邪道、二人
くろかわ
外法・弓張
節電と称して薄暗い明かりだけが灯されたオフィスの中、たくさんのパソコン画面がぼんやりと社員達の顔を下から照らす。たくさん並んだその顔は、まるで懐中電灯を当てて人を驚かせようとふざけているかのようだ。事実、彼らの顔には一様に精気が無く、十六時の黄昏時が窓の向こうでゆっくり暮れゆく空と相似している。
上司からの社内メールではいつも通り無茶振りされる。
添付されたエクセルには一切の関数が使われておらず、これをグラフにしてわかりやすくプレゼン資料にしてくれ、バックストーリーはこれだ、とご丁寧に記載されている。この不況下、コロナ禍でも売上は上昇しており、マンション売買はまだまだ戦える商売だと証明しろ、とのお達しである。業界を総括すると上向きだが、うちの会社は大手ではない。
つまり、数値を折れ線グラフに変換すると、やや右肩下がりを象る。
「どうすんだこれ……」
入社六年目だからこういった無理難題は慣れている。仕方ないと溜息を一つ、諦めを気合いに変換しながらパソコンと格闘する事にした。
「
定時直前、さっさと仕事を切り上げて帰るかーという気分のところに、無茶振りエクセル上司野郎から声が掛かる。何事かと見上げれば、地図アプリを開いたスマホ片手にこちらへふらふらと近寄ってくる。
またいつものか、と嘆息。頭の中は昨日作ったポトフでいっぱいだったのに。
「特別残業、いけます?」
ほらきた。いつものやつだ。
聞かれはするものの業務命令なんだから事実上の「行ってください」だ。俺が呼ばれるとしたらこれくらいだから予想は出来ていた。とはいえ、実際に残業が確定するとげんなりする。口の中の脳内ポトフを消去。残念。
「いけます。どこです?」
できる限り愛想よく応えるが、実際にできたかどうかは自信がない。
「例の新人くんが競り落とした激安物件。神主さんが祈祷中にぶっ倒れたみたいで」
俺の記憶が正しければ、三回目の祈祷失敗だ。だから呼ばれたんだな、と納得して渋々立ち上がる。
今回の同行者は営業の木村さん。よく知った顔で、営業部の中では数字が出せない側の人だ。だからこんな貧乏くじを引かされるんだろう。しかし俺は知っている。彼はかなりの人格者だ。そこに居るだけで場を和ませてくれるおじいちゃんであり、自己主張こそしないものの、頼ればだいたいのことは解決してくれる。我の弱さは良し悪しで、こういう人こそ裏方に回ってあれやこれやと周囲を気遣うべきなのだが、何故か不向きな営業に回されている。
打ちっぱなしコンクリートの駐車場で待ち合わせ。あとから来た木村さんは、ひょろりと高い背を社用車の運転席に滑り込ませる。俺は助手席で自分の得物を確認する。シャフトの歪み無し。プランジャーは……やや難ありだ。我が事だが使い方が荒すぎる。
「特残、初めてですけどいけますか」
手元をいじりながら、木村さんに聞いてみる。やること自体は簡単だ。重要なのは肝が据わっているかどうか。人が良くても土壇場で逃げ出されては元も子もない。
「烏羽くんは慣れてるし、僕は基本的にぼーっとしてるだけだから、大丈夫だよ」
のほほんとしている。こういう人のほうが頼りになる傾向にあるが、本番になったらどうなるかまでは判らない。まぁ、どうとでもなれ、だ。
「一応決まりだから、説明するね」
そう言って木村さんは資料を渡してくれた。目を通した限り、特別残業の中でも最悪の部類に入る。
長らく放置されていた空き地にマンションを建てようと計画したはいいが、いざ建造という段になってから骨が見つかった。建築業者はそのうすら白い骨達を無視してマンションを築き、格安の値札が付いた白骨長屋をウチの営業がうっかり取った。
