邪道・閃刃
おじいちゃんは言っていた。お前は力が強いから、何かあった時には自分を律せるようしっかり訓練するんだよ、と。
律というのは難しい。周囲と和するとも違う。ひたすら内省の視点であり、ただ律するだけではだめなのだ。律し続けて始めて律となる。難しい。
兄と折半で買ったばかりのトリシティ125(バイクだ。なんと前輪が二つある。かわいい)をぶいーんと走らせながら、夕焼け小焼けの見慣れた街中を過って行く。赤信号をじっと待つのも手持ち無沙汰なので、西の空をちらっと見る。金星がとってもきれいだ。駅と住宅街を離れれば田園風景がさらっと広がる。田舎はこういうところがいい。
もちろん全肯定するわけではない。イオンは建つ予定がなく、当然ろくなアミューズメントパークも無い。
東京に遊びにいった時はこうではなかった。早々に郷里を離れたお兄ちゃんが羨ましい。昼間はごみごみとした雑踏なのに、夜になるとしん怜悧な空気へと変貌する。そんな延々と続く住宅街をのんびりぼんやりバイクで走りたい。
まっ平らなあぜ道をてってこ飛ばすのも悪くはないが、砂利で車輪が取られるのはとても嫌だ。だから三輪をせがんだのだけれど。
わたしの十年分のお年玉を食べたバイクの後部座席には里美ちゃんがいる。彼女はわたしにひっ付いていて、互いに互いの温度を分け合っている。十年来の友達で、人そのものが多くない田舎では家族ぐるみの仲である。
そんな彼女を家へと送るため、山道にぐいっと入る。本当は二人乗りをしてはいけないのだけれど。わたしはまだ高校三年生で、一年以上の運転経験はない。でも駐在さんはわざわざ指摘しないし、父さんも母さんも細かいことは言わない放任主義だ。
唯一注意するのはおじいちゃんだけ。そのおじいちゃんも時速二百キロで田舎道を疾走するのだから、聞き流していいだろう。
本当はいけないのだけれど。
こういうのを「律せていない」と言うのかもしれない。
じゃりじゃりっとした感触を両手に感じつつ、二人揃ってぼけーっと山道を登る。あまり整備されてないが、たまーに道に迷ったバイカーさんとすれ違ったりもする。たまに。本当にたまに。
わたしの背中にしがみつく里美ちゃんは結構大柄だ。そのせいなのかなんなのか、おっぱいも大きい。身長はわたしより頭一個分くらい大きいのではなかろうか。おっぱいに至っては、体積に何倍の差があるかなんて考えたくもない。わたしはぺったんこなのだ。
ショートカットをヘルメットに詰めたわたしと対照的に、里美ちゃんの髪は長い。バイクにまたがれば、ひらひらとはためく。
こんな全然違うわたしたちだが、二人にも共通点はある。それは、剣道部員だったということだ。
「終わっちゃったねぇ」
悪路をぽけぽけ駆け上りながら、なんとなく言葉が紡がれる。きっと、こぼれ落ちたんだろう。わたしは時々抜けている。
「情けない最後よね」
あーあ、と嘆息する里美ちゃん。今日誕生日だったのに良いこと無いなぁ、とぼやいている。
そうなのだ。情けないのだ。何がどう情けないのかと言えば、わたしたち剣道部は三年生を含めて四人しかおらず、団体戦には出られなかった。個人戦は地区大会で敗退している。とても哀しい事実だが、受け止めるしかない。
「ヒナも出ればよかったのに」
ちょっと不機嫌そうにぼやく里美ちゃんに、いやいやーと首を軽く横に振って応える。
「わたしはだめだよー。先生にも止められたし。公式大会は無理だって」
わたしは公式大会に出られないのだ。否、出られないわけではない。己の意志を持って出ないのだ。
「もったいない。手加減とか、あるでしょ普通」
それができればねーと相づち。困ったことに、できない。
だってそこに隙があるから。
相手は剣道として相対している。そうである以上、足首や太ももを狙われると考える人間はいないのだ。そして、わたしは困ったことにおじいちゃん仕込みの刀術でうっかりその隙を狙ってしまう。側頭部、目、腋下、脛、足首。全部隙だらけ。当たり前だ。
わたしのそれは剣道ではない。剣道のつもりで試合おうとする相手に、仕合を仕掛けてはいけない。
