B

美意

lovebe-津雲

「これだよ。最高。」

カシャりという音とともに男が言う。写真機を構えることをやめ、覗き穴から目を離すその先では小洒落た二人組が手を繋いでいる。彼は底気味悪い笑みを浮かべると彼らが歩く様子を見つめている。鮫歯をギラギラと輝かせながら口を開けると電池の枯れかけた機械タバコを咥えた。足早に帰路に着く人通りのなか初冬の寒さなどお構い無しに立ち止まっている。

「ようやく見つけました。逃れようなどと考えず早く行きますよ美意びいさん。」

通行人一人と身体を打ち当てながら現れた女は白息混じりに呼び立てる。気息を整えようとするたび彼女の肩がスーツとともに上下している。男が何処だと振り返ると紫煙混じりの息を漏す。

「これも仕事の一環だって。遅刻の一つや二つ許してくれよ詩意しい君。」

パタパタと突っかけを鳴らし、藤紫によく映える左右対称の若紫の細いメッシュを揺らしながら呼び立てに応えると女の気色を伺うように尋ねる。女は呆れるように片手を腰に当てると終に喉が音を鳴らす大きな溜息を吐いた。

「あなたそれでも大人ですか。毎度毎度遅刻も遅刻。こんなようでは一つも二つもありませんからね。」

鋭い顔つきの彼女の表情はいつにも増して凶暴で今にも彼を撲ちそうだ。この感じのため特徴的な薄紅藤の平たく整えられたポニーテールと前髪がなぜだか可愛らしく見えない。虎でも怯みそうなその空気の標的となっている美意は未だ彼女のことを嘲ている。それだけには留まらず彼は写真機を構えると覗き穴から確りと詩意の表情を捉えるとシャッターを切った。

「わかった。とびきりいい素材も撮れたし今日はこれで帰るよ。これは約束に遅れた彼に対して怒る彼女の表情の参考にしよう。」

息の根を止めるかの如く追い打ちをかける。詩意は当然のように彼をまっすぐ蹴りあげた。そのまま何も言わず美意の手に触れたかと思うと非道い力で握り締めた。

「敬語で罵られるのも蹴られるのもいいね。ではなくて。」

未だ懲りずに冗談を言うと彼は誤魔化すように咳払いをする。詩意はわがままな幼児を制御するように足早に歩き始めた。

「そんな顔だとせっかくのかわいい顔が台無しだよ。今回はやりすぎた。今日は外食にしよう。そうすれば君も家事をしなくて済むだろう。もちろん僕の奢りだよ。」

虐めることに満足がいったのか申し訳ないと思ったのかどちらか定かではないが美意は彼女に合わせながら歩き、そう言った。

「だから遅刻だと言っているでしょう。本当だったらもうデザイナーさんとの話も終わり、私は帰路の半ばだった筈なんですよ。なのにあなたが来なかったお陰でまだ仕事を始められてもいません。」

彼女は怒ることに疲れたのか再び溜息をつくと表情も心無しか柔らかくなった。美意を握る手も緩んでいる。脚も力が抜けており急ごうとすることをやめていた。呆れている彼女を横目に美意は楽しそうに歩いている。凛とした詩意に対して美意は締まりのない姿勢でいるのはいつものことだ。

「ところで詩意くん。いつになったら手を放してくれるのかな。僕は赤子じゃないんだ。」

これも意地悪なのかそうでないのかはわからない。美意の態度はいつもふざけたようでその空気を壊せた者はいない。詩意の反応が特にないので彼は手を引き抜くと生地にやたらと緩いパーカーのポケットに仕舞ってしまった。詩意は構わず歩き続けている。

「一分後にタクシーが到着。午後七時までに美意さんの自宅に着きます。午後七時から津雲さんとオンラインで今回の表紙についての打ち合わせです。大幅に時間を遅らせ、本社に来てくださったのにあなたが理由で帰られてそれでもなおご自宅から打ち合わせをしてくださる彼女に感謝してください。打ち合わせが終わり次第早急に奢りで焼肉です。わかりましたか。」