造設の段階でも結構な人死が出ていたそうだ(この時点で諦めなかったのが不思議で仕方ない)が、いざ入居前の地鎮祭となった時に問題が噴出した。神主が二人……今は三人か。倒れた。二人目までは泡吹いて白目剥いて痙攣するという有様だったらしい。三人目がどうなったかは確認する気にすらなれない。
そこで俺の出番と相成ったわけだ。
俺だけに任される特別残業とは即ち、事故物件の除霊だ。
宵闇の中、アスファルトの上を駆動体で疾走。社用車の中は少しだけ煙草の匂いが漂う。恐らく誰かが吸ったのだろう。消臭剤も完備されている辺り、喫煙は常態化しているはずだ。ちょうどいい。
現場に近づくにつれ、幽霊の溜まり場特有の冷気が迫ってくる。車体越しですら判る圧に眉をひそめる。しかし運転席の木村さんは感じないタイプな人のようで平気な顔をしている。
羨ましい限りだ。
「宇宙人が降りてきたみたいですね」
突如、木村さんがとんでもないことを口走った。
「今回の相手は幽霊ですよ」
宇宙人は見たことがない。もし出てきたら太刀打ちできるだろうか、などとぼんやり考えるが、答えは出ない。そもそもなんで宇宙人なんて話を始めたんだこの人。
「宇宙人が降り立つ場所の周囲は、音が断絶するそうです」
こっち方面のオカルト好きかこの人。なるほど白羽の矢が立つわけだ。
「虫の声、しなくなったでしょう」
「幽霊と一緒ですね」
いやいや、と片手運転をしながら手を振る木村さん。危ないから止めてくれ。
「宇宙人と幽霊は大きく違いますよ。まず宇宙人は生きてます」
居れば、の話だが。まぁでも宇宙人も幽霊も大差無いかもしれない。俺が判るのは幽霊のことだけだ。もしかしたら木村さんは宇宙人と接触したことがあるのかも。無くてもこういう話ができる相手は限られているから、テンションが上っているだけの可能性は捨てきれない。
「学生時代以来ですよ、こんな話ができるなんて」
不審がられますからね、と締めくくって満足そうな横顔を見せる木村さん。この手の話題を家庭やその手のサークル以外で出すわけにはいかないから、仕方のないことなのだろう。
この気持は判る。俺も妹も所謂霊感のある人間だが、二人きりの時しかこの手の話題にならない。ちょっとした秘密の共有は、俺のシスコンを加速させる要因の一つだろう。
暗い夜道をハイビームで裂いていく。じっとりと暑い夏夜の癖に、どこからかひやりとした空気が滑り込んで来る。虫の声は先刻からとっくに無いが、人気も一切無い。ここまで酷いのは予想外だ。住宅街だというのに街頭の明かりだけで、周辺民家の窓は真っ暗。コイツは聞きしに勝る案件のようだ。
「烏羽さんはどうして特別残業に?」
車から降りると出し抜けに木村さんの問いが飛んでくる。
「査定のプラスが大きいんですよ。来年は妹が大学に入りますから、仕送りもしたいな、と」
なるほど、と深く頷く宇宙人オタクおじさん。彼も彼で家庭があるので、何らか共感ができる部分はあるのだろう。
「ところで、それ何です?」
俺が先程から持っているモノを眼尻で指す木村さん。
「組み立て式の弓です。高校の頃、弓道部でして」
アーチェリーで使う弓だ。特別残業の件が舞い込むようになってから用意したもので、これ単体はそんなに高い買い物ではなかった。色々と改造をしているうちにそこそこの値が張る代物になってしまったが気にしない。実績を重ねるうちに必要経費として会社から落とせた。領収証、取っておいて良かった。
