第10話 ユーグリフト・スターツという人
長い髪を上にひとまとめにして木剣を手に持つ。
そして鍛錬場で風を切るように力強く剣を振るい続ける。
心で考えることは数を数えることのみだ。
「百九十八、百九十九……二百」
二百まで数え終えて剣を振るうのをやめて手の甲で汗を拭う。ふぅ、少しは気晴らしなったかもしれない。
しかし、そう思ったのも束の間。先ほど言われたことを思い出す。
『隠密向いていないからもうやめた方がいいよ。見ていて笑えたから』
「……あああ! やっぱり腹立つ!」
言葉とともに人を煽るような顔を思い出す。
ダメだ、やっぱり腹立つ。気晴らし出来てない。
「背後を取られるなんて……! なんて、なんて不覚っ……!」
背後は大事だってお祖父様から何度も言われてきたのに。戦場では背後を取られたら即ち死だと教えられたのに私と来たら。なんて不覚!
学園でも気を付ける必要があると、本日身を持って知った。
「おのれ、ユーグリフト・スターツ……!!」
怨念のような声が口からこぼれる。
ユーグリフト様……、いや、様付けする必要もない。奴はユーグリフトで十分だ。あっちも私をカーロインと呼び捨てにしているんだから。
奴のあの、人を小馬鹿にする顔が忘れられない。
ユーグリフト・スターツ。私と同じ年の名門・スターツ公爵家の跡取り息子。
家族構成は父親の宰相、弟と妹の四人家族で、母親の公爵夫人は数年前に亡くなっている。
その公爵夫人と同じ髪色と瞳の色を持ち、表舞台に出なかった貴公子の姿に多くの令嬢たちが騒いでいたのを思い出すが……。
「あんな性格だったのね」
思い出すだけでイライラする。あんな性格だったとは。知らなかった。
実を言うと、ユーグリフト・スターツのことはあまり詳しく知らない。
幼い頃に王家主催の交流会という名のお茶会に母親の公爵夫人とともに数回参加していたため会ったことはあるけど、公爵夫人亡き後はお茶会に参加していなかったため顔を合わすことがなかったからだ。
そのお茶会も十歳になる前の話だ。数回会った程度で殆ど知らないと言っても過言ではない。
夜会に参加が可能な年齢になっても参加することはなかったため謎に包まれた人物の扱いだった。
それでも奴のことを知っていたのは私が興味を持っていた──というわけではなく、クラスのミーハーな女子たちが色めき立っていて、聞いてもないのに色々と教えてくれたからだ。
そう、あれは確か入学して間もない時の頃だ──。
『まぁ、ご覧下さいませ、メルディアナ様。ユーグリフト様ですわ!』
伯爵家出身のミーハー女子が窓を眺めながら楽しそうに私に教えてきた。
『ユーグリフト様? スターツ公爵家の?』
『はい! ほらあそこに!』
『まぁ、どこですの?』
声をかけたのは私だけど、ミーハーな彼女の声を聞いた数人の令嬢たちが窓に近付き、外を歩くユーグリフトを窓からうっとりと眺めていた。
『まぁ、ユーグリフト様よ!』
『遠目で見ても素敵ですわ……』
『メルディアナ様は会ったことございますか? 今、大注目の貴公子なんですよ!』
『私?』
ミーハーな彼女が興味津々な様子で問いかけてくる。
ちらり、と遠くからユーグリフトを視界に捉えて興奮しながら話す令嬢に答える。
『幼い頃に数回だけね。もうずっと会っていないわね』
『まぁ、それでも羨ましいですわ! わたくし、学園入学して初めてユーグリフト様をお見かけしましたがまさかあんな美しいなんて! 感激しました!』
『そう』
楽しそうに話す令嬢に苦笑いを浮かべて返事する。好きな人もいなければ誰がかっこいいなどの話に全く興味なかった当時の私は空返事気味だったなと思い出す。
『素敵ですわ……、ユーグリフト様。スターツ公爵家の跡取りであの容姿、勉学は優秀で剣術もお上手なのですって』