なので、部活では素振りと筋トレ、ランニングだけ付き合っていた。剣はわたしだけ私物の木刀だった。
だって人に振らないから。竹刀ですら無かったのだ。
一応、一年生の四月いっぱいまでは竹刀を握らせてもらっていた。中学までは十年以上おじいちゃんとの立ち会いしかしてなかったし、お兄ちゃんは早々に弓に目覚めてしまいきちんとした試合はご無沙汰だった。だから、浮かれていたのだ。
練習試合で胴を打ち込んだ時、相手の防具と借りた竹刀を真っ二つに叩き折るまでは。
普通に考えて、竹製品で強化プラスチック繊維を叩いても壊れるのは竹刀だけだ。でもそうはならなかった。残念ながら、当然の如く。あの一件以来「烏羽さんちの孫は妹のほうもヤバい」と噂が立ち、以来一度も竹刀を握ることなく、そしてさきほど三年生の夏が終わった。
私物に木刀って中学生の修学旅行かよ、と思わなくもない。でもこれは大事なものなのだ。おじいちゃんからもらった、玉のない鈴が柄尻に通してある。水琴鈴とも違う、完全なお守りである。
二人分の防具と二人の体重、それと木刀を乗せた三輪車で夕空を駆ける。山の途中で舗装された道が途切れる。このまま登っていけば里美ちゃんの家だ。鬱蒼と茂る木々が、今日はなんだか怖い顔をしているような気がした。まるで縄張りに侵入者を見つけた動物みたいだな、と松の木を見て思う。木々がざわめいている。獣の声がこだまする。夜が熱気を伴ってじっとりとまとわりつく。
妙だ。
普段は静かな鈴が、困ったことに鳴った。
何故困ったことになるかというと、困った時にしか鳴らないからだ。
つまり、今、わたしたちは困っている。
「うわっ」
思わずバイクを止める。ぶぶぶと不満げに振動するトリシティ125。ちょっと待ってくれ。緊急事態なのだ。たぶん。
「なによ」
訝しげに聞く里美ちゃん。鈴の音はわたし(とお兄ちゃんとおじいちゃん)にだけ聞こえるようで、他の人が反応した試しはほとんどない。
「んぁー……さっきっからずっと同じ道走ってない?」
恐る恐る確認してみる。
「……いや、無いでしょ。だって登ってるんだし……」
自信なさげにだんだん尻すぼみになっていく彼女の言葉。この松の木はさっきも通り過ぎた気がする。里美ちゃんと二人、表情だけで会話する。
「え、なにこれ……嘘よね?」
いや、多分マジモンっぽい。
再び鈴が鳴る。風もないのにぶーらぶらである。
わたしは神妙な顔をして里美ちゃんを見つめる。
「聞こえた?」
「この鈴、鳴るのね……」
困惑した顔の里美ちゃん。そりゃあそうだ。二年以上振り回していて、鳴ったのは初めてなのだから。
「ヤバい時だけ、鳴るよ」
ぽかんとした顔で、ハァ? と言いたげな里美ちゃん。信じてくれ。信じなくてもいいけど耐ショック態勢を整えてくれ。
「えーと。これ結構本気で危ないっぽい」
「そ、そうなの?」
怯む里美ちゃんもかわいい。キレイ系の美女が表情を崩した時に見せる隙でしか得られない栄養素がある。あるのだが、今はそれを堪能している場合ではない。
バイクのエンジンを止めて、ヘルメットを外す。多分、邪魔になる。
空気を聞く。風を読む。ぺろりと舌なめずりをする。
「里美ちゃん。ヘルメット脱がないで。多分危ない」
え、何か言葉を形作ろうとした彼女を片手で制し、刀を抜く。
「出てこい」
精一杯どすの聞いた声を出すが、わたしは体格相応にアニメ声なので怖くならない。自覚はあるのだが、今は頼りないことこの上ない。
だが、
おじいちゃんは言っていた。山の夜は夜魔の怪が出る。文字通り音通り、人界と神座の合間にある境界の上に、そいつは出る。
がさりと藪から飛び出たソイツは、腕の長い猩々。お猿さんといえば聞こえは良いが、薄気味悪く伸びた腕を無理矢理猿の胴体にくっつけて、その上には人の物真似みたいな顔が乗っかっている。
身の丈は二メートルを超えている。およそ普通の動物ではない。
「後ろの女置いてけ」
へぇ、喋るんだ。人真似みたいな顔から、雑音みたいな声が出る。
「断る」
一言で叩き斬る。
「その家の女の三人目は十八になったらおれのもんだ」
「里美ちゃんは誰のものでもない」
混乱する当人を差し置いて、わたしと猿は対峙する。