立ち止まったと思うと突然速射砲のようにそう言う。先程まで怒っていたとは思えないほど冷静沈着だ。上がっていた息も落ち着きを取り戻している。

「了解。ほんとに便利な能力だね。森羅万象シンラマンソウをブッキング可能なんて。」

突然の早口も慣れたように了解し、笑いながらそう返事をする。

森羅万象シンラマンソウは言い過ぎです。仕事している時だけ自由に連絡が取れるだけです。本当であればこんなもの使わずとも上々に仕事をこなせているはずなので。そして去年まで仏教が何なのかもわかっていなかったあなたがその言葉を使わないでください。」

ほんの少しの会話のうちにタクシーが二人の横に着く。詩意が一分後にと言ったその一分後丁度だ。2人は開けられたリアドアを軽く抑えながら姿勢を下げて乗り込む。美意は何が楽しいのかわからないが席に座ると不自然ににやけている。既に伝えられているのか行き先を伝えずとも正しい道を走り進んでいく。

「なににやついているんですか。気持ちが悪い。」

詩意がタクシー内特有の気まずさをどうにかしようと話す。

「車に乗ることが久しぶりだから心が踊ってしまって。都内で生活するとなると車に乗る機会なんて然う然うないからね。ところで津雲ちゃんもご飯に誘わなくていいの?」

美意に会話を続けようという気遣いなどないが思ったことを口に出す。

「そうですね。聞いてみましょうか。」

そう返事をすると再び静寂が訪れた。原動機のブロブロ。方向指示器はカチカチ。時々聞こえる車の音は何故かいつも深く感じられる。

詩意は座っていても背筋を伸ばし手を膝に添えている。それに対して美意は窓の縁に肘をつき、頬杖を着いている。幸せそうに窓の外を眺めている顔は子供のそれだ。

「はい。到着です。」

大通りから少し外れた道の大きめのマンションの前に止まると運転手はそう言った。

「はい。これでお願いします。」

代金を聞く前に詩意は財布から2060円ちょうどを手際よく出すと見易いように手のひらに並べて前に出した。運転手が何も言わずにそれを受け取るとドアが開いた。美意終わりを迎えたアトラクションに残念がりながら何も言わずにタクシーを出ると詩意は一言謝意を伝えると素早く美意の後を追った。仕事の頭に切り替わっているのか詩意は急ぎ足でマンションに入ると慣れた手つきでエントランスの鍵を開け、エレベーターの中に入ってしまった。エントランスに彼女のローファーの音が律動よく響く。美意は気ままに、それでも詩意のペースに合うようにあとをついていく。美意もエレベーター乗り込むとすぐさま詩意が11階と閉じるのボタンを押した。鉄箱の中に独特の機械音と美意の欠伸の音が染み込む。すぐに11階に着くと美意が先に外に出る。

「部屋の鍵ありますか。」

詩意がエレベーターから出ながら言う。

「これでいいよね。うちの鍵持ってくるの忘れたの。」

美意は振り向かずに後ろの鍵を見せつけながら詩意を煽る。

「自分の部屋くらい自分で開けてください。合鍵の使用は緊急時と決められているんです。」

詩意は足早に美意の背中を追いながら彼の遊びには付き合わないと意思表示をする。部屋の前に着くとすぐさま鍵を使って入場する。美意は真っ直ぐ仕事部屋に向かうと首にかけていた写真機をデスクに置き、彼の特等席に腰をかけた。詩意は少し遅れて仕事部屋に入ってきたと思ったらだらけた美意に黒珈琲を渡すとデスクの上にあるディスプレイとパソコンの電源を入れた。

「お味はどうですか。打ち合わせ始めますよ。」

詩意は座った美意とディスプレイの間に立ってわりいりながらビデオ通話アプリを起動する。それに並行して津雲への連絡を頭で行っている。

「味は最高。準備よし。流石詩意君。」

美意は幸せそうな表情で椅子の上で体育座りをしながら珈琲を飲みそう言う。詩意が操作をやめ、乗り出していた上半身を直すとディスプレイには木目で統一されたお洒落な部屋を背景に津雲の姿が映っていた。右上には小さくタンスと白い壁紙を背景にした詩意と椅子に縮こまる美意も映っている。

