希望は自分で

 あなたは、人間じゃない。



 こちらのそんな指摘に対して、詩織は否定せずに黙っているだけ。



 自分が感じていることは間違いではないと。

 彼女の態度が、答えを示していた。



 もちろん、最初から気付いていたわけではなかった。

 初めてこのことに気付いたのは、イルシュエーレとの一件があった後のこと。



 きっと、イルシュエーレの加護を受けたことで、魔力への感度がぐっと上がったのだろう。



 それで、感じ取ってしまったのだ。



 完璧に人間に扮していた彼女の中にある、人間とは明らかに違う力を。



 ここ最近地球に帰れなかった自分たちに代わって、影に力を与えていたのも詩織なのだろう。



 彼女が持つ力は、それだけ絶大だ。



 だから、余計に訊けなかった。

 自分を取り巻く、見えない何かを知るのが怖くて。



 ―――でも、もう無理だ。



「………っ」



 奥歯を噛み締める実。

 次の瞬間、実はマグカップを投げ捨てて詩織の腕にすがりついていた。



「母さんはなんなの? なんで……なんで俺の傍にいてくれたの!? 父さんは、今どこで何をしてるの!? 知ってるんでしょ!?」



 零れた紅茶の熱さも感じない。



 ずっと音にするのを躊躇ためらっていた疑問は瞬く間に心からあふれて、まともな感覚を奪うほどの叫びとなって空気を震わせた。



 なんとなく理解わかっている。



 自分が知らないところで何かが動いていて、その何かは自分を飲み込む時をじっと待っている。



 そして、それに飲み込まれることは、どう足掻いてもけられないこと。



 自分にできることは、大人しくそれに飲まれるのを待つことか、あえて飲まれに行った先で抗うことだけなのだ。



「ごめんね。」



 表情を曇らせる詩織。



 ほら、だから訊きたくなかったのだ。

 こうやって、彼女に切ない顔をさせるのが嫌だったから。



「私にできることは……あなたが安らかに休める場所を守ること。ただ、それだけなの。」



「何か、言えない事情があるってこと?」



「そうね。ごめんなさい。」



 詩織は愛しげに実の髪をくだけ。

 そんな彼女に対し、実は眉根を寄せて衝動をこらえることで精一杯だった。



 引かなくては。

 そう思うのに、一度爆発してしまった感情はなかなか収まってくれない。



「実。」



 限界を超えた自分を救ったのは、皮肉なことに、一番助けられたくない相手だった。



「一つ、朗報をあげようか?」



 レイレンは意味ありげに口の端を吊り上げて、そう問いかけてくる。



「朗報…?」

「そ。実が寝てる間に、情報が入ってね。エリオスの居場所が分かるかもしれない。」



「―――っ!?」



 実は瞠目してレイレンを凝視した。

 そんな実を見やり、レイレンは笑みを深める。



「大陸の最西端に、サティスファって島があるんだ。そこに向かう船に、何度かエリオスらしき人の目撃情報がある。まあ、エリオスはちょこちょこ潜伏先を変えてるって話だし、もしかしたら肩透かしを食らうかもしれないけど―――」



「行く!!」



 実はほぼ無意識で、レイレンに掴みかかっていた。



 会えるようで会えなくて。

 近くにいるようで遠くて。



 そんな父に、会えるかもしれないなんて。



「いいの? あのエリオスが、そう簡単に尻尾しっぽを掴ませるわけないんだ。罠かもしれないよ。」



「それでもいい。」



 迷う隙すら、実にはなかった。



「それが真実だって可能性がいちパーセントでもあるなら、俺は行く。少なくとも、ここで訳も分からずにもがいてるよりは進める。俺は―――もう、自分を嫌わずに前を向いていきたいんだ。」



 まっすぐに純粋な目をして、実は宣言する。



「父さんが、俺のために何かしてるんだってことは分かってる。でも、自分の希望は自分で取りに行く。父さんが希望を持ってくるのなんか待たない。そうじゃないと意味がない。俺が自分で立って、ちゃんと自分で進みたいんだ。」



 大きな山場を越えて、今さらながらに思う。



 きっと、自分が本当に全てを捨てられる機会は、精霊に飲まれたあの瞬間にしかなかったのだろう。



 みんなに手を引かれてでもそこを乗り越えたのなら、自分が自分を捨てられるチャンスなんてもう二度と来ない。



 それならば、何を躊躇ためらう必要がある。

 開き直って進むしかないではないか。



 本当は少し怖い。

 でも―――



 もう、自分や周りを無理に嫌うことなんてしたくない。

 この気持ちだって、本当の気持ちだ。



 だからまずは、今までの自分を許せるように、この先を歩いていこう。



 もしかしたら、この先に待ち構える未来には、とんでもない絶望しかないのかもしれない。



 だが、その未来にただ飲み込まれるだけなんてごめんだ。



 それならばいっそ、自らそこに飛び込んでやる。





 ―――今度こそ、希望を求めて進むために。




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