京都防衛戦線異常アリ

幼縁会

サンプル

 鼠色の雲が、古都を覆う。

 古くは平安時代にまで遡る貴族達の京は、一〇〇〇年を超える歳月を経てなお一定の存在感を示し、日本が誇る主要都市の一角として君臨していた。

 時代の経過を現す一つは、民衆が歩く道路が均した地面ではなく漆黒のアスファルトで舗装されていることであろうか。無論、寺の内部など手を加えられていない場所もあるにはあるが、それらは意図的な措置。大部分は歩行安全性に配慮した素材へと姿を変えている。

 滑り止めを内包した漆黒の上を、重厚なる無限軌道が微かな轍を刻む。

 それは著しい不協和音であった。

 右手には歩道を挟んで木製の塀が立ち並ぶ趣ある場にあっては、鉄の馬とも称せるバイクですら多少の違和感を抱く。にも関わらず、第一次世界大戦で初めて姿を現した六〇トン近い鉄の要塞が都市迷彩の一つも施さずに歩を進めれば、最早吐き気すら催す場違いさを演出するというもの。

 灰を基調とした外観は傾斜装甲を採用し、全体的に角ばった印象を抱かせる。例外的な丸みを見せるのは正面へ突出した主砲と左右に搭載した筒の数々。

 三〇式戦車と呼ばれる最新鋭の兵器が、計一三。指揮官の下、一個中隊が規律よく前進していた。

 京都どころか日本国内での運用にすら眉を潜める者がいた兵器群はしかし、ある意味ではこれ以上なく現状にマッチしている。


「人の手が入らないと木材って脆いんすねぇ」


 カメラ越しで外の風景を一瞥し、砲撃手たる伊勢は言葉を漏らす。未だ接敵していない状況では、彼はどうしても手持無沙汰となってしまう。

 花の京。古都。古き日本に於ける政治中枢。

 形容しうる言葉が湯水の如く湧き出る京都を、今表現可能な言葉は少ない。

 廃都。死都。戦火に晒された骸。

 咄嗟の避難命令であったことを証拠づけるように自動車は乗り捨てられ、定期的なメンテナンスが前提であった施設は尽くが錆つき亀裂を走らせる。本来なら持ち運び切れずに放棄された食料を目当てに動物が寄り付いていてもおかしくないのだが、火薬と硝煙の香りがこびりつき、遠方から砲撃の音が聞こえる場に住み着く命知らずはとっくの昔に絶滅している。

 直接的な攻撃が加えられた地域ではない。

 ただ戦闘の危険があると人々が去った土地でこれなのだ。今より向かう死地は更なる惨状が待ち受けているのは、想像に難くない。


「おぉ、やだやだ。俺は銃が撃ちたかっただけで誰かに向けたかったわけじゃないってのに」

「伊勢一尉、軽口は慎め。今は作戦活動中だ」


 多数の計器と有視界カメラ越しに送られる外界の風景に包まれた戦車内部。伊勢の背後に腰を下していた男性が諫める言葉を放つ。

 伊勢は素早く計器の情報から敵がいないことを確かめると、背後の男へと振り返った。


「とは言いますがね、山城二尉。部隊が展開しているのは金閣寺で、こっちは三十三間堂から出撃したばかりですぜ。敵も展開していませんよ」

「油断するなと言っている。奴らの技術力は未知数、幾つかは残骸から回収できても手札が全て割れている訳ではない」


 部隊の指揮を取る男、山城の脳裏には忌々しき鉄の巨人が風景から突然浮かび上がり、部隊を蹂躙する光景が浮かんでいた。

 考え過ぎ、と取られても不思議ではない。

 だが厳然たる事実として、日本はヤツラの未知に破れ去り、その骸を都市部で晒している。

 三八にも及ぶ部下の命を預かっている身として、油断が原因で無為に散らしたなどと口に出来る訳がない。

「そんなもんですかねぇ……」

 そんな上官の思いを知ってか知らずか、伊勢は両腕で枕を作ると椅子へもたれかかった。軋みを上げる座席は同時に心地よい反発を与え、主の身体に合わせて凹む。

 沈黙は数秒。

 伊勢は頭上の電球が点灯するイメージに準じ、再び口を開く。


「そういえば山城二尉って結婚してんですよね?」

「それがどうした」

「見ましたぜ、出撃前に子供から何か貰ってるの。娘ですか、何貰ったんです?」

「……」


 伊勢からの質問に対して、返答は沈黙。山城が胸元に手を当てるだけでは、後頭部に目を持たない伊勢が把握できる訳もなし。

 戦車内で最も若年の男は、計器を一瞥して安全を確保すると再度背後へ意識を注いだ。


「京都にはありがたーいお寺が沢山ありますからね、お守りも選び放題だ」


 錦天満宮。

 平安神宮。

 三室戸寺。

 格式高い伝統に則ったものから流転する時代に合わせて発展したものまで、多種多様なお守りが京都には存在する。当然のこととしてご利益もデザイン同様多岐に渡り、安全祈願も星の数だけ立ち並ぶ。