『夜会で全く見かけませんでしたが……、あんなにかっこいいなんて。わたくし、同学年でよかったですわ』
『殿下と同じクラスになったのは幸せですが、出来ればユーグリフト様とも同じクラスになりたかったですわ』
『あら、そんなの他のクラスメイトに妬まれますわ。……でも、気持ちは分かりますわ』
『ふふ、貴女も? 実は私もですわ』
『穏やかで優しい殿下と貴公子のユーグリフト様と同じクラスなんて幸せですわね』
……と、その場にいた数人のクラスの女子たちがねっ~、と最後はきゃっきゃっと仲間同士で楽しそうに盛り上がっていたのを思い出す。
きゃっきゃっと楽しんでいたミーハーなクラスメイトたちに教えてあげたい。
奴、ユーグリフトは確かに顔はいい。それは認める。
だが、性格は悪いと叫びたい。
皆、騙されている。大人っぽいとか言われているけど、相当な猫被りだと思う。まぁ、私も人のこと言えないんだけど。
非の打ち所のない令嬢とか言われても中身はこんな感じだし。
「……確かステファンと同じクラスよね。どんな人物か聞いてみましょうか」
今日はステファンはアロラと一緒にアロラの屋敷で勉強をしている。先日、アロラが天文学がやばいと言ったせいだ。
クラスの女子たちには聞けるはずない。彼女たちにユーグリフトのことを尋ねるとどうなることやら。
「メルディアナ様がユーグリフト様に恋した!」とか「禁断の恋!」とか勝手に盛り上がるのは目に見えている。聞くべきではない。歪曲したら訂正するのが大変だし、間違ってもそんな誤解してほしくない。誰が奴に恋するか。
一方のステファンはそんなこと吹聴する性格ではないので安心だ。
ユーグリフトはまっっったく興味ないが、今日の行動がどうも気になる。ただの気まぐれか、それとも他に何か意図があるのか。警戒に越したことはないだろう。
ステファンに聞くと決めると校舎の時計をちらりと見る。
まだ門限まで時間がある。恐らくまだ帰ってこないだろうからそれまでもう少し鍛錬をしよう。
「……まだイライラするからあと五十回素振りしよう」
そして有言実行どおり、追加で五十回素振りするために剣を振り上げたのだった。
***
門限前に帰ってきたステファンとアロラを見つけると、あちらも私に気付いたようで声を上げる。
「……あれ? メルディ?」
「どうかしましたか?」
「ええ。ステファン、ちょっと顔を貸してくれる? アロラも一緒でいいから」
「……メルディアナ様、何か怒ってますか?」
私の物言いに気付いたのか、ステファンがひきつった顔で返してくる。正解だ。今日の、正確には勉強会の後から私は不機嫌だ。
「正解よ。大丈夫、話してくれたらすぐに解放するわ」
「メルディ、そのセリフ悪役みたい」
アロラがすかさず突っ込んでくる。ええい、うるさい。とりあえず時間があるか尋ねる。
「ステファン、時間はどう? 忙しい?」
「一応大丈夫ですが……、何があったんですか? 殿下とマーセナス嬢と勉強会していたんですよね?」
「それよ!」
「!?」
突然の大きな声にステファンが驚いた素振りを見せるも、話を聞くようで周囲に人がいないことを確認して今日の勉強会を話す。
長話をするつもりはないため多少省略したものの、さすが秀才と言われるステファンだ。内容を理解したようだ。
「そんなことがあったのですか」
「そう。私はユーグリフト・スターツを殆ど知らないからステファンから聞きたくて」
「そうですね……」
顎に指を添えてステファンが考える仕草をする。どんな奴か思い出しているようだ。
「ねぇねぇ、メルディ。どうだった? 噂の貴公子様は? ドキってしちゃった?」
「は? するわけないでしょう? むしろ屈辱よ。屈辱でしかないわ」