「一人目は死産だ。だからその女は三人目だ」
「死産は知ってる」
家族ぐるみの付き合いだ。これくらいは嫌でも耳に入る。彼女にとっては耳に痛い話かもしれない。ごめんね、と心の中でつぶやく。
でも。
「でも、七つまでは神のうちだよ。その子は神様の子だった。だから、里美ちゃんは二人目だ」
「神に贄無しで居れと言うのか、貴様」
なるほど事情はだいたい飲み込めた。が、とりあえずこいつは斬って佳い。
契約の時代は恐らく多産多死の時代だろう。山の中で生きるためか、治水の礎か、それとももっと特別な何かか。きっと、理由があったはずだ。それは当時では当たり前の営みとして行われてきたことだろう。だから、本来ならもっと穏当な方法でご退去願うのがベストだ。だが、神を名乗るのに夭逝した幼子は自分のものではないという。ならば神として扱う謂われは無い。
にもかかわらず、今この瞬間、わたしの友達を無理矢理付け狙うのならば、絶対に斬る。
「いつの時代の話してるのかな」
青眼に構える。相手が何をしてくるのか判らない時はオーソドックスが一番だ。
「約定を違えたな」
くわっと歯を剥き出しにして威嚇する猿。後ろで里美ちゃんのうめき声が聞こえる。多分、簡単な呪いの一種だ。
刀をつうっと打ち振るえば、鈴音が咆える。どさりと後ろで里美ちゃんが倒れたが、息は安定している。気を失っただけだと思う。
「人の爪牙か」
猿が人間様の言葉を口にした。こちらも相応の礼を見せる。
「おまえを食い殺すには上等が過ぎる。失せて二度と関わらないと誓え」
わたしの言葉に猿は宣う。
「三度目は無い。約定を先に違えたのはそちらだ」
戦線布告だ。
薄明を裂いて赤目が飛び込んで来る。襲いかかる獣爪を垂直に叩き割る。後ろには通さない。
右手の中指から外側半分、肘まで失った猿はぎゃっと叫び、飛び退る。
とんとんと脚で拍を取る。りんりんと鈴が啼く。
頭ごと持っていけなかった。思いの外、素早い。
じりじりと距離を詰める。びくびくと猿が下る。
罠か。
ぴたりと止まる。間合いを詰めすぎると恐らく、腕が伸びて里美ちゃんをさらって逃げるはずだ。山も登れば登るほど相手が有利になる。高い位置は戦いにおいてそれだけで優位である、というだけではない。山の中という空間が猿に味方するのだ。それに元来、あちらには戦いを起こす理由がない。ただ奪っていけばいいだけなのだから。
こういう手合には慣れていた。おじいちゃんもそうだ。普通、知恵あるものは危なくなると後ろに下る。相手と距離を取るのが大抵の場合最も安全な策だから。
皆、そう勘違いしている。
猿を鼻で笑う。
くつくつと鈴が弧を描いて笑む。
「
どこにも逃げ場などありはしないのだ。少なくとも、わたしの前では。
ぎらりと木刀の抜き身が獲物を
刀とは即ち、
そこに距離は関係無い。唯、切断という名の付いた死が在るのだ。
山道の上を革靴で舞う。舞えば音鳴り、鳴れば閃く。無論、死が、だ。
察した猿はびくりと跳ね、刃を躱そうとする。持っていけたのは左脚の指二本だけ。まだまだ足りない。
確実に、殺す。
息を律し、拍を律し、己を律する。怪を滅するために。
驚いた顔をしている猿を少し不思議に思う。一体何を怯えているのだこの阿呆は。
だって私の手にするこれは死なのだから、たった五メートルの距離など存在しないに等しい。
死は誰にでも訪れる。光り閃きものを
猿の目つきがようやく変わる。獲物だ人間だと小馬鹿にしたものではなく、わたしが敵だとようよう認識したようだ。腕半分と足の指二本を失ってようやく、だ。
猿の腕の傷がぶくりと泡立ち、切られた箇所が癒える。よくある事だ。ここは山の中で、相手は怪物。ただの木で打ち込んだ程度では効くまい。
「貴様。何者だ」
奸言を聞く気はさらさらない。ただ、構える。言葉は意味を持ち、意味は毒になる。毒は人を侵す。ならば、わたしに言葉はいらない。
呼吸と葉擦れだけが森閑に響く。
キィィィと耳障りな声を猿が発する。人真似を止めたわけではない。何かの合図だ。
心を鎮めて、敵を見定める。
後ろ。わたしの直感がそれを視た。
するりと滑るように何かの骨と肉と内臓を裂いた。
