心を許しても……

「こ、ここまで来れば……」



 拓也と尚希をなかば引きずりながら走り続け、彼らのマンション近くの公園まで辿り着いた実は、がっくりと肩を落とした。



 誰かが追ってきている気配もなかったし、とりあえずこのくらい家から離れれば、彼と拓也たちが鉢合わせることもないだろう。



「実、どうしたんだよ? なんか、予定と違うんだけど……」



 困惑した様子の拓也たち。

 完全にこちらの都合で引っ張ってきたので、仕方のない反応である。



「あー、ごめん。なんか、急に都合悪くなったっていうか、なんていうか…。俺、あいつ苦手なんだよー…。なんでこんな時に来るんだ、あいつは。」



 顔を覆う実に、拓也と尚希は揃って互いの顔を見合わせた。



 あの実が逃げ出すほどの相手というのも珍しい。

 そんな二人の心の声が聞こえてくるようだ。



「言っとくけど、あいつがいる限り、家に戻るつもりないからね。」



 というか、どうせ二人とも知っている相手だろうし。

 次に続くその言葉だけは飲み込み、実はじろりと二人をめ上げた。



「……だとよ。」

「やっぱ、ばれてたな。」



 拓也が尚希を見上げ、尚希が仕方ないと肩をすくめる。



 だんだん遠慮がなくなっている証拠だろう。

 拓也たちは、自らの中にあった興味を否定しなかった。



「どうする? ひとまず家に来るか? どっかに出かけるなら、このまま付き合うけど?」



 拓也がこちらの意向をうかがうように首をひねる。



 元より今日は、特に目的があって集まろうとしたわけでもない。

 暇を持て余していたところだし、家には帰れないし、いっそこのまま出かけた方が気分転換にはなるだろう。

 とはいっても、これといって出かけたい場所もない。



「拓也たちのとこに行く。ちょっと休みたい。」



 めんどくささの方が勝った。



「了解。」

「ははっ。ちょっとした散歩になっちまったな。」



 拓也が一つ頷くと、尚希が冗談めかした口調でそう言って進行方向を変えた。

 そんな二人の後ろに続き、実はふと息をつく。



(どうしよう……)



 頭に浮かぶのは、そんな気持ち。



 一人でいる時はあんなにぐるぐると悩んでいたのに、さっき二人の顔を見た瞬間、ほっとしてしまった自分がいた。



 彼らと知り合って二年以上。

 長いようで短くも感じる時間の中、二人にはたくさん迷惑をかけたし、たくさん救われてきた。



 何度も拒絶して、何度も食らいつかれて、そうして時間が流れていくうちに、色んなことが変わっていった。



 尚希は自身が歩むべき道を定めて、自分たちと住む世界が別れることになっても仕方ないと、現実を受け入れた。



 あれからの彼は何に対してもどっしりと構えるようになり、自分の無茶も拓也の暴走も、まとめて包んで笑って許してくれる。



 拓也も、自身の中で何かがあったのだろう。

 こちらの運命に巻き込まれたのではなく、自らの意志でここにいるのだと言ってくれた。



 きっと、それは嘘じゃない。

 今の拓也なら、自分のためなら本当になんでもしそうな気がする。



 そして、そんな二人の想いを拒み続けてきた自分だって、少しずつ変わっている。

 桜理のような犠牲は二度と出したくないと願っているのに、二人のことを特別に思ってしまう自分がいる。



 こんなに長い間、何があっても離れてくれなかった二人。

 彼らになら、もう何もかもぶちまけてしまってもいいのではないか。



 同じ世界で、同じ場所に立って、ずっと傍にいてくれた二人になら。



 もう。

 心を許しても……



 でも……

 でも………





「――― 実?」





 ふと声をかけられて、我に返る。



 すぐ目の前。

 やたらと近くに、拓也の顔があった。



 また自分は、拓也に心配される顔でもしていただろうか。

 ほとんど条件反射でそんなことを考え、自分の格好に気付く。



 違う。

 近寄ってきたのは、拓也じゃない。



 拓也に近寄っていたのは自分の方だ。

 ふと視線を下げると、拓也の上着の裾を小さく掴んだ自分の手が、微かに震えていた。



「え…?」



 自分で自分の行動に驚いてしまった。

 茫然として目をしばたたかせる実に、これまた拓也もきょとんとして小首を傾げる。



「実?」

「…………あっ……」



 そこでようやく気が回り、実は慌てて拓也から離れた。



「ご、ごめん。なんでもない。ちょっと……つまずいただけ。」



 とっさに言い繕うと、途端に拓也が半目になる。



「ほんとか? まーた無茶して、倒れる寸前ですとか言うんじゃないだろうな?」

「違うって。そんなんだったら、あんなに走れないって。ほぼ毎日一緒にいて、俺が向こうに行ってないって分かってるくせに。」

「……ま、そういうことにしといてやるよ。」



 最後に悪戯いたずらっぽく笑い、拓也は前を向いて歩き始める。

 その後ろ姿を見つめながら。



(まだ、心臓がばくばくしてる……)



 実はぎゅっと、胸元を押さえた。



 とんだ失態だ。

 まさか、自分からあんなことをしてしまうなんて。



 確かにこの二人にならと考えてはいたけど、そんな迷いが行動に表れてしまうなんて、思いもしなかった。



「………っ」



 胸元を押さえる手に、力がこもる。



 それだけ、心が弱っているのかもしれない。

 気を抜いたら、無意識に手を伸ばしてしまうくらい。



 胸が苦しくてたまらない。



 どうすればいい…?

 この苦しさからのがれるには。



 これ以上心を揺らさないためには、一体どうすれば……



 そんなことを考えている内に、マンションの前へと着いてしまった。



 拓也たちはこちらを疑う素振りも見せず、いつもそうするようにエレベーターのボタンを押す。

 二人に続いてエレベーターに乗り込むと、エレベーターが上昇を始める。



 そしてエレベーターが三階辺りを過ぎた辺りで、ようやく気がついた。



 厄介な気配が、上で待っていることに。



「あああああっ! やらかしたぁ!!」



 突然叫んでしゃがみ込んだ実に、拓也と尚希がびくりと肩を震わせた。



「えっ、なになに!? なんだよ!?」

「くっそー。油断してた俺が悪いけどさーっ!!」

「だから何!?」



 癇癪かんしゃくでも起こしたかのような実に、拓也たちは目を白黒させるしかない。



 そうこうするうちに、エレベーターは目的地である七階に到着した。

 七階であることを告げる無機質なアナウンスの後に、重たげなドアがゆっくりと開く。





「おっかえりーん♪」





 本来なら、あるはずのない出迎えの声。

 飛び込んできた第三者の声に反射で振り向いた拓也たちは、そこにいる人物を見つめて固まった。



 いかにも都会的な男性だ。

 肩甲骨まである金髪を自然に風で遊ばせていて、左側の前髪をヘアピンで留めている。



 カジュアルな服装に加え、両耳につけたピアスや首元に光るプレート飾りがついたネックレスが目を引き、それがまた彼の髪型や雰囲気に似合っていた。



 一見してとても軽そうな男性が、その外見を裏切らないくらいに明るい笑顔を浮かべて、実たちに手を振っている。



「え…」



 拓也と尚希がぽつりと呟く。

 そして次の瞬間。



「えええぇぇっ!?」



 二人の絶叫が、見事な二重奏を奏でた。

 それを聞きながら。



「……最悪だ。」



 一人いち早く状況を察していた実は、重たい溜め息をつくのだった。


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