第9話 公爵子息ユーグリフト
ユーグリフト・スターツ。
現アルフェルド王国宰相を務めるスターツ公爵の嫡男で跡取り息子。
クラスは違うも、端整な顔立ちに美しい白銀の髪と印象的な紅玉の瞳は間違いなく彼だと証明している。
「カーロイン公の娘だよね? こそこそと殿下と令嬢を見て何してるの? 令嬢とは友人なのだから普通に話しかけたらいいのに」
低い声で淡々と告げていく。
その声には“興味”が含まれておらず、純粋に疑問に思っているのが感じ取れる。
そしてロイスとオーレリアを観察しているのがバレている。
とりあえず、穏便に消えてもらいたいので“非の打ちどころのない令嬢”の仮面を被る。
「ごきげんよう、ユーグリフト様。そのとおりですが、少々事情があって。こんなこと言うのは大変恐縮なのですが静かに去ってくれませんか? あちらの方へと歩いてくれたら助かるのですが」
ニコッと作り物の笑みで微笑んで小声で頼んでみる。指を差す方向は二人がいる真逆の方だ。
しかし、ユーグリフト様は口元に指を当て、何か考え事をしている素振りを見せる。なんなんだ。早く去ってくれ。
するとユーグリフト様の口から衝撃的な言葉が出てきた。
「ふぅん。なるほど、公爵令嬢は隠れて人を見る変わった趣味があるんだ」
「はぁ!?」
思わぬ言葉に令嬢らしかぬ声が出てユーグリフト様を凝視する。変わった趣味だと?
いいや、違う。私は二人の恋が上手くいくように見守っているだけだ!
「……人聞きの悪いこと言うのやめてくれませんか?」
「事実じゃん」
「そんな趣味は持っていません!」
冷静に対処しようとするもつい小声でユーグリフト様に抗議してしまう。
全く、人聞きの悪い。それに、趣味じゃない! これは任務だ!
そう憤慨していると、聞き慣れた声が耳を通った。
「メルディアナ?」
「……っ」
聞き慣れた声が私の名前を呼ぶ。……あ。
名前を呼ばれてゆっくり、ゆっくりと振り返る。
振り返ると立ち上がってこちらの様子を窺うロイスとオーレリアがいた。はい、詰んだ。
どうして失敗したんだ、私。ここは図書館。大声で「はぁ!?」と言い返したらダメだったのに。痛恨のミスをした。
己の行いに項垂れている。バカだ、私。
「メルディアナにユーグリフト……? どうしてそこに? 何かあった?」
「……殿下」
力なくロイスを呼ぶ。
ロイスは不思議そうに私とユーグリフト様を交互に見ている。
「メルディアナ様、どうしたんですか? 急に大きな声を出して……」
「オーレリア……」
オーレリアも心配そうな顔を向けてくる。まずい。非常にまずい。
どうしよう、なんて言い訳しよう。まさか正直に二人をそっと見ていたなんて言えない。こんなはずじゃなかったのに。
尋ねてくる二人にどう誤魔化そうと高速で頭を回転していると、すっと隣からユーグリフト様が前に出てきた。
「申し訳ございません、王太子殿下。もしやカーロイン公爵令嬢と何かしていましたか?」
私と話していた時とは嘘のようにユーグリフト様は礼儀正しくロイスに尋ねる。
一方、話しかけられたロイスは説明するために話し出す。
「実は僕とマーセナス嬢とメルディアナで三人で勉強会をね。メルディアナは必要な文献探しに少し席外していたけど、さっきまで三人で勉強会してたんだ」
「なるほど、そうだったのですね」
ロイスの説明にユーグリフト様が頷く。何か考えているように見える。何考えているんだろう。
「お騒がせして申し訳ございません。実はカーロインの持っている本、私も使いたくて少し声をかけて話していたんですよ」
