君に託すよ

 エリオスが差し出した物。

 それは、きらきらと輝く水晶の欠片だ。



 エリオスの手にすっぽりと収まるそれは、よく見れば中が空洞になっていて、その空洞の中で柔らかい光の玉がゆらゆらと揺れていた。



「これは……」



「これは、実にとって大事なもの。彼が消えた今、私がここに存在している理由は、これを守るためと言っても過言ではない。これを君に託したら、今度こそ私も消えるだろうね。」



 なんでもないことのように語り、エリオスは水晶を優しい手つきで拓也の手に握らせた。



「実が私に気付かなかったということは、これは私が渡すべき物ではなかったってことだ。ならきっと、これを託すに相応しいのは、君だけだと思った。」



「どうして、そんな……」



「君が色んな意味で、実に近いからだよ。そしてこれからもきっと、君は実に一番近い存在になるだろう。これは、そのきっかけになる。……ただ、先に言っておくね。これは私からの贈り物じゃなくて、今はもういない彼からの贈り物だ。」



「!?」



 じっと水晶に目を落としていた拓也は、エリオスの言葉に驚愕して顔を跳ね上げる。



「君がそんな反応をするのももっともだ。私はそれを実に渡すべきだと思うけど、君の考えは違うかもしれない。君がそれを実に渡さないと判断するなら、それもいいだろう。その判断も含めてこれを――― この想いを、君に託すよ。」



 エリオスは最後に水晶ごと拓也の手を強く握り、静かに手を離した。

 するとその瞬間、エリオスの体を淡い光が包み込む。



「……ほらね。やっぱり私の存在意義は、それを守ることだったみたいだ。」



 どんどん透けていく自身の体を見下ろし、エリオスは何もかもを悟った顔で笑った。



「そうだ。どうせなら、私の願いを聞いてくれないかい? ティル君。」



 目を大きくして固まる拓也の頬に手を当て、彼は最期の言葉を紡ぐ。



「ここで実のことを見つめながら、思ったんだ。人を支えるって、ものすごく大変なことなんだって。」



 まるで、愛しい我が子にそうするように。

 拓也の頬をなでるエリオスの仕草は、慈愛に満ちていた。



「希望に満ちた道へ進もうとするなら、その追い風になってあげればいい。絶望の彼方かなたへ沈んでいこうとするなら、ひっぱたいてでも引きずり上げればいい。時にはそれでぶつかり合って、泣くこともあるだろう。でも、それでいいんだよ。」



「どうして、そんなことを……」

「ふふ。どうしてだろうね?」



 拓也の疑問を、エリオスは微笑み一つではぐらかす。



「本人が望むことだけを叶えるのが、優しさなわけじゃない。時には傷つけ合って泣いて、喧嘩して怒って、それで許し合って笑って。それが本当の意味で傍にいるってことで、本当の意味で人を支えるってことなんだ。」



「本当の意味で、傍にいること……」



 拓也は、食い入るようにエリオスを凝視する。



 エリオスの顔から、目が離せない。

 彼の言葉に、必死に食らいつこうとする自分がいた。



 彼は今、大きな壁を乗り越えるための踏み台を作ろうとしてくれている。

 彼の仕草と香りが、全力でそう訴えているように思えた。



「思うように進みなさい。その時がどんなにつらくても、それが自分にとって正しい選択なら、いつかはそのつらさも包んで笑えるようになる。笑えるようになるために、人間は努力をする生き物なんだ。だから、どうか―――」



「!!」



 耳元で囁かれた、彼の願い。

 拓也は一際目を見開く。



 本当に、それが最後だった。



 エリオスの姿はあっという間に消えていき、後に残ったのは、拓也に託された水晶だけ。



「………」



 拓也は沈黙する。



 何も言えなかった。

 分かったと頷くことも、嫌だと拒絶することもできなかった。



 答えを受け取ってくれる相手は、もういない。

 彼が存在していた形跡を塗り潰すような静寂が、そのことを痛いほどに知らしめていた。



「―――――― よし。」



 ふと呟き、拓也は静かに立ち上がる。



「なんつー顔してんだよ。早く行くぞ。」



 完全に弱りきった表情の尚希と、複雑そうなレイレンの表情をそれぞれ見つめ、拓也は颯爽さっそうと先へと歩を進める。



「あの……ティル……」

「何も言うな。」



 視線を前に固定したまま、拓也は尚希の言葉を、拒絶とも言うべきスピードで遮った。



「本当は、まだ迷ってるよ。でも助けられたからには、実に会うまで止まるつもりはない。」



 やっぱり人間は弱い。

 それを今、噛み締めている。



 色んなことがあった。

 何度も危ない経験をした。

 たくさんの山と谷を乗り越えてきて、あんな願いを託されて。



 それでもなお、自分は決断を下せずに迷っている。



 そんな不甲斐ない自分だけど、それでもこうして助けられてしまったのだ。



 それはあのエリオスにとって、自分はここで消えるべき人間じゃなかったということ。

 これまで抱えていたものを託せるだけの、それだけの価値が自分にあったということだ。



 ならばせめて、そう判断した彼の想いの一部にでも応えられるように。

 自分が行くべきところまでは行くべきだ。



 すくみそうになる足を、死ぬ気で動かしてでも。





(これが最後になるかどうか……それを決めよう。――― 実。)





 目の前に広がる闇を見据え、拓也は腹に力を入れて、その中を歩いていった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る