第7話 違う、そうじゃない

 ロイスとオーレリアの顔合わせから数日、オーレリアを見つけたロイスが声をかけた。


「やぁ、マーセナス嬢。おはよう」

「おはようございます、マーセナス嬢」

「殿下、ステファン様。おはようございます」


 声をかけられ、振り向いたオーレリアは適度な距離を保ったままロイスとステファンに挨拶を返す。


「移動教室かい?」

「はい、今から音楽室へ」

「そうなんだ。ああ、そういえばメルディアナが近々ヴァイオリンのテストがあるって言っていたけどマーセナス嬢もかい?」

「はい、実は今日がピアノのテストで」


 そう答えるオーレリアにロイスが優しい目と声音で返していく。


「そっか。音楽演奏会でマーセナス嬢が上手なのは知っているけど、頑張って」

「殿下……。……はい、頑張ります!」




「……って言ってるわ」

「メルディって公爵令嬢なのになんで読唇術使えるの?」

「お祖父様に教えてもらったの」


 アロラとそんなやり取りしているが、今私たちは廊下の曲がり角にいて顔だけ出して耳を傾ける。通りがかる生徒たちがぎょっとした顔をするも皆スルーしてくれるのでありがたい。なので私たちも同じくスルーする。


 さてさてその読唇術を習った経緯は置いておいて、私とアロラは十数メートル離れた先から二人の会話を読み取っている。ちなみに、私は視力もいい。

 ロイスからの声援にニコッと笑うオーレリア。微笑ましい光景だ。

 それは他の生徒たちも同じようで、二人のやり取りを眺める生徒たちが眺めるも、その目には敵意は感じられない。

 その理由は私がオーレリアと友人ということ、そしてもう一つはロイスがどの子にも優しいということだ。

 

 私とオーレリアが友人だと多くの生徒が知っている。そんなオーレリアに嫌がらせをしたら私の耳にまで入る可能性があるため、そんなことはしてこない。

 私という存在が防波堤になれるのなら喜んでなろう。友人のオーレリアを守れるならそんなのお安いご用だ。


 もう一つはロイスの優しい性格だ。

 ロイスは誰に対しても穏やかな微笑みを浮かべていて、実際誰に対しても優しい。

 そんなロイスが辺境出身のオーレリアを気にかけても特別不思議とは思われない。むしろ、“辺境の娘が学園生活に馴染んでいるか気にかけて殿下はお優しい”と認識してもらっているくらいだ。これはロイスの性格の賜物だろう。




「ごめんね、呼び止めて。練習とかするつもりだった?」

「いいえ。練習は昨日たくさんしたので、特にするつもりはなかったので大丈夫です」

「それならよかった。それじゃあ」

「はい、失礼します」




 話が終わり、オーレリアが礼をしてこちらに向かって歩いていく。どうやら話は終わったようだ。


「終わったわね」

「朝の挨拶にしてはいい感じじゃない? 普通にお話ししてみたいだし」

「そうね。いいと思うわ」


 ごく普通の朝の挨拶に少しの雑談。見ていて穏やかな朝の風景。うん、いいと思う。


「あ、メルディアナ様! アロラ様! おはようございます!」


 話していたらオーレリアがこちらに気付いて明るい声で呼んでくる。普通に笑って挨拶を返す。


「おはよう、オーレリア」

「おはよ~、オーレリアちゃん」


 挨拶を返すとオーレリアはニコニコと愛らしい笑みを浮かべている。

 そして先ほどロイスと話していた内容を思い出して話を振る。


「移動教室なのね。この時間は確かピアノ?」

「はい、今日はピアノのテストで」

「そう、頑張ってね」

「頑張ります。……でも、くじで一番になってしまって。……少し、緊張します」


 ん? さっきそんなこと言ってたっけ? 