猿の仲間か。
四方八方から来るそれは、明確な形を伴っていない。言わば山野に住まう獣という概念で、しかし確実に猿への供物を狙って飛び込んでくる。
わたしはお兄ちゃんのように器用な立ち回りは苦手で、逆に強大な敵一体を相手取るほうが得意だ。不安が脳裏をよぎる。
一息、弱音を吐くなと己を律する。
後ろに体が流れたまま、独楽のようにくるりと回る。一回転。それでぎゃあぎゃあと三匹ほどが死ぬ。鳴らぬ鈴音が夜闇に響く。
一歩引いて、猿を睨む。松の枝に立ち、キィキィと喚き声を上げる猿。
まだ来る。
正面と左斜め後ろ。優先すべきは里美ちゃんの安全。即座に後ろへ刀を走らせる。手応えはあったが、問題はこの後だ。
真上からの襲撃が視えた。わたしの直感は、こういう時だけは必ず当たる。
舞うようにそのまま正面の何かを切り裂き、刀身を上へと逆袈裟にかける。案の定手応えがある。気配を殺しても無駄だが、今回ばかりは予測をした上で嵌められた。
その瞬間、にゅるりと伸びた両腕がわたしの両脇をすり抜ける。
猿だ。伸ばして腕で里美ちゃんを抱え込み、そのまま飛び去る。
やられた。
もっとたくさん腕が欲しいくらいだ。
慚愧を律する。それはいまではない。
猿のいた場所へと向き直る。松の枝が揺れている。まだ遠くへは行っていないはず。
呼吸を一つ、ついて夜の山へと踏み込む。これがどれだけ危険な行為だとわかっていても、友達を見捨てるなんて真似はできない。
山道ならバイクより脚の方が小回りが効く。逡巡はなく一瞬で決断し歩を進める。
頭の中に山の地図を広げるが、即座に捨てる。もはや普通の山ではない。同じ道をループして迷ったのだ。尋常ではないのだから、いつもの道は役に立たない。
走る。百メートルほどでまた同じ道にでる。ざわざわと嘲るように木々と獣と夜が嗤う。
少しだけ、落ち着きを取り戻した。相手は山の怪。なら、山そのものがあいつのフィールドであり、そこに居る限りあいつには勝てない、と考えるのが普通だ。
山は山自体が生きている、と考えられがちだがそうではない。たくさんんの生命があって、それが群れをなして山に住んでいるから、神の座として機能する。例えば、木を全て燃やし尽くして禿山にしてしまえばその不可侵性は薄まる。
だから。
「
甚だ不本意だけれど。神と戦うというのはそういう事だ。まず相手の信仰を破壊し尽くして、丸裸になったところを叩き斬る。もしくは、神と同等以上の力で以って叩き潰す。
すぅ、と深呼吸。いつもの清々しい空気ではなく、重苦しい圧が大気に満ちている。
それがどうした。
「
わたしの持つ
「二度目は言わない」
膝を曲げ、腰を落とし、刀の柄を握る。居合の構えを取る。周囲の小石が怯えたように弾け吹き飛ぶ。木々のざわめきが止む。獣の声が鳴りを潜める。夜の空気が冷淡さを取り戻す。
「ありがとうございます」
わたしは山に向かって一瞥をくれ、そのまま砂利道を駆け上がる。猿の居場所は判っている。山頂だ。神を名乗る以上、そこにしかあれの居所は存在しない。
砂利道はすぐに朽木と落ち葉で出来た土に変わっていく。ほとんど獣道だ。
足元が泥で汚れようが、制服が葉っぱの汁でぐちゃぐちゃになろうが、知ったことではない。友達の命がかかっているのだ。この程度は些事である。
ただただ、疾走する。駆け登る。
視界が開ける。尾根に辿り着けば、そこには猿と、怯える里美ちゃん。
「貴様。どうやってここまで来た」
怒りと困惑で思考が埋め尽くされているのだろう。愚問だ。その頭は飾りか。
「山はわたしの脅しに屈した。やり方は正直良くないけど、友達のためならわたしはそういう事をする人間だ」
「腑抜けどもめ」
吐き捨てる猿。仲間に支えられて神として崇められている存在がこれでは、救いようがない。
「逃げ出した猿に言われると、彼らが可哀想だよ。さっさと諦めて彼女を返してくれないかな」
「何故こちらがそちらに従わねばならぬ」
「おまえが死ぬから」
ばっさりと切って捨てる。応じないなら斬るしかない。
「愚かな。人と神、どちらが上かも解らぬか」
「おまえはさっき、神であることを捨てた。神は信仰されてこその存在なのに、おまえはそれを腑抜けと言い切った。おまえは神ではない」
