第31話 招待状

 静寂な一室にペンが走る音だけが響く。

 そのペンの音が止まると、ペンを走らせていた女性が近くの侍女にを差し出す。


「出来たわ。これで最後よ。これを今日中に全員に送って頂戴」

「かしこまりました」


 指示を受けた侍女は一分の隙もなく受け取り、インクが乾いたのを確認すると素早く封に入れていく。

 そして封に入れ終わると束になった封を抱えて退室の言葉を主君に述べ、足音を立てることもなく退室する。


 侍女が退室したのを確認すると、今度は残っていた今年配属されたばかりの若い侍女に視線を向けて指示をする。


「さて。次は予算計画持ってきてくれる?」

「は、はい。……あの、休憩はしなくてよろしいのですか?」


 指示を受けたおずおずと若い侍女が問いかける。

 ここで先ほどの侍女がいたら叱責を受けていたことだろう。

 だが若い侍女が問いかけるのも無理もない。先ほどまで主君は一度も休むことなく、二十人以上の相手に向けてペンを走らせていたからだ。


 問いかけられた主君はその問いにふふ、と口許に弧の描くとニコリと微笑んで若い侍女の問いに答える。


「平気よ。それよりさっさと仕事を終わらせないと。私は常に余裕を持って仕事をする主義なのよ」

「か、かしこまりました!」


 そして急いで予算計画の書類の束を執務机に置くと、女性は口許に弧を描いたまま、次の仕事に取りかかった。




 ***




「ねぇ、今日王都に遊びに行かない?」


 くるり、とアロラが振り返りながら私とオーレリアに提案する。

 突然の提案に一瞬、間が空くもすぐに返事をする。


「外出ね」

「うん! 今日やっーと、天文学の再テスト返ってきたからね。メルディの苦しい講義に耐えた自分にご褒美ってわけ!」

「さりげなく人をディスってるわね」

「そんなことないよ~。メルディ様のおかげです、様様ですよ~」

「調子のいい子ね」


 でもまぁ、必死に勉強していたのは知っているのでこれ以上特に言うまい。


 いつも明るいアロラだが、今日は天文学の再テストが返却されたからか、いつもより有頂天だ。

 それもそのはず。テストの点数は無事合格だったこともあり、アロラの喜びはすごかった。次の休み時間はすぐにステファンに報告していたくらいだ。


「他クラスの子に聞いたら王都に新しいカフェが出来たんだって! そこのパンケーキがすっごくおいしいらしくて! オープン記念で今ならお得みたいだから行こうよ!」

「へぇ、新しいお店ね。じゃあ行ってみる?」

「そうですね。アロラ様の話を聞くとおいしそうですし」

「よしっ、けってーい!! ほら、早く行こう!」


 賛成の意を唱えると元気にはしゃぎ、その姿に私とオーレリアで互いの顔を見て苦笑する。


「アロラ様、元気ですね」

「元気なのがあの子の取り柄だからね。元気じゃないのはあの子じゃないわ。……まぁ、今回は苦手なテスト頑張ってたからね」

「そうでしたね。ステファン様も可能な限り、アロラ様の様子を見に来て気に留めてましたね」

「そうよね」


 だからこそアロラも頑張ったんだろう。大好きな婚約者の期待を裏切らないように。

 アロラが頑張ったのは明白なので確かに三人でカフェで楽しむのもいいかもしれない。

 そんなこと思いながら先へ先へと進むアロラの後を歩いていると、後ろからオーレリアが呼び止められた。