「それで幽霊をズバン、と」
「まぁ、そんな感じです」
言葉を濁す。
へぇー、と感心したのかただの相槌なのか判じ得ない言葉が返ってきた。大抵の人はこんなもんだ。
弓道部だった頃は、試合で一度も射させてもらえなかった。顧問曰く『君の射業は殺意が溢れてるから駄目』との事だ。人が多い時は射場に入ることすら禁止されていた。もちろん、顧問の意図も理解していた。とにかく俺は、中てることに特化し過ぎていて、精神面が追いついていない。ただ、射れば必ず中てる。そういう、生まれる時代を間違えたタイプだ。
現場は大変な事態になっていた。
作業着姿の幽霊たちが大声を立てている。手にしたプラカード(と言っても霊体の一部を変化させたものだ)には『幽霊にも謝礼を出すべき』『遺言を書かせろ』『家族に補償を』などなど。突然の事故で成仏しきれず、かと言って後ろの奴らに引っ張られてこの場を去ることもできない、悲しい死者達のストライキ。中には興味なさげに煙草を吹かしているもの、酒の空き瓶を傾けて「中身出てこないなぁ」と首を傾げているものなどもいる。どんだけ死んでんだこの現場。どうして建築しきってしまったんだこの物件。
このざわめきは木村さんにも若干聞こえるらしく、怯えた様子を見せている。そりゃ近隣住民がいないわけだ。
頭を抱える俺を余所に、更に大きな音が耳をつんざく。
作業員達よりももっと奥、マンション自体を取り囲むように地縛霊のお歴々がうごめき、うごごと咆哮をあげ始めた。大体が白骨で、生肉が残っている個体はそれほど多くない。肉が無いのは良いことだ。自我が残り少ないから、追っ払うのは簡単になる。
問題は、数だ。
山のようにいる。これは骨が折れそうだ。いや折るのはこっちの仕事か。
地縛霊たちは敷地内をあっちこっち飛び回って、マンション全体が巨大な悪霊の棲家になっているようだ。
しかも背後には山。危険物件の条件揃い踏みである。
「あのー、皆さん。ちょっとお話があるんですが」
と作業員の幽霊達に近づきながら声を掛ける。
『あぁん!? てめぇ
リーダー格の幽霊がこちらにずしずしと近寄ってくる。脚までしっかりあるタイプなので、キャラクタライズされた幽霊に触れてこなかったのだろう。体育会系あるあるだ。反面彼は右半身がほとんどない。肩口から板のようなもので切断されたのだろうと想像がつく。
こういうものです、と言いながら声を上げた幽霊に名刺を見せる。木村さんからすれば、背中に弓を背負って虚空へと名刺を差し出すおかしなやつになっているはずだが、この際気にしない。妹とボーナスのためだ。
「皆さんの苦しみはこちらも把握しています」
見た目からして血だらけだったり、明らかに首が奇妙な方向に曲がっている幽霊もいるから嘘ではない。
「ですので、こちらも謝意を表すために、皆様を苦しみから解き放つ提案させていただきたく存じます」
そう言うと、作業員達がぞろぞろと集まってきた。興味は惹けた。まず第一段階としては上々の出来だ。生きてても苦しいのに、死んだらずっと傷が治らず痛いままだから、当然の反応と言ってしまえばそれだけなのだが、こちらに関心を持ってくれないよりは遥かに良い。
「列になっていただけますか。後ろに控えている木村がお一人ずつ皆様のお名前をお呼び致します」
くるりと振り返り、
「木村さん。お願いします」
木村さんはおたおたと九字を切ってから、清めの塩を木村さん自身の周りに撒く。ちゃんと消臭剤も持っている。防護は最低限だが、予算をできるだけ安くあげたい会社側と折り合いがついた試しがない。
