心を映す世界

 レイレンの発言で周囲の状況に意識が向いて、尚希はぐるりと辺りを見回す。

 その結果、声もなく戦慄することしかできなかった。



 まず目に入ったのは、真っ黒な世界にそびえる、終わりが全く見えないほど長くて高い鉄の壁だ。



 壁面には大小様々な傷がいくつもついていて、穿うがたれた傷の深さが、この壁がいかに分厚いかを物語っていた。



 地面にはサイズがばらばらのレールがいくつも散らばっていて、そのどれもが無惨に破壊されている。



「相当、限界を超えて我慢してたんだね……」



 瓦礫がれきの一つを取り上げたレイレンの顔には、うれいが帯びていた。



「ここは……」

「ここは有りていに言えば、実の心の中ってやつだよ。」



 うめく尚希に、レイレンが答える。



「大抵人の心の中の世界は、その人が思い入れのある風景や理想の風景を映すんだ。それがこんな真っ黒ってことは、実に理想の風景が思い描けないのか……あるいは、思い入れのある風景が〝無〟ってことなのかもしれない。思い入れってのには、もちろんトラウマも含まれるからね。」



 次いで、レイレンは鉄の壁を見上げた。



「この壁は、どんな意味だろうね。 外からの異物を拒むためのものなのか、内側から自分の心が零れるのを防ぐためのものなのか…。この傷が内側から向けられたものとするなら、おそらくは後者か。……実は何かのために、こんなにも必死になって、自分の中の何かを壊そうとしてたんだろうね。こんな凄惨な世界は、見たことがないよ。」



「………」



 これが、実の心の中。

 尚希は固唾かたずを飲み込んだ。



 凄惨な景色とは裏腹に、この世界からは何も感じられない。

 これだけ破壊を繰り返す原動力になったはずの感情が、全くないのだ。



 苛烈な衝動も。

 暗くたぎる憎しみや悲しみも。

 何かに急かされたような危機感も。



 何も、何もない。



 無と破壊だけの世界。

 それが無機質な物質として、目の前にあるだけなのだ。



 こんな寂しい世界が心の中だなんて、にわかには信じられなかった。



「キース。」



 ふと呼ばれて我に返ると、そこではレイレンが真面目な顔をして立っている。



「いい? 実を捜し出せるまで、決して心を乱しちゃいけないよ。同情するのも、否定するのもだめ。目の前にあるものを、そのまま受け入れてあげて。自分を壊さず、実も壊さないようにするには、それが絶対条件だ。できる?」



 難しい条件だ。

 赤の他人ならまだしも、長く行動を共にしていた実に同情の一つもするなとは。



 しかし。



 尚希は深く深呼吸をして、自問する。



 ここに来た目的はなんだったか。

 そのために背負う対価を、どんな気持ちで受け入れたか。

 自分が今、本当にしたいことは何か。



「分かった。行こう。」



 迷いなく答える尚希。



 大事なことは、胸に刻んだ。

 ここまで来たからには、もう引き下がらない。

 どんな困難も越えてやる。



 レイレンはそれを聞くと表情をやわらげ、寂れた世界の中を歩き出した。



 彼には行くべき方向が分かるのか、その歩みに迷いと躊躇ためらいはない。

 そんなレイレンの後ろに続きながら、尚希は注意深く周囲の一つ一つを観察していた。



 少しでもヒントが欲しかった。



 実が壊そうと必死になっていたものは、なんだったのか。

 実は心の中に、どんな苦悩を抱えていたのか。



 きっとそこに、実が精霊に飲み込まれた理由、そして実を現実世界に連れ戻すための突破口があるはずだ。



(レール……)



 物によっては原型をとどめないほどに破壊されたそれらを見下ろしながら、尚希はふとあることに気付く。



 ここに存在するレールは、全て直線なのだ。

 曲がったレールも、枝分かれするレールもない。



 はたと思い至る。



 曲がることも、分岐を選ぶこともできない直線の道。

 そう歩むことが当然である道。



 どう足掻いても変わらない――― 運命とでもいうような、必然的な道。



(運命……か。実らしいな。)



 ふと頭に湧いた単語は、このレールの名前にぴったりと当てはまるように感じた。



 尚希は次に、果ての見えない空間全体を見渡す。



 全てを飲み込むかのような漆黒に満たされた空間。

 レイレンはこの空間に対して、実が理想の風景を思い描けないのではと述べていた。



『俺って、なんのために生きてるんですかね……』



 弱りきった実の声が、生々しくよみがえる。



 いつ殺されるかも分からない実には、確かに理想を考える余裕なんてなかったのかもしれない。



 誰かに寄りかかることも、誰かに期待することもできず、そうする目的も分からなくなったまま、それでも運命を――― 未来を壊そうと必死だったのだろう。



 あの時は、ひとまず笑っていられるために生きればいいと言ったものの、実には受け入れられるものではなかったのらしい。



(オレにもよく分からないけどさ……多分、壊すだけじゃだめなんだよ、実。)



 心を揺らさぬように意識しながら、観察を終えた尚希は、ゆっくりと目を伏せた。


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