「オーレリアさん?」

「? サンドラ先生?」


 振り返るとそこにいたのは二十代半ばの女性。教えてもらっていないけど、確か、ピアノの音楽教師であるサンドラ先生だ。

 オーレリアの名前を呼ぶとニコッと微笑んでこちらへ歩いていく。


「やっぱり。少しいいかしら?」

「は、はい」


 そしてオーレリアの前に来ると一枚の手紙を差し出す。


「突然呼び止めてごめんなさいね、これを渡したくて。開けてみて」

「これは……?」


 サンドラ先生が手渡したのは真っ白い封で、宛先にオーレリアの名前が記されている。

 その字にあれ?と思う。この字、見たことある。


 そんな私に気付かずにオーレリアが指示されたとおり開いていくと、が私の視界に飛び込んでくる。


「あっ」


 達筆な字と内容に思わず声が出ると、オーレリアとサンドラ先生の視線が私に集中する。


「メルディアナ様? 知っているんですか?」

「ええ、まぁ……」

「さすがメルディアナさん。見に行ったことある?」

「はい、あります」

「……?」


 サンドラ先生に答えるとオーレリアが不思議そうに頭を傾げる。

 そんなオーレリアにサンドラ先生が丁寧に説明していく。


「オーレリアさん、演奏会は見に行ったことあるわよね?」

「? はい。私の領地は辺境ですが劇場はあったので」

「これはね、ピアノ演奏会の招待状よ。でも、ただの演奏会じゃないわよ。主催者は王妃様よ」

「え……、お、王妃様っ!?」


 最後に放たれた主催者の名前にオーレリアが驚愕する。

 そして王妃様が書いた招待状とサンドラ先生の方へ何度も視線をさまよわせる。


「ど、どうして私が……?」

「王妃様は芸術愛好家なお方でね。昔から音楽家や芸術家を支援しているの。毎年画家や音楽家のコンクールなどを主催しているのよ? 去年はヴァイオリンだったけと、今年はピアノで学園の音楽演奏会で受賞した子にも招待状を送ってきたということよ」

「そ、そうなんですか……」


 サンドラ先生の説明にオーレリアが少し落ち着く。

 まぁ、関わりのない王妃様からいきなり招待状が来たら驚くだろうなと思う。


「ふふ、この演奏会はプロ中のプロが参加するのよ? 宮廷音楽家が中心でね」

「宮廷音楽家……!? すごいっ……」

「ええ。生徒は任意参加だけど、オーレリアさんどう? 無理ならいいけど、参加した方がいい刺激になると思うのだけど」


 サンドラ先生がオーレリアに問いかける。

 文面を見ると、サンドラ先生の言うとおり、王妃様からの招待状だけど生徒だからか任意参加になっている。なので断ることは出来る。

 だが王家主催の夜会に参加したことがないオーレリアにとって、此度の演奏会はとても貴重な機会だろう。

 宮廷音楽家を見たこともなければ演奏も聴いたことないからサンドラ先生の言うとおり、いい刺激になるはずだ。


 オーレリアはどうするんだろう。参加するのだろうか。

 そっとオーレリアの様子を隣で観察すると、しばらく文面を見つめていたけど、意を決したように顔をあげた。


「生徒は参加する方が多いですか?」

「そうね。貴重な機会ですもの。夜会やお茶会でも話題に出来るもの」

「なら、私も参加してみたいです」


 はっきりと言い切るとサンドラ先生はぱぁっと明るい表情を見せる。

 