 先ほどのロイスとオーレリアの会話を思い出す。うん、言ってない。

 しかし、不安な気持ちを吐露するオーレリアを見て今はそれを置いておいて、そっと肩に手を乗せる。


「大丈夫よ、オーレリア。音楽演奏会と比べて人は少ないんだから。それに、たくさん練習してきたでしょう? 自分を信じないと」

「メルディアナ様……」


 音楽演奏会は全校生徒の前で披露する。それが出来たオーレリアなら授業でのテストも大丈夫なはずだ。

 それに、テストのためにオーレリアがたくさん練習してきたのを知っている。校舎に残れるギリギリまで連日練習してきたのだから。


「大丈夫、大丈夫」


 安心させるように再びそう言ってポンポンと肩を叩く。

 すると、安心したようにオーレリアがふにゃりと笑った。


「……そうですね。練習も頑張ったから信じないと。ありがとうございます、メルディアナ様」


 私の言葉に少し不安が霧散したのか、オーレリアがニコリと微笑む。

 なので私もニコリと微笑む。


「そうよ。自分を信じないと実力が出ないわ。自信を持たないと」

「はいっ! 自分の力を信じて頑張ります!」


 握りこぶしを作ってオーレリアが元気に返事する。

 そして明るく笑うオーレリアを見て見送った。

 心の片隅に、違和感を感じながら。




 ***




 数日後、私はアロラとステファンをいつもの談話室に呼び出した。


「私は恋を一度もしていないけど……、恋って難しいわね」

「……どうしたんですか、いきなり」


 私の呟きにステファンがお茶を飲みながら答える。アロラは王都で買った菓子をおいしそうに食べていた。

 ここにいるのは私たち三人のみ。ロイスは王妃様に呼ばれて王宮に赴いているためここにはいない。

 その不在時を狙ってこの日、三人で集まった。


「ねぇステファン。賢いステファンなら私の言いたいことが分かるでしょう?」

「……言いたいことは分かります。殿下とマーセナス嬢のことですよね」


 目を逸らしながら言いにくそうに話す。さすがステファン。私の言いたいことが分かっている。


「そうよ。確かに私とオーレリアは友人よ。それは事実よ。でもなんでロイスには距離があって私にはキラキラと瞳を輝かせるの? 普通王子様でしょう? なんでこっちに興味持ってるのよ!」


 ロイスがいないこともあり、ありのままの事実を言ってしまう。こんなの、ロイスの前で言ったらダメージを与えてしまうからだ。

 しかし、これが私の本音だ。

 そして数日前のオーレリアと過ごしたやり取りを思い出す。


 あの後、オーレリアは一番目だったが無事ミスすることなく演奏を終え、一番いい評価を貰ったそうだ。

 それを昼食で楽しそうに話し、私に感謝してきた。曰く、「メルディアナ様のおかげで冷静になれた」とキラキラと瞳を輝かせて言ってきた。……なんか私の好感度高くない?

 他人の言葉なら疑ったりもするのに、私の言葉はやけに簡単に信じるしなんなのさ。


 オーレリアが私のことを好意的に見てくれているのは分かる。

 中身はこんな私だけど、それを上手く隠してきた私は「非の打ちどころのない令嬢」として同じ年や年下の令嬢たちに憧れのような視線を向けられたことが多々あるのでそれは別に構わない。

 でもその子たちは私だけに向けてはいなかった。

 それこそ、他にも憧れの令嬢がいたり、王太子であるロイスや素敵な子息にも憧れのような視線を向けていた。


 だがオーレリアは違う。王太子であるロイスと話しているのに全くそんな素振りを見せず、なぜか私の時にそんな素振りを見せる。なんで?

 やっぱり初めての出会いが原因? それともピアノを褒めたこと? 泣いていて側に居続けたこと?

