第1章 フィルドーネ

あふれそうな気持ち

 突風が吹きすさび、窓が大きく揺れる。



「風が強いな……」



 特にすることもなくベッドに横になっていた実は、ふと目に入った景色を、ぼんやりと眺めていた。



 地球はもう十月。

 夏の熱さはかなりやわらぎ、街は秋の色彩で染まり始めている。



 本当に参った。

 レイキーでの事件が解決した後に一度は地球へ戻ったとはいえ、数日と経たない内に尚希に呼び戻され、そのままウェールの民の騒動に巻き込まれ……



 最後にまともに地球で過ごしたのはいつのことか。

 学校が春休みに入ったなと思った記憶がほんのりとあるので、三月くらいか。

 そう考えると、地球では半年以上もの時が流れていることに。



 いやはや。

 いつの間に高校二年生に進級していたのやら。

 ずっと影に地球での生活を任せているせいで、こちらの時間軸についていけない。



 これまでは定期的に影の記憶を共有してもらいながら、アズバドルでも勉強の時間を取るように意識していたのだが、レイキーの一件からはそうもいかなかった。



 おかげで勉強に半年以上のブランクが開いてしまい、久々に地球に戻ってきてからは、拓也ともどもスパルタモードで勉強漬けの毎日だ。



 もう色々と面倒だから、高校なんか退学してしまおうか。

 辟易とした拓也のぼやきは、いつもどおり保護者のような尚希のお説教によって阻止されてしまった。



 そういう尚希は尚希で、ニューヴェルの仕事があるのだから、地球での仕事なんて辞めてしまえばいいのに。



 拓也と二人でそう思うことは多々あるのだが、地球の仕事は仕事で楽しそうにこなしている尚希を見ると、何も突っ込めないのが現状だった。



 そんな風に地球のリズムに追いつこうと身を粉にする中、三人で話題になったことがある。



 三人揃って、地球での生活を影が完璧にフォローしていたということだ。



 平たく言えば自身の分身である影だが、やはり魔法でできた存在なので、その活動には当然魔力を必要とする。

 影を長く保つのであれば、定期的な魔力の補充が必要だ。



 少なくともこの半年は、地球にほとんど戻ってきていない。

 事件が事件だっただけに、影に魔力を補給する余裕などなかった。

 それなのに、久しぶりに地球に戻ってきた自分たちは、当然のように影の自分に出迎えられたのだ。



 魔力はどこから捻出したのか。

 そう訊ねると、影はとある供給者がいるとだけ告げた。

 記憶を渡してもらったが、その中に供給者らしき人物の姿はなかった。



 地球に、裏で自分たちに協力してくれている誰かがいる。

 一体誰なのかと頭を悩ませる拓也と尚希を横目に、自分はただ一人だけ、それらしき人物に心当たりがあった。



 二人には言っていない。

 言いたくなかった。



 自分にはまだ、その事実と向き合う覚悟がなかったから……



 多くの憶測と疑問が飛び交いながら、地球での日々は平和に、そしてどこか淡々と過ぎていた。



(なんだかんだ、まだ生きてんだな、俺……)



 実はふと息を吐く。

 こうして季節の巡りを感じると、どうしても感慨深い気分になってしまう。



 きっと来年同じ景色を見る頃に、自分は―――



 そんな風に、いつもどこか後ろ向きな気持ちで、日々を過ごしているものだから。



 去年の今頃は、何をしていたんだっけ。

 地球にいたんだっけ?

 それともあちらにいたんだっけ?

 よく分からない。



「こんな生活になって、こっちではもう二年以上か……」



 苦笑するしかない。



 今までの出来事は、まだ鮮明に思い出せる。

 つい昨日の出来事のように思えても、時間は驚くほど流れている。



「………」



 そう。

 時間は過ぎていくのだ。



 どうしようもなく、周囲の環境も、皆の心も変化させながら。





『前と今じゃ、随分と考え方も変わったんじゃないのか?』



『そこには、お前がお前自身を信じてやれるだけのものがあるのだぞ。』



『お前の運命に巻き込まれてここにいるんじゃないんだからな。』






 尚希の声が。

 ノルンの声が。

 拓也の声が。



 それ以外にも、たくさんの人の声が。

 代わる代わる頭の中に響いては、胸の中に苦い気持ちを広げていく。



 時には優しく、時には厳しく投げかけられた様々な言葉。

 そのどれもが自分の中で否定して片付けることもできず、かといって見ないように目を背けることもできないまま、ずっと心にくすぶっている。



 ――― 本当は、いつだって人間に触れてみたかった。



 思い出してしまった、幼かった頃の純粋な心。

 それが、彼らの言葉を否定することを許さない。



 どんなに人間に傷つけられた記憶に苦しんでも。

 その結果、人殺しをいとわない自分ができあがったとしても。



 記憶の根底に眠っていたこの小さな願望もまた、今さら変えようもない過去の想いの欠片。

 だけど……



「今さら……どうしろっていうの…?」



 胸の苦しさは増すばかりだ。



 今まで、自分を否定することでどうにか立ってきた。

 ――― いや。たまたま憎む存在を自分の中に創ることができたから、必死にそれにしがみついてきたのだ。



じつのところ、僕の存在意義は君に左右されているってこと、そろそろ理解してほしいんだけどな。』



 憎たらしくも名残惜しい子供の声が木霊こだまする。



 本当にそのとおりだ。

 彼を心底嫌いながら、彼にべったりと依存していたのは自分。



 そんな存在を失って、彼の過去を共有して、そこに込められた想いを受け入れてしまって。

 彼の気持ちが、まるで自分のもののように感じられる。



 ならば何故、自分が彼と同じように手を汚さないと信じられるだろうか。



 無意識にじゃない。

 今度こそ、自分の激情に任せたまま、自分の意志で人を―――



 いや。

 そもそも、自分が彼だという可能性だってあるのだ。



 だからいっそ、自分も周りも頭ごなしに全て否定できたらいいと思っていたのに―――



 自分を信じてやれ、だなんて。

 そんな残酷なことを言われたら、自分は一体どうすればいいというのだ。



 抱えるものが重すぎて。

 秘めていることが多すぎて。



 一人じゃもうつらい、なんて。



 時々そんなことを思う自分を受け入れてしまったら、正気を保っていられる自信がない。



 ぐらぐらと揺れる自分が嫌い。

 自分の心を揺さぶってくる人々が、ふとした拍子にとてつもなく憎く感じる瞬間もある。



 いっそのこと、自分もこの世界も全部消えて―――



「………っ」



 実は悲しげに目を伏せ、毛布をぎゅっと握り締める。



 いつものことだ。

 これ以上深く考えなければ大丈夫。

 これ以上強く望まなければ、封印が解けることはない。



 大丈夫。

 まだ、この衝動は抑えられる。



 息を殺し、胸の奥でうごめくそれを静かに抑え込む。



 なんて厄介な封印だろう。

 今は赤の他人なんかよりも、自分のことがよほど怖い。



 一度緩んでしまった封印は、その時から己の存在を誇示するように、こちらの感情に合わせて揺れる。

 それがたまらない恐怖を呼んで、胸を圧迫してくる。



 こんなことを拓也たちに言えるわけがない。

 どうにか必死に隠しているけれど、このことを秘めようと意識するほど、心を侵食する闇はその勢いを加速させるばかりで。





「もう誰か……――― 俺を殺して……」





 はち切れそうな心の叫びが、その口腔から漏れる―――……


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