「では、行きます。朝上さん。井上さん。井の頭さん」
宇宙人オタクおじさんが幽霊の名前を順繰りに呼んでいく。読み上げているのは死亡した建築業者の名簿だ。
名前を呼ばれた幽霊びっくりする。すると驚いて隙ができる。そしてそのまま一歩、木村さんへと向かう。こちらから気が逸れた瞬間が狙い目だ。
名前というのはかなり強い呪術で、幽霊や作業員といった属性を剥ぎ取り、個人としての側面を強烈に押し出させる。すると必然『ストライキ中の幽霊の群れ』から『朝上さん』になるのだ。この差は大きい。何故なら、彼らがバラバラであったほうが都合がいいからだ。
「
俺は追加の左腕を三本イメージし、左肩甲骨から生やす。追加された左腕はぬるりとしていて、関節が存在していないかのようにぐねぐねとうごめく。その左腕達をびよんと伸ばし、隙だらけの作業員達を引っ掴んで、矢筒に突っ込む。掴んで矢弾にするという動作のために、彼らの団結力を一時的に半減させる必要があった。即ち、名前の読み上げだ。集団から個人になった幽霊は片手で簡単に摘み上げられ、そして矢筒へと引きずり込まれる。
矢筒に装填されたモノは人ではない。矢だ。何故なら矢筒という器に押し込まれたからであり、矢筒に入っているという結果がある以上、中身は必ず矢である。
「
三本の矢を人差し指、中指、薬指、小指につがえ弦を引く。実体の矢ではないから放たれた矢は射手の意に沿う。
射を行った以上、絶対に的に中たる。これこそが俺の呪法だ。
冷たい夜を疾駆しながら狙いを澄まし、奥の地縛霊共に向かって解き放つ。ビンと鳴弦が響き渡り、ぎょわぁと声を上げながら飛び立つ矢。雑霊、浮遊霊が矢に向いている理由はこれだ。小細工無しに
三体の地縛霊に矢が命中し、浄化され、ついでに爆発が起きる。矢になった霊も綺麗さっぱりだ。存在しない以上苦しみから解き放たれたのは間違いない。嘘は言っていない、と自分に言い聞かせる。少しだけ心が痛むが、妹のためだ。ボーナスになってくれ。
当然次に起きるのは霊達のパニックだ。仲間を矢にされた作業員達は何事かと混乱。射掛けられた地縛霊達三体が爆発四散。暴風が吹き荒れ、マンション全体がビリビリと鳴く。皆が皆、三々五々に散っていく。そりゃそうだ。爆弾テロと銃撃テロが同時に起きたようなものだ。
俺は俺で無理矢理テンションを上げるため自身を鼓舞する。特別残業のコツは自らのテンションコントロールだ。気鬱が漂ったらそれだけでアウト。気をつけねばならない。
「はッ、成仏させてやらァ! 左腕、雑霊装填!」
遠くで木村さんが、加藤さん、葛城さん、加山さん、と連なった名を挙げていく。腕は自動的に名前を読み上げられた個体を選ぶ。推定加藤さんら三名を捕らえ、イメージの左腕三本で霊を摘み上げる。
矢筒内にて成形。右手で三本の矢をつがえ、空になった矢筒に次々と人魂を補充していく。
斉射、斉射、斉射、装填してはまた射つ。射って射って射りまくる。まともな射業ではない。まさに戦闘のための弓術だ。
放たれた矢達は、おわぁ、うぎゃぁ、ひぎぃ、など様々な悲鳴をあげながら地縛霊の山に着弾、着実に削り取っていく。いくのだが。
恐らく、このままでは弾が足りない。
「読み上げ、もう大丈夫です!」
木村さんに叫ぶ。俺に守る力は無いので結界の中でじっとしていて欲しい。声を上げる行為はなかなかに危険だ。相手に自分の存在をアピールするのは、戦場では常に危険を伴う。
そろそろ地縛霊側が反撃に出るだろうし、作業員幽霊達は既に連帯感を失っている。
正念場その一だ。
