、最後の意地を完全に砕いてしまった。



「――― そうだよ。もう……この封印は、ほとんど役に立たない。」



 頭の中が空っぽになる。

 勝手に口が動く。



 どうしよう。

 もう、封印を守ろうと思えない。

 そんな気力なんて残ってない。



 ……でも、それでもいいか。



 ちらりと動いた視線が、拓也の後ろで臨戦態勢を維持しているレイレンを捉える。



 少なくともここには、自分のことをなんとも思っていない彼がいる。

 自分が仮にここで壊れても、そうなったら即座に、彼が自分を殺してくれる。



 ならもう、それでいい―――



「俺が見た未来には、絶望しかなかった。」



 どうせ最後だ。

 拓也のお望みどおりに、心からあふれてくる絶望のままに、全部吐いてしまえ。



「終わる世界の中で、みんなが死んでて、その中に俺がひとりだけ立ってる。そんな未来だった…。俺はそれをどうにかして変えたくて、とにかく封印を解かないようにって、それだけを考えてた。でも……全然上手くいかなくて……」



 口が止まらない。

 自分をぎりぎりで支えていた意地が剥がれて、ぽろぽろと落ちて消えていく。



 そこに残る自分の姿は、あまりにも弱くて……



「桜理のことも、拓也のことも、尚希さんのことも大好きだよ。他にもいっぱい、大事な人ができた。みんなを守るためには、俺の傍から突き放すことが一番だと思った。そうすれば少なくとも、みんなが俺の前で死んでるって未来だけはなくなるから。」



 自身を嘲笑あざわらうように、実の唇が緩やかな弧を描く。



 しかし、笑うのは唇だけ。

 その瞳は、諦めと悲しみに満ちていた。



「でも心のどこかでは、みんなから離れるのは俺らしくないって思う自分もいてさ。みんなを突き放して楽になりたいのに、誰かが危ないって感じると、居ても立ってもいられなくて。なのにやっぱり、みんなに近づくのは怖くて仕方なくて。……おかしいよね。俺が否定したがっていたはずのあいつは、もういないのに。俺だって、今の自分がどっちなのか分かんないのに……」



 拓也たちの姿が、涙で滲む。



「桜理のことがなければ、とっくの昔に死ぬことを選んでた。自分が何を否定したかったのかも、自分がなんのために生きてるのかも分かんなくなって……生きたいってすら、思えなくなってた。そんなんだから、人間の汚いとこばっか見えて……封印が、緩んじゃったんだよね。」



 ずっと我慢していた涙が、とうとう目尻から零れ落ちていった。



「拓也たちが大事だよ。生きててほしいよ。笑っててほしいよ! でも俺は……拓也たちが生きているあの世界を、守ろうと思えないんだ。こんな腐敗した世界を守る価値なんてあるのかって……あいつの言葉に、どうしようもなく共感する自分を抑えきれない。こんな自分を……どうやって受け入れろって…っ」



 つらい。

 苦しい。



 ずっと押し殺していた感情の荒波が、理性も意地も建前も、全部を打ち壊して飲み込んでいく。

 それが胸から喉を通って、どんどん口から流れていく。



「なんで……なんでだよ…っ」



 最後に残ったのは、そんな気持ちだけだった。



「なんでみんなして、自分を追い込むなって……自分のことを認めてやれって言うの? こんな俺を俺が許したら…… 一体、誰がこの封印を守れるの? 一歩間違えればすぐに封印なんて解けるのに、こんな不安定な俺を誰かに押しつけられるかよ!! 誰にも、こんな重いものを背負わせたくない。預ける勇気なんて、俺にはない。だったらいっそ、人間の心なんて―――」



 そこまでが限界だった。



「あっ…」



 大きく痙攣けいれんする体。

 体中に満ちている力が暴走する気配。



 これ以上は、理性を繋ぎ留められない。



 消えてしまいたい。

 ずっと抑え続けてきた破滅衝動が、暗い炎となって心を焼き尽くしていく。



 ああ、どうか―――



 最後に願いが叶うなら……



 心が完全に壊れて、消えてしまう前に。

 世界の全てを、道連れにしてしまう前に。





 どうか―――――― 俺を殺して。




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