人知れず広がっていた異変

 レイレンは周囲を注意深く眺めた後に、実の方を振り返った。



「実、もう慣れた?」



 訊ねられ、実は無言で頷く。



 その隣で深刻そうな顔をしている拓也に気付いたらしく、レイレンはそちらを見て苦笑を呈した。



「そんな顔してるってことは、拓也君もここが、本来はあってならない場所だって気付いたかな?」



「まあな……」



 拓也はぎこちない動きで、首を縦に振った。

 そんな中。



「あってならないって?」



 きょとんとしているのは尚希だけだ。



「ははは。キースは見えない子だから仕方ないね。でも、ちょっとくらいは変だなって感じてるでしょ。」



「そりゃもちろん。実がさっきああ言った理由がよく分かる。地球にしては、随分と向こうっぽい空気をしてるよな。」



 尚希は実が感じていた異常の正体を端的に述べる。



 そうなのだ。

 ここは地球であるはずなのに、まるで向こうの世界にいるような空気をしているのだ。



 この辺りの地域には、向こうから流れてきた人々が集まりやすいらしい。

 その影響か、空気からほんのりと魔力を感じることは多々ある。



 しかし、今いるこの場所に満ちる魔力は異常だった。



 普段はごくたまに、それも微かにしか感じないはずの魔力が、ここでは完全にそのバランスを逆転させている。



 多量の魔力を含んだこの空気。



 目隠しをされてここまで連れてこられたとしたら、ここがアズバドルだと言われても疑わないと思う。



 さらに異常なのが、この魔力が人間のものじゃないということだ。



「どうやらここに、向こう側の精霊たちが住み着いちゃったらしくてねぇ…。見てのとおり、勢力拡大中って感じなのさ。」



 ようやくレイレンの口から、この異常事態の種明かしがされる。



 すでに精霊の存在を感じ取っていた実と拓也は、ますます顔をしかめるだけ。

 レイレンは、森の奥を見据みすえて眉を寄せる。



「特に、この先は警戒心が強い子たちばっかなのか、拒絶されてこれ以上は奥に行けないんだよね…。僕は精霊たちを元の住処すみかに帰して空気を浄化してるだけなんだけど、あの子たちにはどう思われちゃってるのか…。浄化しても浄化しても、すぐにどっかから集まってきて、もう一人じゃ手が回らないんだよ。」



「ずっと、一人でこれを?」



「そーだよー。だから、地球を離れられない事情があるって言ったじゃんかー。こんなのをほっといたら、いつこっちに悪影響が出るか分かったもんじゃないもん。」



 唇を尖らせるレイレン。

 実はそれに、目を伏せるしかなかった。



 彼はふざけた口調で軽く言っているが、これが笑えない状況なのは明らかだ。



 まさか人間だけではなく、精霊までもこちらに住み着いてしまうとは。

 しかも、圧倒的に地の精霊の勢力が強いのが厄介だ。



 この状況を放置していれば、いつ精霊たちに取り込まれて行方不明になる者が現れることやら。



 アズバドルと違い、地球には精霊たちをなだめる役目を持つ存在などいまい。



 好き勝手に暴れ始めた精霊たちがいたとしても、ここの人々は原因すら分からずに頭を抱えるはめになるだろう。



 〝フィルドーネ〟の力を持つレイレンが異常に気付いたのは、不幸中の幸いだったと言える。



 こんなことを知ってしまった以上、目を背けるわけにもいかないだろう。

 危険は、芽の内に摘んでおくに限る。



「俺たちが、自分の世界から逃げようとしたつけが回ってきたのかもね……」



 ぽつりと呟く実。

 同じことを考えていたのか、拓也と尚希の表情にも複雑そうな色が揺れる。



 実は、レイレンがこれ以上は近寄れないと言った木々の向こうを見つめた。



 周りに飛び回っている精霊たちも、奥で閉じこもっている精霊も被害者だ。

 異世界へ通じる道を作ったのは、人間なのだから。



「まあ、使える技術なら当然のように使うのが人間だもん。できてしまった魔法の存在を責めたって、後の祭りさ。」



「そうだけど……」



「ってなわけで、大変だけどお掃除を手伝ってほしいんだよね。この辺で遊んでる子たちならすんなり帰ってくれるはずだから、まずはそこから対処しましょ。」



「………」



「……実?」



 実からの返答がなくなり、レイレンは怪訝けげんそうに後ろを振り返る。



 実はじっと、森の奥を見つめていた。

 何が起こったのか、その目は焦点が合っていない。



 やがて。



 ――――――つ、と。

 

 

 その頬に、一筋の雫が流れた。



「実!?」



 慌てたレイレンが、実の肩を揺さぶる。



「え…? あ、あれ……」



 我に返った実は、驚いたようにまばたきを繰り返す。

 だからといって、すぐに止められるものではなかったのだろう。

 戸惑う実の両目からは、次々と涙があふれては零れ落ちていく。



「ごめん、なんでもない…っ」



 そう言って涙を拭う実を、レイレンは血の気が引いた顔で見つめていた。


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