ヒュン、と頬を何かが掠める。痛みで血の味が口の中に広がる。物理で来やがったな。
二発目を目視。白い破片が空を切って飛んできた。上半身を捻ってマンションの欠片を回避。上等だ、楽しくなってきた。なってきたことにする。本心は全然楽しくない。早く帰って昨日作ったポトフ食べたい。でも楽しいということにする。そうしないとやってられないからだ。自己暗示も仕事のコツだ。
巨大な塊になりつつある白骨共に向かって三連斉射。再び爆発が起きる。が、ほとんど削れていない。先程までとは段違いの強度だ。こりゃもう斉射じゃだめだな。
「烏羽くーん、どうなってるのー!?」
ちらと木村さんを見る。無事そうだ。あの様子なら地縛霊共には見つかって無いと思われる。多分。
「じっとして、黙っててください!」
バリバリと剥がされ空に浮かぶ壁材を確認、地縛霊に向かって疾走を開始。降り注ぐ塗り壁を掻い潜って、そのまま背中で地面を滑る。結構新しいシャツなんだが、命には変えられない。
地面の上でひっくり返ったダンゴムシみたいな格好のままもう一発。着弾。爆発。駄目だ、全然効いてない。
舌打ち一つ打ちながら、腹筋背筋と両足の力をバネに使って立ち上がり、ショックのあまり昇天しかけている作業員霊を箙に充填。自分達が文字通り命がけで作ったものがバカスカ壊されていくのだ、ショック状態もやむなしである。彼らに血液が通っているとは思えないがまぁ慣用句だ、と己にツッコむ。
さて、このままでは手詰まりだ。マンションの外壁は既にボロボロで、その名残は竜巻に襲われたかのように宙を待っている。マンション本体は未だ健在だが、コンクリートを引き剥がしての投擲が始まるのも時間の問題だろう。さっさと決着を付けないとこっちの査定に響く。何より作業員霊の数が足りない。残り十体ほどだろう。
いや待って。こんだけ射ってまだ十人もいるの? 死にすぎじゃないこの現場?
仕方ない。次の手と行くか。これ疲れるからやりたくないんだよな。
「右腕開放、
追加で三本の右腕をイメージ。ぬるぬるした左腕と違い、右腕は筋骨隆々のスタイルだ。理由はシンプル。左腕は装填用で、右腕は弓弦を引くためにある。
三本の腕で一本の矢を引く。残りの一本は体を固定するために地面に突き刺す。すると、単純計算だが普通の人間より三倍強く弓が引ける。馬鹿の理論だし弓の構造と強度上三本の腕で引くようにはなっていない。だが、三人張りと名をつけて三本の腕で引いているのだから、当然威力は三倍だ。イメージされた右腕はかなり不器用で、弓を引く以外の使い道はほとんどない。それでも、悪霊の装甲をぶち抜くには格好の腕だ。
巨大な骨の寄せ絵で象られた、マンション大のがしゃどくろを射抜く。ど真ん中に風穴を開けられたそいつは、周囲の木々が揺れるほどの大声で咆えた。中村さんの悲鳴も聞こえたから普通の人でも感じられるほどだ。
目を離した一瞬で、木村さんに魔の手が忍び寄っていた。暴走した地縛霊の一体が木村さんを守る結界(つまり塩)と衝突し、結界にヒビが入る。
「えっ何、何が起きたの?」
幽霊に衝突され、ふわりと前髪が浮いている宇宙人オタクおじさん。それでも呆けている木村さんに、
「消臭剤! 前側に噴射しまくってください!」
喉が裂けるほど大声で命令。今は一発でももったいない。自分の身は自分で守ってもらうしかない。
「えっ? これ効くの?」
そりゃその反応になる。当たり前だ。消臭剤で除霊ができるとは思わないだろう普通。ちなみに実際にはできない。だがここで「効きません」とは言わない。
「効きます! 信じて!」
