夜の友達

唐突なことなのだが、

ふらりと夜道を歩いてみたくなる時がある。

それは、反社会的なことへの

憧れといったものではなく、

ただ気が向いたからというものだった。

数ヶ月前まで夜は嫌いだったのだが、

今となっては何故か近しいものに感じる。

あの秘密基地で幾晩かを経たからか、

それとも夜のような暗さの中

歩ねえや波流が迎えに来てくれたからか。


どっちにせよ、夜に付属する思い出が

悪いものばかりではなくなったということだ。


美月「…これが変わったところ…かしらね。」


黒色の両手が私を常に囲んでいて、

いつでも捕らえられてしまうと思うと

背筋が急速に凍っていた。

けれど、今となっては

夜ばかりに囚われないようにと

優しく包み込んできてくれている。

その皮肉がなんとも夜らしく、

愛おしさまで感じた。


狭くて暗いところは怖かった。

今でも怖いと思う時はある。

いつ何時も殴られているような

気になってゆくから。

けれど、私が数日空けてから戻ってきた時、

ぎゅっと抱きしめてくれたあたり

全ての愛情が嘘だとは

思えないようになっていた。


朝に抱えられて目覚める為に

夜を犠牲に生きてきた。

けれど、朝も夜も同一人物だったのだ。


美月「…。」


あぁ。

あの時は筋肉痛に悶えながら

帰路を辿っていたのだっけ。

よたよたとした足取りではなく、

今となってははっきりした足取りだ。

ただ、疲労が重なっているために

へとへとにはなっている。


少しばかり傷の増えたラケットが

背中でからりからりと

軽快な音を鳴らしていた。

変わらずシューズも入っているから

鞄はぱんぱんに膨れ上がっている。

春に比べると水筒はひと回り大きくなり、

中身が体としても重さは十分に

肩を通して感じていた。


美月「…ここを…右だったかしら。」


今日は帰ってから何をしようかしら。

陽奈から勧めてもらった曲でも聞こうかしら。

どんな世界観なのだろう。

どんなメッセージが

眠っているのだろう。


夢想するのはいつしか楽しくなっていた。

この先どうなっていくんだろう、

そう思えばわくわくしてやまない。


夢想、といえば連想されるのは

やはり本だろう。


彼女から、歩ねえから貰った

最初で最後のプレゼントが脳裏を掠める。

中身は…今思えばよく分からないものが

多かったような気がしたのだっけ。

折り紙でおった何かとかシール、

拾ったきれいな石とかお菓子とか。

そんなものが、当時はきらきらして見えて

ずっと大切にとっていた。

宝物だった。

そして、エルマーのぼうけんという本。

当時の私からするとほぼ無縁だった

本という存在。

けれど歩ねえがくれたものだからと

何度も何度も読み返した。

…今はもう置いてあるだけ。

どこに置いたままにしていたっけ。


暫くして、私は人生の中で

1番の過ちを犯した。

それは、人の気持ちを考えることが

できなかったこと。

歩ねえのことを何も考えず虐めたこと。

もうあんな顔をするところなんて見たくない。

友達なんていらないと咽び叫んだあの顔を。

…。

私は、忘れてはいけない。


私は必死だったと言うのに、

それは周りから見たら

とても有意義な変化だったらしい。

私の愚行は結局学校外へと

情報が出回ることはなかった。

そして、私が何をすることもなく

その事件はすうっと影を薄め、

今では見えなくなりかけていた。


美月「………何回も思い出したわね。」


7月。

私たちの物語は漸く終止符が打たれ、

あとは平穏とも言い難いこの日常を

なるべく平和に過ごすだけだある。


そういえば4月当初に

Twitterに変化が起こってから

既に数ヶ月経ている。


変なことばかりが続いた。

私は吸血鬼の成り損ないのように

なってしまった。


変なことばかりが続いていた。

長束先輩が帰ってきた。


変なことばかり続いてしまった。

歩ねえと対面した。

たった3ヶ月で

いろいろなことが起こったものだ。


暗闇に佇む家々は、

人が住んでいるのだと分かる家から

そうだとは分からない、

判別のつかない家まで三者三様であった。

夜風は私の体を切るように

真横をすうっと通り過ぎてゆく。

この感覚が懐かしい。

今日ばかりは涼しいものの、

既に30℃を超える日は何度もあった。


踏み出す度にラケットがからからと鳴り、

1歩踏み出す度に鞄の重量が

肩を引きちぎろうとするかのように

のしかかってくる。


美月「………懐かしい。」


ふと公園へと差し掛かった。

傘を篠突く雨は刹那、

弱々しく泣き出した。

一瞬のうちに音は空気を変え、

まるで私が公園に来たことを

迎え入れてくれているようで。


じ、ず、ずっ。

なるべく音は立てないようにと

思っていないためか

どうしようもなく鳴る砂たち。