「えー。もう、メルディって恋バナに本当興味ないよね。クラスの女子たちの話も傍観してたし」
「そういうアロラも参加してないでしょう」
「私にはステファンがいるから参加しなくていーの」
「ゴホン」
ステファンが咳払いをするのでアロラの口を塞ぐ。もごもごとアロラが何か言っているがそのまま塞いでおく。全く、仲良しで別に羨ましくなんか……ない。
「ステファン、どう?」
「そうですね……。特別親しい友人はいませんが、話しかけたら普通に返してくれるので顔は広いですね。選択科目は剣術を取っていて、騎士を目指している男子と仲がいいですね。確か剣術も優れているとか」
「ステファンは? 話したことあるの?」
「ありますよ。顔見知りというくらいですが話すと普通にクラスメイトとして接してくれますよ」
ふむ、騎士を目指す男子と親しい、か。
それに剣術。上手だと女子が言っていたけど剣術の授業を取っているのなら本当に上手なのだろう。
剣術は任意の科目だ。よって受講する生徒は騎士を目指す生徒か騎士を輩出する一族の人間が多い傾向がある。
なので剣術の授業は一定の実力がある生徒が集まっている。
「あと、女子に人気ですけど殆ど話しませんね」
「そうなの?」
少し意外だ。私にはいきなりずけずけと話してきたくせに。
「はい。まぁ、学年では殿下の次に爵位がいいので分かりますが。殿下の婚約者は無理でも公爵夫人を目指している令嬢が多いということです」
「……まぁ、ロイスの婚約者候補として私が最有力だものね」
なるほど。なので王妃の代わりに公爵夫人の座を狙う令嬢に人気ということか。
ユーグリフトには婚約者がいない。つまり、上手くいけば公爵夫人になれるということだ。躍起になる訳だ。
「ああ、あと勉学も優秀ですよ。寝ていることが多いですが成績はクラスでトップですよ」
「は? 寝ているのに?」
驚いて復唱するとステファンが眼鏡に触れて、はい、と答える。
「恐らく殿下やメルディアナ様と同じかと。以前尋ねたらそれらしいこと言っていたので。学園で学ぶ内容はほぼ終えているのだと思います」
「ふぅん」
だからといって授業中に寝るのはよろしくないが。私もロイスも復習のつもりできちんと聞いている。
しかし、なるほどなるほどと納得する。
公爵家の嫡男で跡取り息子。月光の光を反射したような白銀の髪に宝石のような紅の瞳に端整な顔立ち。おまけに文武両道と聞く。
そんな優良物件でありながら婚約者はいない。ロイスにもいないけど最有力候補として私がいるから令嬢たちは二番目にいいユーグリフトを狙っているとのこと。ふん、いい気味だ。
「どの授業も成績トップでなんでも出来るのですごいなと思いますよ」
「ふぅん」
妬む感情を見せずに素直に感心しているステファン。なんでも出来る、か。
だが好まない相手だといけ好かなく見えるのはなぜだろう。
「ありがとう、教えてくれて」
「いいえ。あんまり当てにならなかったのでは?」
「そんなことないわ。でも女子に無関心ならどうして私に話しかけてきたのかしら」
考えて思案する。隠れ見はしていたけどそっと観察していたくらいだ。なのにわざわざ話しかけて来るなんて意外だ。
特に普段女子に無関心な人間なのに。
「それは本人ではないので分かりませんが……。ユーグリフト様も必要な話なら女子と話しますし」
「……とりあえず、今日は屈辱を味わったから二度と遅れは取らないわ」
今日のような悔しい思いは一度で十分。関わるつもりはないけれど、もう二度と遅れを取ってはなるもんですか!
そう自分に誓いを立てて、ステファンたちにお礼の言葉を告げたのだった。
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