「────」
ユーグリフト様の発言に息を呑む。
そして次に思ったことはこれだ。
コイツ、躊躇いもなく嘘ついた。しかも堂々と。
「本?」
「はい。私も対人戦闘戦術理論を受講していてレポートに必要な文献探していたんです。それで、兵法に関する本を持っていたカーロイン嬢につい声をかけてしまったんです。何しろ令嬢が兵法の本を持つのは珍しいでしょう?」
ペラペラとまるであたかも事実かのように語っていくユーグリフト様。小さく口角をあげて爽やかな笑みで説明する。
「それでここで少し語っていたら室内にいたのか、突然虫がカーロインに突撃してきて。それにカーロインが驚いてしまって。お騒がせしてしまい、申し訳ございません」
「虫!?」
「……そうなの? メルディアナ」
ユーグリフト様の話を聞いたオーレリアが小さく悲鳴をあげ、ロイスが私に尋ねてくる。
違う!と言いたいが、ここで違うこと言ったらややこしくなるのは明白だ。癪だけどここは合わせた方がいいだろう。
「……はい。すみません、殿下。お話ししている最中に飛んできたもので、つい、驚いてしまって……。大声を出して申し訳ございません」
「それはいいんだよ。夏だからね。小さな虫が入ってくることもあるだろうし。それに、そんな響いてないと思うから気にしなくていいよ」
「ありがとうございます」
臣下としてロイスに礼をする。どうやら疑っていないようだ。私も同意したからだろう。
「とりあえず理由が分かってよかったよ。メルディアナ、文献読みながらレポート書いたら?」
「はい。そうします」
「うん」
ロイスがレポート作成を勧めるので返事する。そうだ、早くレポートの続きを書こう。
「メルディアナ様、災難でしたね」
「オーレリア。ごめんなさい、心配かけさせて」
心配そうに窺うオーレリアに笑う。実際は違うから気にしないでほしい。
と思ったら斜め上の方向の答えが返ってきた。
「いいえ、大丈夫です。もし見つけたら教えてください。私、一撃で仕留めるの得意なんです!」
「……んん?」
一瞬、オーレリアの言葉に硬直してしまう。あの、オーレリアさん? 貴女かわいい顔でなんて言ったの?
「えっと、オーレリア?」
「私の領地、森があって昔から虫を捕まえたり倒すのが得意なんです! お任せください! メルディアナ様の役に立って見せます!」
何か違う方向に転がっている。ちなみに私は虫は苦手でない。なんなら母の実家の領地は広大な森があるから小さい頃は従兄たちと虫取りして競いあっていたくらいだ。
しかし、自信満々に答えるオーレリアに否定する気力もないため苦笑する。
「ありがとう。その時はよろしくね」
「はい! じゃあレポート頑張りましょう!」
オーレリアのかわいらしい笑みに少し癒される。やっぱりこの子、癒し系だ。
残りの時間は三人で勉強しよう、そう思って二人の元へ歩こうとしたらユーグリフト様が声をあげた。
「王太子殿下、少しよろしいですか?」
「ユーグリフト? 何だい?」
それまで黙っていたユーグリフト様が声をあげて立ち止まる。なんだ、という気持ちを込めて見る。
「もしよろしければ私も勉強会に加えて頂けませんでしょうか?」
「は?」
予想外の発言に思わず素になってしまう。
いや、でも待って。なんで?
「僕は構わないけど……。メルディアナとマーセナス嬢は?」
「私はいいですよ。たくさんで勉強した方が楽しいですし!」
二人は平気なのか賛成の意を表す。ちょ、冗談じゃない!
