逃げた先は―――

「……これは、凄惨だねぇ。」



 そこに足を踏み入れたレイレンは、険しい表情をせざるを得なかった。



 枯れ果てた植物。

 その中心にたたずむ少女。

 彼女からみなぎる闘気と敵意。



 廃退的な空気は重く、彼女が放ついびつな魔力と混ざり合わさって、全身に絡んでくるようだった。



「………っ」



 後ろで、拓也が顔を真っ青にしてよろめく。



「拓也君。無理せずに離れてて。こんなに歪んでちゃ、君がつらいのも仕方ないから。」



 ひどい状況だ。



 彼女以外の精霊の姿がない。

 こちらの接近に危機感を持った彼女が、片っ端から取り込んだのだろう。



 それだけならまだしも、この辺りの地に根づく、ありとあらゆる生物のエネルギーまでをも吸収してしまっている。



 文字どおり、ここは死の地だ。



 使い慣れない地球由来のエネルギーを制御できないのか、彼女の体からは、すさまじい力が暴力的な密度であふれ出している。



 自分でさえ、吐き気で目が回りそうなのだ。

 嗅覚が鋭い拓也なら、卒倒してもおかしくはないだろう。



「ごめ……、………っ」

「無理するな。すぐに結界を張ってやるから。」



 声を出すことすらつらそうな拓也を支えた尚希は、拓也を近くの木の根本にゆっくりと座らせた。



「これは、早々に切り上げないとやばいね。」



 目の前に佇む彼女を見つめ、レイレンは手袋に手をかける。



 これだけの力を発揮できるのだ。

 かなり上位の精霊と見て間違いない。



 十中八九、彼女がこの辺りを支配している精霊だろう。

 話し合いの余地は、おそらく皆無。



「ごめんね。君に罪はないんだろうけど、こっちにも都合があるから、本気を出させてもらうよ。じっくり話すのは、一度向こうに帰ってからにしようか。」



 手袋を外し、レイレンはこれまで抑えていた魔力を全解放した。



 彼女がいかに上位の精霊だろうと、彼女が地に属する精霊である以上、〝フィルドーネ〟には敵わない。

 こうして対面さえできれば、勝敗など戦う前から決まっているのだ。



 まずは彼女がこれ以上場を荒らさないよう、この場を隔離。

 あとはすかさず、大地の呪いの力で彼女の存在を取り込むだけだ。



 抵抗する精霊を取り込むのは少しばかり骨が折れるが、手っ取り早い方法はこれしかない。



「―――っ」



 レイレンの魔力を目の当たりにした彼女は、怯えたように息を飲んだ。



 おそらく、自身とレイレンの力の差を悟ったのだろう。

 先ほどまでほとばしっていた闘気が、一気に勢いを失くす。



 おろおろと周囲を見回しながら後退し始める彼女を前に、レイレンは冷徹とも見える無表情を貫いていた。



「ううっ…」



 背後で拓也がうめく。

 レイレンは静かに目を閉じた。



 頭の中に声が響く。

 こちらの意識を飲み込まんとするほどの、彼女の強い思いだ。



 実を連れてこなくてよかった。

 心底思う。



 拓也があれだけ苦しむのだ。

 実だったら、簡単に取り込まれていたかもしれない。



「悪いね。」



 一言告げ、目を開いたレイレンはまっすぐに彼女を見つめた。



「そういった感情をぶつけられるのは、もう慣れっこなんだ。取り込まれてなんかあげないよ。」



 レイレンのすごみのある視線にさらされ、彼女はびくりと肩を震わせた。

 その唇がにわかに戦慄わななく。



 次の瞬間。



 ――――――――ッ!!



 耳を塞がずにはいられないほどの絶叫がとどろき、地面が大きく揺れた。



「うあぁっ」

「くっ…」



 拓也が苦悶に満ちた表情で胸元を握り締め、精霊への感受性が低い尚希も頭を抱える。



「やばっ!」



 レイレンは慌てて手をひらめかせた。

 自分の意志に呼応して腕のあざうごめき、彼女に向かって勢いよくつたを伸ばす。

 同時並行で、彼女の周辺にだけピンポイントで結界を形成する。



 彼女が地割れでも起こす前に、動きを止めなくては。

 そう思ったのだが、少しでも初動が遅れたのがいけなかった。



 彼女は俊敏な動きで地を蹴り、そのまま空気に溶けるようにして消えてしまったのだ。



「逃げられたか…。火事場の馬鹿力ってやつかな。油断したな。」



 険しい表情で息をつくレイレン。

 そして彼は、すぐに表情をやわらげて後ろを振り返った。



「ごめーん。逃がしちゃった。大丈夫?」



 荒い呼吸を繰り返す拓也に問いかける。



「なん、とか……」



 はっきりと答える拓也だが、無理をしているのは誰の目からも明らかだった。



「無理もないね。結構な執念だったもん。さすがに、キースも当てられたみたいだね。」

「ああ。拓也には悪いけど、精霊が見えるタイプじゃなくてよかったと本気で思った。」

「ははっ、違いないや。」



 尚希の感想に、レイレンは苦笑いをする。



「それにしても、ここまでひどいとなると、拓也君にも外れてもらった方がよさそうだね。」

「そうかもしれない。全く動けないってなると、あの子のいい餌だもんな。」



 拓也は否定せずに頷いた。



 ふと。



「………だめ……」



 小さな声が聞こえた。



「だめ! そっちは…っ」



 声の主は、拓也が着ていた上着のフードからぴょこんと顔を出した。

 以前に協力を頼んだ精霊の一人だ。



 実が作業から離脱したことで、彼女たちは役目を終えた。

 このまま一緒にいては、あの精霊に取り込まれる可能性が高く、協力してくれた彼女たちを危険にさらしてしまう。



 なんとか諭して他の精霊たちには向こうに帰ってもらったのだが、彼女だけはどうしても嫌だと聞かなかったのだ。



「ど、どうしよう……どうしよう、拓也!!」



 彼女は切羽詰まった様子で、必死に拓也の髪を引っ張る。



「どうしようって、どうした?」



 本当は口を開く気力もない拓也だったが、あまりにも焦る彼女を無視するわけにもいかず、ひとまずはそう訊ねた。



 しかし次に鼓膜を叩いた彼女の言葉に、拓也だけではなく尚希やレイレンも大きく目を見開くことになる。





「あの子が、ここから離れてくの。どうしよう……多分、実のとこに行っちゃった!」





「!?」

「そんな馬鹿な!?」



 驚愕する拓也と尚希に対し、レイレンがすかさず否を唱える。



「実のとこに行ったって……一体どうやって!?」

「そんなの、分かんないよぉ……」



 ものすごい剣幕でレイレンに問われた精霊は、涙目でふるふると首を振る。



「レイレンさん、待って。」



 そんな彼を制止したのは拓也だ。



 拓也は目を伏せる。

 視界を閉ざし、鼻から流れ込んでくる空気に意識を集中させる。



 臓腑がひっくり返りそうなほどに歪んだ魔力。

 その中に、微かだが確かに見知った魔力の残滓ざんしが。



「しまった……あいつ、おれたちよりずっと先にここに来てたんだ!」

「なっ…!?」

「一度でも会ってるなら、精霊にとって実の気配を辿るなんて難しくない!」



 精霊は、魔力の感受性が人間のそれとは桁違いだ。

 いくら実が魔封じの腕輪をつけていても、簡単にその独特の魔力を感じ取れるだろう。



「くっそ、急がないと!!」



 先ほどまでの消耗など全く感じさせない速さで立ち上がり、拓也は手に魔力を込めた。


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