突然の来客

 だめだ。

 これ以上は自分の心を直視しちゃいけない。

 立てなくなる前に心を静めなければ。



 大丈夫だ。

 いつもできているではないか。

 自分が何を望んでいるかなんて考えるな。



 抑えて、抑えて――― 忘れるのだ。



「……情けないな。」



 淡く微笑んで、実はベッドから身を起こした。

 特に目的もなく立ち上がり、勉強机に並んだものを眺める。



 広げっぱなしの教科書やノート。

 その近くには、最近とんと触らなくなってしまったゲーム機や音楽プレーヤー。

 電気スタンドの隣には、充電器に刺さったままの携帯電話がある。



 その携帯電話が不在着信を告げるライトを明滅させていることに気づいて、無意識のうちに溜め息が零れてしまった。



 おそらくは梨央からだろう。

 見るまでもなく分かってしまう。



 彼女に絶縁の言葉を放った後、一度だけ面と向かって彼女と話をした。

 覚悟はしていたが、やはり梨央はこちらの言葉を聞き入れてはくれなった。



 どうして向こうを選ぶのか。

 どうしてわざわざ、危険な道へと歩むのか。



 彼女は電話の時と同じように、涙ながらに訴えた。



 すがりついてくる梨央が、自分のことを心配してくれていることは分かっていた。

 だからこそ、余計に巻き込めない。



 もちろん、自分だってこの世界が好きだ。

 許されることなら、このぬるま湯のような世界で、命の危機なんて感じずに過ごしていたいと思う。



 でも自分のわがままで、桜理のような犠牲を出したくはない。

 もう、二度とだ。



 だが自分がこちらに執着する素振りを見せれば、レティルはまた自分が大切に思っているものに魔の手を伸ばすだろう。



 性格の悪い彼のことだ。

 その時は桜理のように、絶対に抵抗できない人間を選ぶはず。



 梨央はレティルにとって、格好の獲物になることだろう。

 だから今のうちに、きちんと別れておかなくてはならないのだ。



 感情的に言葉をぶつけてくる梨央に対し、自分はただ首を横に振ることしかできなかった。

 そして彼女に向けて、これ以上関わろうとするなら記憶を消すと脅しもかけた。



 実際のところ、記憶を消すと言ったのはほとんど本気だった。

 しかし、実力行使に出ようとした自分に梨央が言ったのだ。



『記憶をなくすのは自分がなくなることだって、それはとんでもなく怖いんだって、そう言ってたのは実じゃない!』



 何も言い返せなかった。

 その一瞬の隙を突かれて逃げられて以来、梨央との距離はこんな微妙な状態だ。



 徹底的に彼女を拒絶した手前、電話やメールに返事をすることもできず。

 徐々に減ってきているとはいえ、彼女からの連絡が絶えることもなく。



 どうか、早く諦めてくれないだろうか。

 そんな身勝手な願いが脳裏をよぎる。



 梨央が望むなら、彼女の記憶には手を出さないでやりたい。

 しかし、彼女の気持ちがあまりにも大きくなってしまうなら、彼女が望まない手段に出ざるを得なくなるだろう。



 全部が全部、自分の手で守り通せるわけではないのだから。



 実はゆっくりとした動作で、携帯電話を取り上げた。

 通知画面に表示される梨央の名前を数秒見つめ、瞑目してその通知表示を消去する。



 ここ最近、気分が滅入ることが多くなった気がする。

 状況が状況だと言えばそれも事実だが、それだけじゃない。



 原因は、どう考えたって自分の心の中にあって……



「まずい。」



 再び心が揺れかけて、実は慌てて頭を振った。



 もう少しすれば、拓也と尚希がここを訪ねてくる予定になっている。

 それまでは音楽を聞きながら、勉強でもしていよう。



 そう思った実は、机の隅に投げてあったイヤホンに手をかけた。



 ふとインターホンの音が鳴ったのはその時。



「あれ…? 拓也たち、もう来たのかな?」



 予定より少し早いが、それならそれで気が紛れて助かる。



「はーい、どなたー?」



 一階で詩織が玄関に向かう物音を聞きながら、自分も拓也たちを迎えようと部屋を出る実。

 しかし。



「こんにちは! お久しぶりでーす!」



 聞こえてきた声は、全く予期していない人物のものだった。



「あら、レイレン君!? ほんと、久しぶりじゃない! 何年ぶりかしらー?」



 詩織の声にも嬉しそうな響きが。



「げっ…」



 一方の実は青い顔で固まり、次に弾かれたように部屋の中へと引き返した。

 椅子の背にかけてあった上着を引っ掴んで袖を通し、携帯電話をポケットにしまいながら部屋から飛び出す。



「詩織さんったら、また綺麗になりましたねー。」

「もう、レイレン君ったら。褒めたって、エリオスは出てこないわよ?」

「あれ、やっぱりいないんですか? 困ったなぁ……」



 暢気のんきな二人の会話を聞きながら、実はできる限り足音をひそめて階段を下りる。



「まあ、いいじゃない。積もる話もあるし、どうぞ上がってちょうだい。」

「じゃあお言葉に甘えて! そういえば、実は?」



「自分の部屋にいるわよ。そうそう。確か今日は、実のお友達が遊びに来るって―――」

「ちょっと出かけてくる!!」



 タイミングを見計らっていた実は、詩織と客人がリビングに入ろうとしたところで一気に廊下を駆け抜けた。



「え、実!?」



 驚く詩織には目もくれず、大慌ての実は靴を履きながらドアを開けて、風が吹き荒れる外へと飛び出す。



「実、お客さんは!?」

「そんなのキャンセル、キャンセル! どうぞごゆっくりー!!」



 背後からの詩織の声にそうと答え、実は一目散に家から離れた。



 まずい。

 非常にまずい。



 なんでこんな最悪なタイミングで訪ねてくるのだ。

 彼が拓也たちに会ったら、色々と面倒ではないか。



「わっ!?」



 角を曲がろうとしたところで、派手に何かにぶつかってしまった。

 バランスを崩して尻餅をつきかけたが、それは相手がとっさに腕を掴んでくれたおかげで免れる。



「実、どうしたんだ?」



 鼓膜を叩いた声にハッとする。



「とりあえずこっち!」



 頭で考えるよりも先に、体が動いた。

 実は慌てて体勢を立て直すと、こちらを不思議そうに見下ろしていた拓也と尚希の腕を掴み、問答無用で走り出した。



「ええっ!? ちょっ……実!?」

「話は後!!」

「わわわっ……」



 慌てる二人を引っ張り、実はとにかく家から離れるために道路を駆け抜けていった。


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