 神の不在が半ば証明された世界であっても、信奉の形は自由。

 しかして、山城は胸元の拳を一層強く握り締めるだけで口を割ることはしない。

 故に伊勢が更に一歩踏み込もうとした時、操舵を担っている男性──扶桑が割り込む。


「そこまでにしておけよ、伊勢。独身の僻みは見ていて面白くない」

「あぁッ。べ、別にそういうんじゃねぇよッ……!」

「どうだかな」

 伊勢が腕を組みそっぽを向き、扶桑は視線を山城へと注ぐ。

「すみません臨時中隊長、奴は軽口が過ぎる所がありまして」

「いや、いい。君が謝ることじゃないさ、扶桑一尉」


 山城は手で制すると、見えもしないはずの扶桑は会釈で応じる。

 気が張っている自覚は山城自身にもある。それを和らげようとしたのだとすれば、徒に伊勢一人を叱責する気にもならない。

 臨時中隊が出撃した三十三間堂は、前線から一歩引いた臨時拠点と逃げ遅れた住民の避難所を両立している。もしも金閣寺周辺での部隊が敗れ去れば、次は仏像の立ち並ぶ寺院が最前線となる。そうなれば避難民に更なる負担を強いることとなる。

 脳裏に過った妻と娘の笑顔。それが一層の曇りを見せるとなれば、一家を率いる者としても、一つの中隊を率いる者としても敗北の選択肢はあり得ない。

 とはいえ、戦は感情だけでどうにか出来るものでもなし。となれば、過剰に気負っている所を緩める、伊勢のような人材の必要性もまた相応に高いというものである。

 計画的か、あるいは天性の才覚か。

 伊勢のお陰で幾分か解れた空気はしかし、警告を告げる甲高いアラート音が引き締める。


「敵性反応ッ?」

「どうなってる、前線は金閣寺だろッ!」

「全部隊進行停止ッ、望遠カメラで一時の方角を確認せよッ!」


 視界が赤く明滅する中、山城はカメラの一角に映った黒点へ幾つものウィンドウを開設。その度に黒点は輪郭を獲得し、拡大によって荒くなった画面に存在感を増す。

 平安神宮の一角。幕末の戦乱で荒れた京を復興せんと情熱を燃やした市民の思い、その結実たる社殿を薙ぎ払い進行するは人ならざる人。

 六メートル近い体躯。大気を引き裂く刃で銃身を挟んだ両腕。鳥もしくは稲妻を彷彿とさせる人とは異なる膝関節。都市迷彩の概念を無視した漆黒の外装と前面に突出した頭部で辺りを索敵するは鮮血を思わせる真紅のカメラ。

 それは異質なる巨人。液晶の先にしかあり得ないはずの空想の産物。人型機動兵器。

 所属不明の未確認兵器、数か月前に突如として日本全土へ侵攻したそれらは敵国の秘密兵器とも、宇宙人とも無責任な流言が飛び交っている。

 真相が分からず、しかして敵という事実のみを寄る辺に山城はウィンドウに現れた鋭角的な巨人を睨みつけた。


「レイヴン……単機か、周辺に友軍の反応は?」


 便宜上つけられた仇名を呟き、山城は索敵を要請。

 応じた面々は次々と計器を操作し、情報の最適化を図った。


「ありません。部隊からはぐれたのでしょうか、それとも陽動?」


 巡航速度を維持したまま進む様は戦闘機動の類とは思えず、事実として戦車隊や航空機が展開している様子もない。順当な予想は扶桑の上げた二つだが、決めつけるには判断材料に欠ける。


「彼我の距離は二〇〇〇……進行方向的には、少し時間を置けばやり過ごせると思われます」


 相手は六メートル近い高みから見下ろすことになるが、平安時代ならいざ知らず現代の京都では相応の高度を持つ建物も多い。意識的に索敵しなければ、建物の背後に隠れた戦車を見出すことは困難だろう。

 部下からの報告に中隊隊長は顎に手を当て、思案。

 金閣寺に展開中の部隊への合流は一刻を争う。が、中隊規模の戦力でも腐肉を喰らう渡り烏相手には不利、壊滅の可能性も高い。かといって見逃せば、何の気紛れで後方の拠点を狙われるか分かったものではない。

 自衛隊の本懐。そこに焦点を当て、山城は頷く。


「各部隊に通達。エンジン出力を必要最低限へ低下、建物を背景にレイヴンとの距離を詰めろ」

「了解ッ」


 応じる扶桑の言葉に準じ、室内の空調が切られる。上げられたボタンも幾つかが落とされ、その度に静まる音が壁を通じて山城の鼓膜を揺さぶった。

 出力を落とせば、熱源反応から存在を勘ぐられる確率は低下する。

 だが、大気を震わす音を無とすることは叶わない。どうしても無限軌道は音を立てて駆動し、怨敵との距離を詰めざるを得ないのだ。

 道なりに歩を進める戦車の中、山城はそれすらも気づかれる切欠になるのではと不安に駆られつつも息を呑む。

 後手に回れば圧倒されるのみ。

 気勢を制し、勢いのまま状況の変化に適応する前に撃破する。それが、数に勝る山城達にとって唯一の勝ち筋なのだ。

 緊張の糸が張り巡らされる。

 息を殺し、極度に高まった集中力が頬に伝わる汗を自覚させる。

 無機質な駆動音のみが世界を形成し、繊細な手捌きで砲身がミリ単位で敵を捉え続ける。

 見開かれた両の目が気づくな、との祈りを乗せてカメラが投影する風景を凝視し──

 極々僅かなアラート音が、主砲の有効射程に収まったことを祝福のファンファーレの如く高らかに告げた。


「一斉砲撃ッッッ!!!」


 待ちに待った指示を受け、一五〇ミリ滑腔砲が歓喜の雄叫びを上げる。

 距離は五〇〇、マトモに撃ち合えば漆黒の外装とて有効打となり得る間合い。

 直撃を目指して大気を泳ぐ弾頭の群れはしかし、真紅のカメラが視界に捉えたと思えば、速度を増すことで一発たりとも外装を傷つけることは叶わない。


「レイヴン、全弾回避ッ。こちらに気づきましたッ!」

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