明かされた事実

「君は……本物のエリオスじゃないね。ただの影か。」



 エリオスの姿をしたそれを見つめ、レイレンは落胆したように呟いた。



 だが、偽物と分かっているくせに体がうずいて仕方ないのか、彼はどんどんエリオスに近付き、挙げ句の果てにはその腕に自分の腕を絡める始末。



「………」



 もう何も突っ込むまい。

 拓也と尚希は、ただ生ぬるい目を向けるしかなかった。



「影、か…。そう呼ばれるには、私はいびつな存在になりすぎたかもしれないね。本来なら、私はすでに役目を終えて消えているはずの存在だから。」



「それを、実が無意識に生かしてたってこと?」



 エリオスの肩に顔をうずめて機嫌をよくしたレイレンが、緩みきった口調で訊ねる。

 エリオスはそれに、首を横に振った。



「半分正解、半分不正解かな。私の存在を生かしたのは、実の根源から生まれつつも、実ではない存在。君たち二人なら、分かるんじゃないかな。何度か会ってるし、ある種において、最も敵視すべき相手だっただろうからね。」



「!?」



 エリオスに言われ、拓也と尚希は身を固くした。



 実であり、実ではない存在。



『じゃあ、死ぬ?』



 無邪気な声で人の命を簡単に奪った子供の姿が、ありありと浮かぶ。



「あいつが…?」



「そう。まあ、何故彼が私を生かしたのか…。その真意は、もう永遠に分からないだろうけども。」



「どういうことですか?」



 ぐっと、声を低くして問う拓也。



「君たちは、いつから彼に会っていない? 多分、相当前から会っていないと思うんだけど。」



「………」



 拓也と尚希は顔を見合わせる。



 確かにそうだ。



 彼が実の体の主導権を握ったのは、実が記憶を取り戻したばかりの頃にほんの数回だけ。



 それ以降、彼が実を乗っ取ったと認識できたことはない。



「大丈夫だよ。君たちの記憶は間違ってない。会えるはずがないんだ。」



 顔をしかめている拓也たちに告げ、そこでエリオスは目を伏せる。



「だってね……彼はもう、ずっとずっと前に消えてしまっているんだもの。」

「消え…た?」



 かすれるような拓也の呟きに、エリオスはゆっくりと頷いた。



「本来あるべき姿に戻っただけさ。彼は最初から、生まれるべき存在じゃなかった。実も君たちも、感じ取るべき存在じゃなかったんだ。だから消えた。眠ったんじゃない。本当に無にかえったんだよ。その証拠に……今は実だって、彼の存在を感じることができないでいる。」



「……え?」



 拓也は目をまたたく。



 実ですら、彼の存在を感じることができない?



 聞き流すことなどできない言葉が耳朶じだを打って、嫌な予感と不安で胸がざわついた。



「ちょっと待てよ!」



 思わず、口を開こうとしていたエリオスを止める。



「じゃあ……あいつは、一体なんだったんだよ! 実はあれに飲み込まれないようにって必死に頑張ってて、決別するべき自分の姿だって、そう思ってきたんだぞ!? それを認識できなくなったって……そんなことになったら、実は―――」



「君の言うとおりだ。」



 あくまでも穏やかな口調でそう肯定され、拓也は反射的に口をつぐんでしまった。

 エリオスは続ける。



「彼に飲み込まれるべきじゃない。その認識は正しい。だけど、あれを自分だとは思っちゃいけなかった。その誤認識のせいで、実は今もずっと苦しんでいる。」



 実と同じ薄茶色の瞳に、深い悲しみがたたえられた。



「自分と彼が一つになってしまったのなら、もうどちらがどちらだと認識できないなら……自分という存在を、丸ごと否定するしかない。否定するべきものの輪郭を失って、かといって自分の中に信じられるものも持てないまま、乗り越えるべき今と、壊さなきゃいけない未来だけを見つめて、必死に……本当に、必死に生きてたんだ。」



 つらい生き方だ、と。

 エリオスは語った。



 そんな彼の声を聞きながら、拓也は暗い地面を睨む。



 想像すらできなかった。

 実が選んだ自分を追い込む生き方を、自分はほんの一部でも思い描くことができない。



(なんで…っ)



 やるせない。



 どうして、こうなる前に言ってくれなかったのだ。

 そんなことを思うと同時に、その答えだけはすぐに察しがついた。



 だからこそ、余計に歯がゆい。



「なんで……」



 心の中を暴れ回る激情は、すぐに臨界点を突破してしまった。



「なんで、言ってやらなかったんですか!? 知ってたんでしょう!? 実が大事なことを履き違えてることも、実が自分の限界に気付かないまま、自分のこと後回しにする奴だってことも! 知ってたくせに、なんで…っ」



 なんて無様だろう。

 エリオスに掴みかかりながら、他でもない自分に対して思う。



 そうだ。

 知っていた。



 どんなにつらくても、実はそれを自分の問題だからと言って、自分の中に押し込めてしまう。



 そしてその限界が訪れた時、実はあっさりと自分の命を放り出すのだ。



 ウェールの民が住む土地で襲われた時だって、敵の手に落ちるくらいならと、無意識に死を選ぼうとしたくらいだったではないか。



 だから実に関しては下手な遠慮をしてはいけないと、そう自分に言い聞かせていたはずなのに。



 結局中途半端な態度で〝つらくなったら言え〟と声をかけるだけで、心のどこかで実から歩み寄ってくれるのを待っていた。



 知っているだけで、全然理解していない。



「ごめんね……」



 エリオスは、申し訳なさそうに眉を下げるだけだ。



「私も、教えてあげられるならそうしたかった。でも、私は実に気付いてもらえないと、実に干渉することができなくてね。結局……ここまできてしまったよ。実は、自分の心から目を逸らすことで必死だったから。」



 やめてくれ。

 謝らないでくれ。

 余計に惨めになる。



 身勝手な心は、そんなことを思ってしまう。



 唇を噛んで感情を殺す拓也。

 そんな拓也に―――



「だから、君にこれを。」



 エリオスはそう言って、あるものを差し出した。


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