その音に気づくはずもなく、

不意に見えた人影はゆらりと揺れた。

微かに音楽が聞こえてくる。

音楽とは言えど、

人の口からのみ奏でられていた。

雨に混じり、溶け落ちていった。


「ふー…ふんー……ふふーふー…。」


聞いたことのないリズム、音程。

やはり今話題の歌では無いようで。

自分で作っているのだろうか。


今日ばかりは雨のために

ブランコに座っていることはなく、

ただ傘を差して突っ立っている影が見える。

傘のせいで顔までは見えないけれど、

その人はきっと前にあった人だと

疑問も抱かずに近づいた。


ふと私に気がついたのか

ぱっと顔を上げた。

マスクをしているものの幼さの残る顔つき。

傘の指先から水滴が散乱した。


美月「こんばんは。」


「あ!こんばんはー。久々だ。」


口を開けば特徴的な声が耳に届く。

あはは、と小さく笑みを浮かべる

茉莉がいたのだ。

歌うのをやめたからか、

雨音の合奏だけが私たちの足元を浸す。

夜のしんとした空気が私たちを刺した。


茉莉「ほんとにエンカするとは思わなかったな。」


美月「エンカ?」


茉莉「エンカウント。出会う的な。」


美月「あぁ。そうね、また会えたわね。」


茉莉「あれから何回かここに来ました?」


美月「いいえ、会った日含めて2回目よ。」


茉莉「すご、運いい。」


美月「茉莉は?」


茉莉「茉莉は何回か来てますよ。気晴らしに丁度いいから。」


美月「そうだったのね。でも夜道は気をつけなさいよ?」


茉莉「そんな7時くらいなら平気。」


美月「そうかしら。」


茉莉「それなら美月さんもじゃん。」


美月「名前、覚えたのね。」


茉莉「勿論。」


にこっと笑う顔は

やはり幼さが抜けきっていなかった。

こう見ると、私はどうにも

大人に近づいてしまったことが分かる。

茉莉の年齢は知らず、

身長のみで判断している自分がいた。

勝手に年下だろうと思い込んでいる。

けれど、茉莉も年齢について

説明も弁明もしないあたり、

このままでいいやと思っているのかもしれない。


美月「最近曲作りの方はどうなのかしら。」


茉莉「あんまりやってないです。」


美月「そうなの?」


茉莉「はい。こうやって散歩する時だけ。」


美月「嫌になった?」


茉莉「ううん。他のことをやらないといけなくなっちゃって。勉強っていうやつなんですけど。」


美月「あ、あぁ。…ふふっ、そうだったのね。」


茉莉「そー。」


美月「まぁ、大事なことだけれどね。」


茉莉「けどって感じですよね。」


美月「よかった。音楽を嫌いになったわけではなくって。」


茉莉「元々好きかどうか分からないって感じだったし、嫌いになることはないと思います。」


美月「そうだったわね。」


茉莉の手癖なのだろうか。

傘をぐるりと1回転。


美月「勉強ね…自分を信じるしかないわね。」


茉莉「美月さんは勉強得意?」


美月「程々に。」


茉莉「あ、できるタイプだこれ。」


美月「ふふ、そんなんじゃないわよ。」


茉莉「茉莉知ってるもん。テスト勉強してないってやつほどしてる現象。」


美月「確かにあるけれど。」


思えばどの地域でも

見られる現象なのだろうと浮かぶ。

皆、自尊心が低いから

そう口に出すのだろうか。

それとも国柄?

将又保険をかけたいのか。

そのどれもが一部ずつ

当てはまっていくだろう。


茉莉「そっかぁ…信じるかぁ…。」


美月「そうね。」


茉莉「…頑張るしかないとはこのこと。」


美月「ふふ。」


茉莉「え、でしょ?」


頑張ろうと思っているのだろう。

きょとんとした顔をしつつも、

瞳の奥にはこの雨でも消えない炎が

灯っているような気がした。


茉莉「ふぅ…いろんなことに行き詰まってたけど、また頑張ろっかな。」


美月「程よく息抜きしつつが丁度いいのよ。」


茉莉「くははっ。そうだね。時々また公園こよ。」


美月「私も時折くるわ。」


茉莉「待ってるね。」


美月「えぇ、私こそ。」


にんまりと微笑みが夜を照らす。

ああ、前もこうだったか。

公園の時計は刻々と進んでいるのが

全く分からないままに

暫くの間、夜に住む彼女と話をしていた。

雨は心地よく心に浸透し、

いつだか巣を作り出した。


久しい出会いで梅雨の季節も

幕を閉じていくのだろう。

今日の最後になんとも不思議な縁がひとつ

深まっていったのだった。









不確かな感情の波に流されて 終

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不確かな感情の波に流されて PROJECT:DATE 公式 @PROJECTDATE2021

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