今の実は―――

「あ、いた。おーい、拓也くーん! ちょっと休憩しよっか!」



 茂みの向こうに拓也を見つけたレイレンは、大声で呼びかけながら腕を振った。

 それに応えて合流してきた拓也を迎えたレイレンは、きょとんとして目を丸くする。



「あれ、その子は?」



 拓也の肩には、その首筋に寄り添うように座っている精霊が一人。



「最後まで一緒にいていいって条件で、何人かに実の監視を頼んだんだ。こいつはその連絡係。」

「ふーん…。で、その実がまだ見つかってないんだけど、気配も全然感じないし、向こうに行ってるのかな。」



 周囲の気配を探りながら、レイレンは思案げに呟く。



「――― じゃあ、今なら都合がいいか。」



 ぐっと、その声のトーンが下がった。



「ちょっと聞きたいんだけど、最近の実ってどんな感じ?」



 それは、今までの彼からは想像しにくいほどに硬い声。



「どんな感じっていうと?」



 訊き返したのは尚希だ。



 レイレンの声音と問いかけの内容から、不穏なものを感じ取ったのだろう。

 尚希の表情が、瞬く間に険しいものへと変化していく。



「別に悪意があってこんなことを訊くわけじゃないけど……今の実は、ちゃんと人間であろうとしてる?」

「………っ!」



 問いかけられ、拓也も尚希も思わず息をつまらせた。



「ごめん、急にこんなことを訊いて。そりゃびっくりするよね。たださっきのことには、さすがに僕も驚いちゃってさ……」



 彼自身も多少混乱しているのか、レイレンは痛みをこらえるかのように頭を押さえた。



「実は半分精霊に育てられたような子だからさ、元々精霊たちとの距離は近いんだけど……昔は、あんな風に流される子じゃなかったんだよ。人間への期待なんてすっぱり捨ててたけど、それでも自分は人間だから、人間の世界で生きていくしかないって割り切ってた。少なくとも、生きることには前向きだったはずなんだ。でも、今は……」



「迷ってると思うよ。」



 レイレンの言葉に、尚希がいやに重たげな口調で答えた。



「実本人には言うなよ。プライベートに関わることだから、あえて今まで黙ってたんだ。」



 口元で人差し指を立てて忠告し、尚希は静かに口を開いた。



「なんのために生きてるのか分からない…。前に一度だけ、そう言ってたことがある。それ以上は深く話さなかったけど、多分あれが、今の実の本心なんだろうな。」



 瞳を曇らせる尚希。



「記憶が戻ったばかりの時の実は、がむしゃらだったよ。昔とは違うって言いながら、必死に人間を否定してたと思う。ま、厄介事にすぐ首を突っ込むせいか、それが成功してたとは言いがたいけどな。オレたちもなんかほっとけなくて、しぶとく実につきまとってたし。」



 もしかしたら、実にとって一番厄介だったのは自分たちかもしれない。



 そう語った尚希の言葉は、きっと実の心情を的確に射ているだろう。

 これまでの出来事を思い返しながら、拓也はそんな感想を抱いていた。



 尚希の言葉は続く。



「本当に色んなことがあったからな…。散々な目に遭ってる分、悩みはかなり深いと思うよ。いい意味でも、もちろん悪い意味でも。もしも実が人間なんてやめたいって思ってたとしても……正直、オレは納得できるかな。それだけの経験を、あいつはしてるから。」



「………」



 何も言えない。

 拓也は目を伏せる。



 もし実が、人間でいたくないと思っているなら。

 想像して、尚希と同じように納得できる自分がいた。



 そして、今にも消えてしまいそうな実の姿が、ただの不安なんかじゃなくて、定められた未来のようにも感じられてしまう。



 しんどい時は言えとは言ったものの、実の性格を知っている手前、それで安心できるはずもなくて……



 滾々こんこんと湧き出てくる不安を殺す拓也の前で、尚希の話にじっと耳を傾けていたレイレンが溜め息をついた。



「そっか。まずいな……実をここに連れてきたのは、失敗だったかも。拓也君もそう思ったから、実の監視なんて頼んだんでしょ?」



「失敗っていうか、もう危険な領域だと思う。」



 拓也は、はっきりと告げる。



「なんとなくだけど、嫌な予感がするんだ。こいつらも実を見て、油断したらすぐに心をさらわれるって言ってた。だけど油断するしない以前に、実はもう……無意識のうちに、取り込まれかけてるんじゃないかって思う。気にしすぎだって言われたらそれまでだけど、でもとにかく、ずっともやもやしてて……」



 不安が空回りしているのが分かる。

 何をどう伝えれば、この危機感が伝わるだろう。

 上手い言葉なんて出てこない。



 それでも、尚希とレイレンには知っていてほしい。

 精霊たちに助けを頼んだとはいえ、自分一人で抱えるには限界があるのだから。



「ごめん。具体的に何が危ないとか、そういうことは言えないんだけど……でも―――」

「拓也君。」



 ぽん、と。

 肩に手を置かれる。



 顔を上げると、そこには真面目なレイレンの瞳があった。



「大丈夫。」



 彼は力強く頷いた。



「君が言いたいことは、ちゃんと伝わってるよ。それに僕だって一応、実がはらんでる危うさは知ってるつもり。……ごめんね。僕よりも、ずっと不安だったんだね。」



 優しく頭をなでられ、気恥ずかしさを圧倒的にしのぐ安堵が胸を満たしていった。



 視線をずらして尚希を見ると、尚希も真剣な表情で頷いてくれる。

 それで、今度こそ肩の力が抜ける。



「……とはいえ、ここまでひどくなっちゃった空気の歪みは、実の力なしで浄化するには無理がある。僕がエリオスに会いたかったのも、四大芯柱レベルの力を持った助っ人がほしかったからなんだよね。」



 悩ましげにうなるレイレン。



「うーん……よし。この際、実には思いっきり働いてもらっちゃおう。」



 大して考えた素振りも見せず、彼は平然とそんなことを言った。



「ええっ!?」



 無茶苦茶とも取れるレイレンの発言に、拓也も尚希も素っ頓狂な声をあげる。



「ちょっ……どういう意味―――」

「誰が、実一人にって言った?」



 抗議しかけた拓也に向かって、レイレンはびしっと指を突き立てた。



「もちろん、君にも一緒に動いてもらうよ。これから実と拓也君には、精霊たちを向こうに送り届ける役を一任する。僕は大地の呪いがある手前向こうに行けないし、キースには僕の手伝いに専念してもらいたいって言えば、実もそんなに疑わないでしょ。ちょくちょく実の力を借りなきゃいけない場面はあるけど、基本的にそれ以外の時は、できるだけ実をこの空間に置いときたくない。君の意見と実力を信用しての役割分担なんだけど、実のことをお願いできるかな?」



 実をこの空間に置かないこと。

 思い切り働いてもらうと言った真意はそこか。

 そういうことなら納得だ。



「もちろん。」



 拓也は深く頷いた。



 しかし、この時には誰も気付いていない。



 拓也が訴えた危険。

 そこに至る道は、とうに開かれていることに。



 そして、そこへ実が自ら足を踏み入れていたなんて。



 この時は、まだ―――


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