【第55話・エピローグ2】 他に行くところなんてないよ





「ママ-!」


 扉を開けると、和寿が玄関に飛び出してきた。


「いい子にしてたね。ありがとうね」


 和寿が使わなくなって、元の広さに戻っていたリビングに、私が不在の間にベビーベッドが戻ってきていた。


 和寿のときはあまり使わなかったのだけど、二人目ともなって、イタズラも考えると、やはりあった方がいいと剛さんにお願いしてあったもの。


「陽咲、お疲れさま」


 奥からお母さんも出てきた。昔は私がいなくなる不安ばかりだったのに、今では孫と遊ぶことが楽しみの一つになっているらしく、保育園の休みなどに時々やってくる。


「なんか、帰ってきてほっとしますけど、今夜からはゆっくり寝られませんね」


 抱いてきた瑠依をベビーベッドに下ろして、冷蔵庫から麦茶を取り出した。


「陽咲、それまだ着ているの?」


 お母さんが驚いている。


「うん、だって身長も体型も変わらないからまだまだ着られるし、剛さんも気に入ってくれてるし。お母さんが直してくれたし」


 私が初デートのために15歳のお小遣いで買って、そして、あの事件を一緒に過ごした服。背も伸びないし丈もちょっと長めだったから、スパッツなどで調整して、この歳でもおかしくないようにコーディネートは変えているけれど。


 自分でデートに買ったものだし、好きな人の前で着たい。過去の清算は終わったから、それを見てくれるのが剛さんならなおさら。


 そんな私を見て、剛さんもお母さんも私の傷が癒えたことを実感してくれた。



 もちろん、今でも暗がりは苦手だし、剛さんに甘えてしまうこともたくさんある。和寿が寝た後に、剛さんの胸で一晩泣き明かしたこともある。


「剛さん、ミルク作ってもらえますか?」


「はいよ」


 和寿のときもそうだったけど、私の場合、母乳が出始めるまで少し時間がかかる。元が小さいから少し張っただけでも痛いんだけと、そんな時も剛さんが笑いながらほぐしてくれる。『堂々と触らせてもらえる』とか言いながらね。


「出来たぞー」


 哺乳瓶を渡してくれる剛さんは、今でも職場では私の上司なんだけど、家と会社のギャップは、結婚した当時から私たち夫婦の秘密。


「はぁ、疲れましたぁ」


「久しぶりだから、なんか勝手が違うしな」


 子どもたちもすっかり寝入って、本当に久しぶりの夫婦二人だけの時間。


「昔だったら、ここで晩酌だったのになぁ」


 私の入院を機会に剛さんはお酒を断っていて、私が完治したと思ったら妊娠と、結局ずっと飲まないうちに、そのままになってしまった。


「瑠依の授乳期間が終わったら、一緒に飲みましょう」


「そうかぁ、早く終わってくれねぇかなぁ」


 もう、そんなこと言いながら、手が胸元に来ているじゃない。


「剛さん、今は瑠依に貸してあげてくださいね。終わったらまた剛さんのものになりますから」


 剛さんの唇に私のを合わせるために背伸びをする。


「ひな……」


「私だって、寂しいんですよ? でも、いまはこれで我慢します」


「ほんと、ひなは強いなぁ。俺にはもったいない子だと今でも思うぞ」


「いいえ……」


 はっきりと首を横に振った。


「初めてお会いしたときの星野陽咲はもういません。もうずいぶん前に持っていた時間を使い切ってしまいました。剛さんに分けていただいた時間で私はここにいます。残りはどのくらいなのかは分かりません。でも、一緒にこれからも精いっぱい隣を歩かせてください。これが今の私、坂田陽咲の一つだけのお願いです」


 きっと、これ以上の幸せを願ってはいけないし、私が思いつくのは本当にそれだけ。子どもたちが成人するまで手を引いてやらなければならないけれど、それ以上に、剛さんに寂しい思いをさせたくない。


「まったく昔から変わらないな。ひながここまで頑張ってくれたことが俺には一番嬉しい。この先もいろいろ大変だと思うが、ついてきてくれるか?」


 思い出してみれば、出会って最初の年は手をつなぐことがやっとだったし、次の年にこの腕に初めて抱かれてから、もう何年たったのだろう。


 長かったようにも、あっと言う間にも感じる。これからもずっと一緒。それが私が描けた人生だから。


「もちろんです。私には他に行くところなんか無いんですから」


 嬉し涙が止まらない私の顔を、剛さんはいつも通りに胸に抱きよせてくれた。

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恋のチカラ ~奇跡のひだまり~ 小林汐希 @aqua_station

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