「私は反た──」
「覗き見」
二人には聞こえないくらいの、私にのみ聞こえるくらいの声量でユーグリフト様が呟く。……コイツ。
青筋が立つくらい睨むも、その睨みをどこ吹く風での如く無視する。……癇に障る男だ。気に入らない。
でもここで本当のことを話されるわけにはいかない。……我慢だ、メルディアナ。奴は置物。置物と思えばいいんだ。うん、そう思うようにしよう。
「メルディアナは? どう?」
「……私は構いませんよ」
ニコリとロイスに作り笑いを浮かべる。青筋、立っていないだろうか。
「えっと……本当?」
「ええ、構いませんよ」
私の不機嫌なオーラを感じ取ったのか、ロイスが再三尋ねるが大丈夫だと返事する。
「よかった。ありがとう、カーロイン。じゃあ勉強会しようか」
ユーグリフト様がニッコリと胡散臭い笑みで話しかけてくる。話しかけるな。
そして不本意……そう、非常に不本意ながらも四人で勉強会をすることになった。
四人で勉強するということで二対二の向かい合わせになり、隣にはユーグリフト様が座る。
そのユーグリフト様はそこら辺の本を手に取って本当に読んでいるのかいないのか分からない速度でページを捲っていく。
「……それは今回の試験に必要な本なのですか?」
「ん? これ一応試験科目の神学の本」
「……そうですか」
相変わらずパラパラと捲っていて本当に勉強しているように見えない。
ってこれ、勉強会に参加する必要があるのだろうか? 教えてもらっているわけでもないし。
そんな風に参考書を読んでいるとオーレリアが尋ねてきた。
「メルディアナ様、数学で分からないところがあるのですが……いいですか?」
「どこ?」
「はい、ここなんですが……」
隣にユーグリフト様がいるのは不快だけど無視することにしてオーレリアに意識を傾ける。
幸い、隣にいて集中するのは難しかったけど、特に何か仕掛けてくることはなく、無事レポートが完成してよかったと思う。
やがてお開きの時間となり、問題集やレポートを片付けていく。
ユーグリフト様も神学の本を片付けに立ち上がると、私もレポートで使用した参考書を直しに立ち上がる。
後ろをついてくる私に気付いたユーグリフト様がこちらを見て尋ねてくる。
「何?」
「このあと、少しお時間よろしいですか?」
「……ふぅん、別にいいけど」
「ありがとうございます」
簡潔にやり取りして了承を貰ったので私も参考書を元の場所に直して四人で図書館を出る。
「じゃあまた明日。僕は職員室に用があるから」
「はい。私も少し用があるのでここで失礼します」
「じゃあ私は寮に戻りますね」
ロイスとオーレリアがいなくなったのを確認してユーグリフト様を端に連れて行く。
「で、何?」
紅の瞳はじっと私を捉えて用件を告げろ、と言っている。
「……先ほどは助けてくれてありがとうございます。まずはその礼を」
不本意だが、ユーグリフト様に助けてもらったのは事実だ。仮に彼が原因でバレたとしてもすぐに助けてくれたので礼を言う。
「別に。そりゃあ覗き見が趣味って殿下たちに知られたくないだろうし」
「ち が い ま す」
からかってくるユーグリフト様に否定する。コイツ、からかってるな。
「このことは他言無用でお願いします。もし話したら覚悟して下さい」
「物騒なこと言うな」
「大事なので」
だから余計なこと言うなよ、と警告する。
すると、ふむ、と何を考えているか分からない表情をしながらユーグリフト様が返事する。
「まぁ、秘密にしてほしそうだったからああ言ったし、別にいいけど。約束する」
「ありがとうございます」
「言いたいことはそれだけ?」
「はい、それだけです。では、私もこれで」
別れの言葉を告げて歩いていく。よし、約束はしたし、大丈夫だろう。
もし破ったらその時は覚悟したらいい。
「あ、そうだ。カーロイン」
「?」
呼ばれて振り返るとユーグリフト様が意地の悪い笑みを向けている。なんか、嫌な感じがする。
「あそこにいたのは他にいなかったからよかったけど、もうやめた方がいいよ。カーロイン、隠密向いてないし、見ていて笑えたから」
「……は?」
「じゃ、それ言いたかっただけ」
固まる私を置いてユーグリフト様が長い足で歩いて去っていく。
そして一人でたった今、言われたこと反芻する。……隠密向いていない? 笑える?
なんだ、その言い方……。
「腹立つーー!!」
そして怒りを発散するために鍛錬場へと足を向けたのだった。
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