エピローグ

眠る子供たちの隣で

 実が目覚める、ずっと前のこと。



 一人だけ早く目を覚ましたレイレンは、自分の隣ですやすやと穏やかな寝息を立てる実を見つめ、ほっとしたように表情をやわらげた。



 すると―――



「おはよう。」



 目の前から聞こえてきた声。

 それがあまりにも予想外すぎて、レイレンはすぐに反応を示すことができなかった。



「今回は迷惑をかけたね。ありがとう。」



 こちらを見上げて、まるで幽霊でも見たかのように固まっているレイレンに、エリオスは微笑みを浮かべてねぎらいの言葉をかけた。



「ほ、本物…?」



 時間をかけて現実を噛み締めるレイレンの表情が、じわじわと感動に歪んでいく。



「レイレン。」



 レイレンの手がピクリと痙攣けいれんした瞬間、狙い澄ましたタイミングでエリオスが彼の名を呼んだ。



「なんのために君だけ早く起こしてあげたのか、言わなくても分かるよね? 我慢なさい。」



「はわわわわ、爽やかに鬼…っ。本物だあぁ♪」



 にこやかな拒絶にここまで感動できるのも、レイレンだからこそなせる技なのだろう。



 レイレンはもどかしそうに胸ポケットへ伸ばしかけた手を引っ込め、次にしょんぼりとして肩を落とす。



 だがそれで全てを諦めるはずもなく、レイレンはいそいそとエリオスの隣に移動し、エリオスの腕にぎゅっとしがみついた。



「それは許すのね……」



 呆れたような詩織の言葉に、エリオスは一つ頷くだけ。



「まあこれくらいなら、ただの飾りで無視できるからね。あそこで牽制しておかないと、この後三時間くらいは手がつけられなかっただろうし。」



 実なら即行で抵抗するだろうレイレンの行動に、エリオスは眉一つ動かさなかった。



「実は、戻ってくることを選んだんだね。」



 エリオスは、自分のすぐ傍で眠る実の頭を優しくなでる。



 実たちを飲み込もうとしていた木々が急にその勢いをなくしたので、何かしらの進展があったことは分かっていた。



 それがいい結末だったのか悪い結末だったのかは、この実の表情が語っている。



「乗り越えられてよかったよ。実を連れ戻してくれてありがとう。」

「いんやぁ~? 僕はなんもしてないよ。」



 レイレンは首を振る。



「実、結構参ってたからね。僕だけだったら、殺して楽にしてあげるくらいしかできなかった。実を本当の意味で連れ戻したのは、あの子だよ。」



 拓也を指差して、彼は続ける。



「実のために、実を殺すって約束までするんだもん。大した忠誠心だよ。」

「ティル君が…。ふふ、なるほど。」



 エリオスが浮かべるのは、納得の表情。



「あー、その顔。もしかして、これも計算の内?」



 レイレンが嫌味っぽく訊ねる。

 だが、エリオスは少しも表情を変えないまま、頭を左右に振った。



「いや。これに関しては、私は何も仕組んでないよ。私が仕組む以前に、この子が実を守ることは、昔から決まっていたことなんだよね。」



「決まってた?」



「そう。この子はもうずっと前に、実のために選ばれてたんだよ。だから実に出会うことも、こうして実の傍にいることも、初めから定められた必然なんだ。」



 エリオスの視線が、拓也から別の人物へ。



「この中で偶然に巻き込まれたのは、キース君の方かな。彼には別に、実と切っても切れない縁があるってわけじゃないんだけど、ティル君にべったりだったせいで、ずるずるとこっち側に引き込まれちゃったみたいだ。まあここまで来た以上、もう部外者に引き下がる気なんてないと思うけどね。」



「確かに。そんなつもりがあるなら、なんの躊躇ためらいもなしに大地の呪いなんて引き受けなかっただろうね。」



「君としては、案外簡単に後継者が確保できて美味しかっただろう。」



「ほんとほんと。これで、城に大きな貸しが作れるよ。実と仲がいいキースを引き込んだってなれば、僕がエリオスと繋がってるなんて、それこそ誰も思わないだろうしね。僕としては大満足だよ。ふふ、ふふふ……」



 レイレンは笑う。



 特に気に留まるものもない、普通の笑顔。

 だが、そこに隠れた感情をエリオスはいとも簡単に見抜いていた。



「珍しいな。君がそこまで落ち込むなんて。」



 遠慮なくそれを指摘するエリオス。



「落ち込むっていうか、なんていうか、ね……」



 元よりエリオスに見抜かれることは知っていたのか、レイレンはエリオスの指摘を否定しなかった。



「久々に実と会って、なんか身にみてきちゃったよ。僕らは異常なくらいひねくれて歪んでて、この子たちは異常なくらいまっすぐで綺麗なんだってさ。」



 実たちを見ていて、あまりのまぶしさに目がくらんだ気がした。

 そしてほんの少し、それをうらやましく感じた自分がいた。



 そう語ったレイレンに、エリオスは微かに片眉を上げるだけだった。



「驚いた。まさか君から、そんなことを聞くことになるなんて。」



「ほんとにね~。僕も自分でびっくりだよ。だからといって、この子たちみたいな生き方をしたいとは思わないけど。しんどそうだもん。」



「……しんどい、か。そうかもしれないね。」



 エリオスは静かに目を閉じる。

 実の髪をく手が一度だけ、ほんの微かに震えた。



「………」



 目敏めざとくそれを目撃していたレイレンは、エリオスにばれないように口の端を吊り上げた。



 この一瞬の間に、どれだけの激情が込められているのか。

 それは、彼の上部しか知らないような人間には分からないだろう。



 これだから、彼を見ているのは飽きないのだ。



 レイレンはあえて何も言わずに、熱っぽい瞳でエリオスを見つめていた。


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