「
第二ラウンドだ。
びゅるんと伸びた左腕は正確に鼻先を狙っている。小首一つ傾げて一歩前へ。首を狙って腕を払う猿が視えた。避けるために身を屈めて前に進む。直後、腕が薙ぎ払われる。
瞠目する猿。知ったことか。
猿は右腕を伸ばし手のひらでわたしを叩き潰さんとする。前へ跳躍。再び直後、猿が腕を振り下ろした。
視えている。
後ろの地面が爆ぜる。飛び退く猿が視えた。更に一歩踏み込む。猿の着地地点へと同時に降り立つ。
「貴様、なんだ、それは。先が視えるのか」
口を開く暇があるのか、この猿は。見上げたものだ。
では、こちらの
「
刀身が発光する。燦然たる剣先は爆発的な推進力を生み出し、それを利用して腹部に一撃、柄を叩き込む。
「げぇぁっ」
吐き出すうめき声とともに、猿が怯んだ。
流れるように手首を返し、膝を叩き斬る。
刮目する猿が視えたが、そんなことをお構いなしに右脚を屈ませ、左足で猿の巨体を宙へと蹴り上げる。
思い切り蹴り上げた距離は三メートル以上。浮けば避けられまい。逃げようと腕を伸ばす猿。もう遅い。
背中まで振り上げた光輝の刃。呼吸を律して振り下ろす。光芒一閃、叩き
伸ばさんとした腕が途中で止まり、数瞬の後に猿の顔が左右真っ二つに離れていく。血の雨が視えたので、急いで里美ちゃんを抱えてダッシュ。直後、わたしたちのいた場所に肉塊が着陸し、血溜まりへと変わった。
「人生初のお姫様だっこが、烏羽だとは思わなかったわ……」
里美ちゃんに怪我がないか確認したあと、二人でゆっくりバイクのもとまで歩く。ぼやいたのは彼女だ。
「だってほら、血で汚れたら言い訳に困るよ」
それはそうだけど、みたいなことをもにょもにょと口の中で呟く里美ちゃん。
「まぁ、良いわ。助けてくれたし。ありがと」
でも、と里美ちゃんは続ける。
「烏羽の兄妹がヤバいって、こういうことなのね……」
まぁ、普通の女子高生は猿を木刀で叩き殺したりしないからね。
がさがさと山道をかき分けて降りていけば、ちまっとしたバイクが視界に入る。
「ようやく帰ってきたねぇ」
「巻き込んでごめん。私のせいで……」
きょとんとしてしまった。
「ご利益もないのに神様名乗って、その上で人間をお賽銭代わりに持っていこうなんてやつは、殴っちゃえば良い。里美ちゃんちょっと優しすぎるところあるから、大学行って変な人に捕まらないように気をつけるんだよー」
ポイ捨てしたヘルメットを被って、バイクに跨りタンデムシートをぽんぽん叩く。
「アンタ、本当にマイペースよね……」
呆れ半分の里美ちゃんを背中に感じながら、バイクのエンジンに火を入れる。ぶいーんと駆動音を響かせながら、すっかり日の暮れてしまった山路の中を過って行く。赤信号も無ければ対向車もない、ただただぼんやり登っていくだけの道。西の空をちらっと見る。金星がとってもきれいだ。田舎はこういうところがいい。
視界が開けて、灯りの付いた家が目に飛び込んだ。
目を覚ましたのはベッドの上だ。山路からどうやってここまで来たのか記憶にない。天井は我が家の平屋ではなく、普通の家のもの。
あれ? と首を傾げていると、里美ちゃんが部屋にやってきた。よくよく見れば、ここは彼女の部屋だ。
「ようやく起きたわね」
「ぁー……事故らなかった?」
「大丈夫。家につくなりぶっ倒れたのよ、烏羽」
コップと夜食を机の上に置いて仁王立ちする彼女。
「うぅ、ごめん」
「何があったかは親には言ってないから。混乱するだけだろうし。でも、今日は泊まっていきなさい」
その体たらくじゃ運転は無理よ、と言いながら食事を差し出してくれる。
わたしはまだまだ未熟だ。普通に頭を叩き潰せばよかっただけの相手に、怒りに任せて極光まで抜いてしまった。
でも、彼女が無事だから今はとりあえず良しとする。
サンドイッチを受け取り、
「ありがとね、里美ちゃん」
そういって、わたしは彼女と家族の厚意に甘えることにした。
邪道、二人 くろかわ @krkw
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