大嘘である。ホラ吹きながら全力疾走で巨大地縛霊の両手叩きつけ攻撃から逃げ切る。直後後ろの地面が陥没。恐らく形は広げた手のひらだ。
木村さんの方に視線をやれば、宇宙人オタクおじさんVS地縛霊という地獄の抗争が始まっていた。おじさんはひたすら消臭スプレーを撒いているだけで、地縛霊は匂いにやられてけほけほと咽っている。
つまり、意識が戦闘からも俺からも逸れている。
「左腕雑霊装填」
ぼそっとつぶやき、消臭剤の香りがする幽霊を矢に成形。よし、一発確保。
「あれ? 効いた?」
半信半疑の木村さん。宇宙人は信じても消臭剤は信じられないが、一人で飛び跳ねているように見える俺のことはなんとなく信じている。そのくらいの感じだ。
「効いてます! もう大丈夫です!」
消臭剤は効いてないが大丈夫なところは事実だ。良しとする。
無を映す夏の夜空を見上げれば、骨の寄せ絵のがしゃどくろ。胴体に穴が開こうが、頭が半分吹っ飛ぼうが、悪霊共はまだまだ動く。肥大化した腕を振り上げ、こちら目がけてチョッピングライト。当たれば当然の如く死ぬだろう。ギリギリまで引き付けてから跳躍。脱げた革靴がひしゃげて真っ平らになる。直後、轟音と共に地面が陥没。木村さんの悲鳴もあがる。
ちょうどいい、と脱げてない側の靴も蹴っ飛ばす。踏ん張るのに邪魔だ。
左腕で俺を薙ぎ払わんとする巨霊。かがんで避けたら髪の毛が数本持っていかれた。漫画やアニメでよくある状況だが、自分でやると肝が冷える。生きてればセーフだ。さらば髪の毛。行くぜ
「
三本の矢を箙から取り出し、一本の矢に重ね合わせてつがえる。そしてさっき拾った地縛霊を左手で燃やす。燃える霊を矢の先端に灯し、火矢が完成。そのまま、
「喰らえデカブツ」
首元狙ってぶっ放す。もちろん中たり、火矢である以上延焼が起きる。巨体が炎に包まれ、熱波がここまでぶわっと押し寄せる。炎の匂い。効果ありだ。
どうやら重みで首がもげたらしく、頭蓋骨の残骸片手に
前へ跳んでマンションの壁に密着、がしゃどくろのへそまでやってきた。燃えているのでとんでもなく熱い。物理的な熱ではないが概念的な炎なので、理解できる俺が触れたら燃え広がる。靴下も駄目になるだろうな、と諦めてから、相手の変貌に今更気付いた。
もがき苦しむ巨霊に呼応し、ざわざわと山が鳴動する。霊が山から集って来た。これは不味い。山は神の座する場所であり、そこにいるものを吸収したなら神に近い存在へと変わっていく。
神霊級に対抗するのは正直嫌だ。手に負えるかどうかギリギリだし、よしんば勝てても代償が大きすぎる。その上、同行者を危険に晒す羽目になる。
正念場その二だ。とにかく、山からの供給を絶たねばならない。弾の数は後六発。回復されれば押し切られる。逆に、向こうも治癒が必要というわけだ。ピンチはチャンス。それならこっちも別の手だ。
息を整えつつ、矢をつがえずに弦を引く。するとビィンと弓が鳴く。鳴弦と呼ばれる、破魔の意を持つ動作だ。全くもって本式のやり方ではないが、効果そのものが無いわけではない。
弓を中心に音が波のごとく広がり、弱小地縛霊共を怯ませる。心を鎮め、二度三度と弦を弾く。弾けば鳴り、鳴れば霊は鎮まる。
最初からこれを使うと
祓うほどの火力はないが、至近距離で演られるとほとんどの霊は嫌がる。もちろんこの超巨大地縛霊も例外ではない。
ぐげぇ、と喚きながら超巨大霊はマンションから離れた。
馬鹿め。コイツは今この瞬間地縛霊であることを捨てた。
「