「よかった。じゃあ参加する旨を伝えてね。演奏する曲は一曲だけだからよく考えて決めてね」

「はい」

「緊張すると思うけど頑張ってね。予約さえしてくれたらお昼休みや放課後音楽室を利用してもいいからね」

「ありがとうございます」


 返事するオーレリアにサンドラ先生が嬉しそうに微笑む。


「当日は学園はお休みだからメルディアナさんたちも見に行くのもいいわね。私も見に行くつもりだから頑張ってね」

「はい、頑張ります」

「呼び止めてごめんね。それじゃあ」


 用件を伝え終わるとサンドラ先生は去っていき、廊下には私とオーレリアだけとなる。

 しかし、静かだったのはほんの僅か。バタバタっと走るような足音が廊下に響いてそちらへ目を向ける。


「あっー! もう、遅いー! 何してるの?」

「アロラ、走らないの」


 そして私たちがいないことに気付いたアロラが文句を言いながら戻ってくる。

 なのでアロラに走らないように注意して不在時に何があったのかを簡単に説明していくと目を見開く。


「えっ!? そんなことがあったの!?」

「そうよ」

「わっー! オーレリアちゃんすごい! すごいよ!」


 騒ぐアロラにオーレリアが少し恥ずかしそうにしながらも照れ笑いを浮かべる。


「受け取った今でも信じられません。私が王妃様主催の演奏会だなんて」

「王妃様の前で演奏するの緊張する?」

「そんなの緊張するに決まってます! ……でも、宮廷音楽家の演奏を間近で聴ける貴重な機会なので少しわくわくもしてます」


 えへへ、と笑うオーレリアを見て内心ほっとする。 

 よかった、緊張はしているようだけど過剰ではなさそうだ。


「曲名はどうしましょう。他の人と被らない方がいいのでしょうか」

「その方がいいけど、別に被っても問題ないわよ。サンドラ先生も言っていたけど、好きな曲を演奏したらいいわよ。王妃様は音楽に造詣が深いからなんでも大丈夫だから」

「やっぱりメルディアナ様、詳しいんですね」

「そりゃあ王妃様とは付き合いが長いからね」


 教えながらオーレリアの言葉に肯定する。

 今は時折王妃様に会うくらいだけど、それこそ幼い頃は王宮に行く度にロイスと王妃様と会っていたものだ。

 王妃様に娘がいなかったということもあり、よく王宮に来る私を娘のようにかわいがってくれていて、来る度に珍しいお菓子やお茶を帰りにプレゼントとして渡してくれたものだ。


「休みなら行ってもいいね。メルディ、一緒に行こうよ」

「そうね」


 アロラの誘いに頷く。

 昔は母とともに見に行ったことがあるけど、最近は私や母の都合で演奏会に行っていなかったので久しぶりに行くのもいいかもしれない。


「メルディアナ様たちも来てくれるんですか? ふふ、じゃあ余計練習頑張らないと」

「練習したいのなら今日の予定はキャンセルしてもいいけど」

「えっ!?」


 オーレリアに提案するとアロラが驚いたかのように大きな声を出す。


「そんなぁ~」

「我儘は言わないの」

「えっ~」

「そんな、メルディアナ様。私は大丈夫ですから。三人でおいしいカフェに行きましょう」

「オーレリアちゃんっ……!!」


 伸ばした声を出していたアロラが急に元気になる。前から思っていたけど、オーレリアってアロラに少し甘い気がする。


「分かったわ。じゃあカフェに行きましょう」

「はい」

「よし行こう! ほらほら早く早く!!」


 急かしてくるアロラの後ろを歩きながら一つ、先ほど思ったことをオーレリアに尋ねる。


「ねぇ、オーレリアってアロラに甘くない?」

「そうですか?」


 どうやら自覚ないらしい。私から見ると甘く見えるが。

 肯定すると、うーん、と声をこぼす。


「なんでしょう、アロラ様って妹気質でなんか手助けしたくなっちゃって。そういうメルディアナ様もなんだかんだアロラ様に甘い気がします」

「私も?」

「はい。なんだかんだ勉強や日直の仕事を手伝ってあげたり、メルディアナ様も結構アロラ様に甘い気がします」

「…………」


 指摘されて沈黙になってしまう。言われたら確かにそうだ。

 隣の領地で同じ年で同性ということで何かとアロラと過ごすことが多く、よく面倒を見ていた気がする。

 私は末っ子だけど、三人兄妹の末っ子のアロラの方がなんだか頼りないところがあったりして何かと面倒を見ていた気がする。

 

「弟がいるからか、つい長女気質が働くんですよね。つい助け船出してしまって。アロラ様の魅力ですね」

「……そうね」


 オーレリアの言葉に同意する。ステファンもアロラに甘いところあるし、あの子の魅力だと思う。

 そしてアロラが「おそーい!」という声にオーレリアと苦笑しながら足を早めたのだった。

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