優しくなるため

 何も感情を訴えてこない世界。

 そこから唯一読み取れることがあるとすれば、壊すことへの悲しさだけだった。



 だって、この世界はこんなにも寂しい。

 こんなに壊して壊して壊しても、何も満たされないまま、何も実感できないままではないか。



 壊さなきゃいけないという衝動と危機感だけでもがいて、結局何を壊せたというのだろう。

 実際に壊れていくのは、きっと自分の心だけだ。



(お前は、もっと望んでよかったんだ。壊した分だけ、創らなきゃいけなかったんだよ……)



 この世界を見て思う。

 未来は壊すものじゃなくて、上書きしていくものなのだと。



 目に見えている未来に納得できないなら、その未来を塗り潰せるだけの希望や理想が必要なのだ。



 野望なんて大それたものじゃなくて構わない。



 こうなりたい。

 こんな世界を見たい。



 そんな小さな望みを塗り重ねて、ゆっくりと時間をかけて変えていくのが未来なのだろう。



 未来を変えたいと願うなら、実はもっとわがままになってよかった。

 無様に泣き叫んで、助けを求めてよかったのだ。



 こんなに心が擦り切れて、自分が分からなくなってしまうまで自分をないがしろにして、何もかも我慢する必要なんてなかったのに。



(……なんて、オレも今だから言えるんだろうけどな。)



 過去の自分を振り返ると、苦笑するしかない。



 何かに追い詰められている時、その当事者には、見えないことも分からないことも多い。

 自分だってそうだったが、全部が終わってからようやく、自分の無茶苦茶さが見えてくるものだ。



 そして、自分一人じゃどうにもできなかったんだということも、身にみるくらい痛感して納得ができるのは、その重荷から解放されて笑えた時だけなのだ。



 それくらい人間という生き物は、ちっぽけなくせに傲慢なのだろう。



「なあ、レイレンさん。」

「何?」

「人間って、なんでこんなにめんどくさいんだろうな。」



 何気なく話を振ってみただけだった。



「んー…。人間がっていうより、心があるものは、総じてめんどくさいと思うよ。」



 レイレンは、大して悩むことなく答えた。



「これはあくまで僕の個人的な意見だけど……多分、優しくなるためなんじゃないかな?」

「優しく?」

「うん、そう。」



 レイレンは足を止めないまま続ける。



「もし心が単純で分かりきっているものなら、今頃僕たちは、自分の扱いも他人の扱いも心得ていると思う。きっと、争いだって起こらない。何をどうすれば心が壊れるか分かるなら、無意識にそれを避けるもんでしょ。」



「確かに……」



「でもさ、反応が分かりきっているものって、機械と何が違うんだろうね。どの心も、同じ事をすれば同じ反応をする。もしそうだとしたら、僕と君を区別するものは何? ただの見た目? だとしたら、人間なんて本当にただの機械じゃん。機械を大事に扱うことはできる。でも、機械に優しくなれる人はそうそういない。違う?」



「なるほどな。」



 同意すると、レイレンがふいに立ち止まって、体をこちらに向けた。



「僕たちにとって、分からないことって、めんどくさいことって、大事なことなんだと思う。分からないから僕たちは必死に考えて、そんで馬鹿だから何回も失敗する。そして失敗して誰かを傷つけてしまった分、今度こそは傷つけないようにって、真剣に相手のことを想えるんだ。そうやって頑張った分だけ、誰かからもらえる好意や愛情を嬉しいと思える。そう思えるからこそ、僕たちは優しくなれるもんなんじゃないかな。他人にも、もちろん自分にもね。」



 最後にとびきり綺麗な笑顔を見せて話を締めくくったレイレンに、尚希はなかば呆けてそこに立ち尽くしていた。



 悔しいが、納得してしまった。



 分からないことが大事だというレイレンの言葉は、否定する隙もないほどに正しいと思う。



 分からないからこそ、知りたいと思うのだ。

 たまに暴走する自分の好奇心は、いつだってそこを根幹にしている。



 ここに来たことだって、実たちを連れ戻すためだけじゃない。



 ここに来たら、ショックを受けるようなことを知ってしまうかもしれない。



 それでもいい。

 それでもいいから、いいことも悪いことも全部知りたいと、そう強く願ったのだ。



 確かにそれは、分からないからこそ持てる衝動だったに違いない。



 だが。



「ええぇ……」



 納得した心に湧いてきたのは、なんとも言えない複雑な気持ち。



「何? 僕、なんか変なこと言った?」



 こちらの反応が意外だったのだろう。

 レイレンが、不可解そうに訊ねてきた。



「いや、なんか……ね。まったくもってそのとおりですって感じなんだけど…。それをよりによって、レイレンさんに言われたと思うとさぁ。」



「ええー、なにそれー!!」



 心外だと言わんばかりに声を張り上げ、レイレンは唇を尖らせる。



「僕だって、たまには真面目なことも考えるよ!」

「だって、普段はこれっぽっちもそんなこと言わないんだもんなぁ。」



「毎日そんなことを話してたら、めんどくさいでしょうよ。」

「レイレンさんの場合、エリオス様の話の三割くらいはそっちにシフトして問題ないよ。」



「僕から生きがいを取らないでいただきたい。」

「ほら、そういうとこがだめなんだって。」



 ばっさりと言ってやり、次にどちらからともなく笑い合う。



「ありがと。なんか、胸のつかえが取れた気分。実と拓也が心配だし、早く行こう。」

「はいはい。」



 レイレンは淡く微笑んで、また前を進み始めた。

 そんなレイレンの表情を見ると、なんだか自分のことなど最初から見透かされていたようで、やっぱり複雑になる。



 人は見かけによらないというか、なんというか。

 レイレンを見ていると、しみじみとそう思ってしまう。

 でも、だからこそ人間は面白くて飽きないのだ。



 尚希は一つ息をつき、レイレンの後ろ姿を追いかけた。


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