分からない。過去最大の難問にぶつかっている。

 頭の中で疑問が浮かんでいるとアロラがあははは、と楽しそうに笑う。笑うな。 


「そうだよねぇ。私にはそんな視線ないもん。メルディラブだよねー」

「アロラ、楽しんでない?」

「えー、だって面白いじゃん」


 あははは、と再び笑うアロラ。完全に他人事だ。


「いい子なのはいい子なんだよねぇ、オーレリアちゃん。真面目で素直で明るくて。ただ、殿下とか他の男子には距離感あるっていうか、あまり親しくしようとしないよね」

「そうよね……」


 アロラがオーレリアの人物像を挙げていく。的確なその認識に私も頷く。問題はそれだ。


 私が強制的に二人を顔合わせをしたことで、ロイスから声をかけるとオーレリアは返事するようになったのでそれはいい。

 だがそれが実に簡潔。もっと話が広がればいいけど中々上手くいかない。ロイスの話に明るく元気に返答するも、常に礼儀正しくて簡潔に終わらせる形だ。


 なのに私には違う。明るくて元気なのは変わりないが、饒舌でいつもより少し声が弾んでいるように聞こえる。

 しかもロイスには見せない不安も私とアロラには見せてくる。本当に、どうして!と声高々に言いたい。

 ……やっぱり出会ったきっかけか。嫌がらせをされていた時に助けに来たのが私だからか。


「オーレリアが難所だとは思わなかったわ……」


 溜め息を吐いてしまう。まさか肝心の相手役のオーレリアが難攻不落とは。予想外だった。頭を抱えてしまう。


「ステファン、ロイスは何か言ってる?」

「殿下は特に不満を持っていないようですよ。まだ顔合わせをして日が浅いこともあり、これくらいが妥当かと考えているようですね」

「そうなのよね。ロイスは穏やかでグイグイ行く性格じゃないから。幼い頃からそう。私がロイスを引きずり回してロイスはされるがままだったわ」

「メルディアナ様、自国の王太子に何てことしてるんですか……」

「メルディって武勇伝多いよねぇ。まぁ、メルディだからねー」


 ステファンに何やってるんだと突っ込まれる。そしてアロラ、なんてこと言うんだ。

 ステファンの呆れた目から逃げるかのように再びロイスとオーレリアに話を変える。


 確かに二人が初めて会話してからまだ日が浅い。

 無理に私たちが急いで失敗するよりゆっくりでも交流して二人に仲が進展した方がいいだろう。


「でももうすぐ夏の長期休暇だから何かしら交流の場を作っておきたいのよね」


 エルゼバード学園は三学期制だ。七月上旬に学期末試験が行われ、そのあとは中旬から一ヵ月以上の長期休暇がある。

 長期休暇になると殆どの生徒が領地や王都の実家に帰省して領地でゆっくり過ごしたり、パーティーなどに参加して過ごしたりする。

 オーレリアも帰省をするようで、家族に王都のお土産を買うと楽しそうに夏休みの予定を話していた。


「夏休みまでに少しでも交流の場を、と思っていたんだけどもうすぐ学期末試験だから時間がねぇ……」

「そうだねぇ」


 アロラもうーん、と声を出して考える。何かないだろうか。何か……。

 そして思いつく。そうだ、学期末試験を使えばいいんだ。


「学期末試験対策よ!」

「うわ、急にどうしたの?」

 

 立ち上がるとアロラが驚いたような声を出してこちらを見る。ふふん、そうだ。これを上手く利用しよう。


「勉強会よ、勉強会。昔、よくロイスとよく勉強してテストを競い合っていたのよね」


 ロイスは勉学が優秀と聞いていたが、本当に優秀だった。何回、ロイスに負けたことか。それでよく猛勉強してロイスとどっちが上か争っていたのを思い出す。


「ロイスは学園で習う勉強はほぼ既に修了済みよ。だからオーレリアの勉強も手伝えるわ。勉強会と称してここで二人の仲を進展させるのよ!」


 意気揚々とアロラとステファンに説明する。ふふん、我ながら名案だと思う。

 分からないところをロイスに教えてもらう。ロイスを尊敬する。よって、ロイスの好感度アップ!

 最初はカモフラージュ役として私がいて三人で勉強する。で、私は途中で離脱したらいい。そうしたら自然と話す機会が出来るだろう。


「なるほど。確かに殿下は学園で習う主な科目はほぼ修了済みです。マーセナス嬢の勉強を見るのも容易いでしょう」

「実際、クラスでもロイスに教えを乞う生徒が続出中よ」


 主に男子生徒はロイスに分からないところを聞いて教えてもらっている。ちなみに、私は女子生徒に頼られて勉強を教えている。アロラの天文学も今教えているところだ。

 オーレリアは顔立ちも整っててかわいい。なので男子にも密かに人気だ。少しでも有利にならなければ……!


「勉強会は私とロイスとオーレリアの三人でするわ。で、私は途中席を外して二人の時間を作るようにするわ」

「えー、気になるのに。ねぇねぇ、こっそり観察するのはいい?」

「それよりアロラは天文学しっかり勉強しないといけないでしょう」


 アロラにしっかり釘を刺す。赤点でも取ったら大変なのは本人なのだから。

 するとステファンが低い声で私に尋ねる。


「……メルディアナ様、アロラは天文学が?」

「ええ、危機的状況でやばいわよ」

「……そうですか」

「ちょっ、メルディ! 黙っててよ!」


 アロラが抗議する。知らない。授業中、いつも後半寝ているアロラが悪い。

 そしてステファンが眼鏡に触れるとアロラに話しかけた。


「アロラ。──しばらくは天文学の勉強を毎日しようか」

「ひぃ、いやだぁぁぁ!!」


 談話室にはアロラの悲鳴が響き渡った。

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