自分の腕で三本、追加の腕で三本を引き絞り、ほとんど真上に向けて矢を放つ。今度は直撃させるわけではない。巨霊の体を削り、引き裂く。地縛霊という属性を捨て去ったそいつは団結力を失い、いくつもの破片を撒き散らしながら逃げ出す。地縛霊の群れが地から解き放たれたら、それはもうただの烏合の衆でしかない。
逃すか、阿呆め。
「
追加した全ての腕を以って、雑霊を捕獲、矢筒に装填。七体集めて矢を成形。八体目で点火する。八体分の霊の重さを感じながらマンションのすぐそばに弓を突き刺す。弓の下側先端には、テント固定用のペグが装着してある。つがえた矢の先は──木村さんだ。
真っ黒な夜空へと逃奔する巨大霊を狙って、全ての腕で弦を引き絞り、木村さん目がけて
「
射る。
深淵の如き夜空を、漆黒の虚空を、一筋の焔が裂く。
射れば、中たる。
宇宙人オタクおじさん目がけて放たれたはずの矢は、彼に直撃する直前で直角に上へと曲がる。風圧で足元の塩が吹き飛び、それを纏った矢はそのまま夜空を奔る。俺が狙った敵へと向かって。
爆発。轟音。頬に感じる空圧。あぁうるせぇ。ようやく終わった。
どさりと腰を下ろして空を見上げる。マンションは綺麗さっぱり壁が剥げていて、再施工が必要だ。こりゃ金にならないな、と思いながら呼吸を整える。星空は見えない。都会はこんなもんだ。人工衛星の輝きが視界を横切る。
ひょいと木村さんがこちらを覗き込んで来た。
「お疲れ様です。すごかったですね」
「こりゃ赤字ですね、うちの会社。売りに出せるのかな」
幽霊さえいなければそれなりに好立地だ。もしかしたらいつの日にかは黒に変わるかもしれない。
「コーヒーでいいですか?」
「もう一仕事ありますから、それが終わった後にごちそうになります」
立ち上がって、リムの歪んだ弓を見る。買い替えだな。七人張り最大の欠点だ。査定がプラスにならなかったら大損だ。これだからデカい物件は扱いたくない。
使い物にならなくなった弓を背負い、本職の神主さんが来るまで一時しのぎの結界を張る。幽霊だって棲家が要る。空き物件があったら住みたくなるもんだ。そういう不法侵入を防ぐための準備に取り掛かる。
全身の酷使と体中に切り傷擦り傷で億劫だが、これも仕事だ。割り切るしかない。
「烏羽くーん」
頭がカレーでいっぱいになった夕方頃にクソエクセル上司野郎から声がかかる。またいつものか? と訝しんだが、今回はどうやら違うようだ。スマホも資料も持っていない。
「この前のマンション、結構高値で余所に売れたってさ」
嬉しそうにニヤニヤしている。こっちの苦労も知らずにへらへらと。溜息を抑えて、
「そいつはよかった……って余所に?」
「回したよー。神主さんが地鎮するのもただじゃないから」
嘘だろ。あの結界じゃ一週間も保たないぞ。
ぽかんと口を開けていると、ニヤニヤ顔の上司は何かを勝手に得心したらしく、
「大丈夫、査定はでっかくプラスにしておくから。ボーナス楽しみにしてて」
まぁ、それならいいか。薄情だが俺にはもう関係のない案件だ。
「はい。ありがとうございます」
それでぇ、と言いながらスマホを取り出すクソ上司。結局いつものパターンじゃねぇか。さよなら今夜の定時退勤。
「木村さんが気に入っちゃったみたいなのよね。だから今回も彼と行って」
宇宙人オタクおじさん、ついに幽霊にハマったか。一度行ったら二度と同行したくないと言う人が多いというのに、物好きなもんだ。
「わかりました。どこです?」
できる限り愛想よく応えるが、実際にできたかどうかは自信がない。
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