「ごめんね津雲ちゃん。僕のせいで予定変更になってしまって。相変わらず元気かな。大学は楽しめているかな。」

椅子と共にくるくると揺れながら美意は言う。詩意は少し硬い表情をしながらその横に立っている。

「いえいえ気になさらないでください。そちらも相変わらずのよう良かったです。」

津雲は少し苦笑いをしながらディスプレイに映る詩意の表情を見てそう返す。

「大丈夫。ここにきて何故だか再沸騰している詩意さんのことは気にしないで。それで今回の作品は読んでくれたかな。」

美意は詩意の表情をうかがうように斜め上を見上げながらそう言う。詩意は一旦は打ち合わせを始められた安心感から緊張の糸が切れていた。それが理由で街中での美意との出来事を思い出してしまっていた。詩意は商業的なことや管理指導に関しては随一の実力を持っているが文学や美術に関してはからっきしだ。自分の作品への批判はお構い無しの美意にとってはとても都合がいい。故に詩意は津雲との打ち合わせでは基本口を出さないのだ。

「はい。読ませていただきました。率直に感想を言うとですね。須田君の一途な想いで私の心を奪い去ったあとすぐさまその心を夏希ちゃんの須田君と吉村君のどちらをとるかというまごついた想いが痛めました。挙句吉村君を選んだ夏希ちゃんには殺意すら覚えましたね。」

二人が津雲の感想を聞いていると場面が自然と頭に流れ込んでいく。文字は次第に形を変えると美意の思った通りの姿をした登場人物たちが姿を現す。次第にそこには色がついていく。どの場面も名状し難い不可思議な色ともいえないもので塗られていく。それでもどこにも違和感は存在しない。美意は目を瞑りじっくりとその場面を目に焼きつけている。詩意は顔をしかめながらなにかに耐えるようにしている。感想を聞き終えると不思議な体験はいつの間にか終わっていた。

「画面越しでもできるなんてね。いつも独創的で壮麗だ。よし一番初めに流れ込んできたものを表紙にしよう。タイトルの字体諸々は任せてもいいかな。」

美意は感動しながら打ち合わせの主題について触れた。恍惚のした表情をしながらディスプレイを見つめている。

「やはりこれには慣れません。少し御手洗お借りしますね。」

詩意は嘔吐きながらそういうと口に手を添えながらヨロヨロと部屋を出ていった。

「毎回そこまで言われてしまうと流石に照れますね。私の能力なんか誰にでもできるはずなのに。とりあえずこれでどんな風にするかは決まったのでタイトルも任せてください。」

少し卑屈になりながらも津雲がそういうと詩意は部屋へ戻ってきた。

「声にした感情を影響元と絡め合わせながら視覚化して共有できる。電気信号として送られた音だとしても共有が可能。人の頭に干渉できる時点でとんでもないですよ。私あの頭に入られる瞬間が苦手です。」

詩意は津雲の能力内容を再認識すると再び口を押さえ始めた。美意はそれを見ながらニコニコと楽しそうな表情をする。ディスプレイに視線を移すと津雲との会話を再開する。

「誰にでもできるというのは人間のことをかいかぶりすぎだよ。素直で真面目な君だから感情そのままの色で場面を想像できているんだ。なにより君はこの能力のために自分なりの感覚的な言語と日常風景を誰よりも研究しているだろう。そこらの著名なアーティストがそれを使っても君には敵わないと思うよ。」

美意は普段とは違う雰囲気で真摯に津雲のちょっとした自虐に向き合った。言われた本人は少しハッとした様子で驚いている。飲んでいた珈琲を少しでも飲んで落ち着けと言わんばかりに詩意に渡した美意は再びいつものへらへらとした雰囲気を取り戻した。詩意はもらった珈琲を苦しそうながら啜っている。

「間接キスだよ。これで回復しただろう。」

美意が小馬鹿にするように言う。

「おじさんが高校生みたいなこと言わないでくれますか。」

そういうと詩意は呆れたように再び珈琲口に含んだ。これを聞いていた津雲は先程の驚かされたような顔ではなくにこやかで幸せそうな顔をしている。

「よし。それじゃ今日はこれでいいかな。そうだ。これから僕の奢りで焼肉なんだけど津雲ちゃんもどうかな。」

美意が仕切り直すように元気よく顔の前で手を叩いた。そうすると津雲は嬉しそうに誘いを受けた。その後店の場所と時間を確認すると通話アプリを閉じた。美意は軽く背伸びをした後写真機を再び首にかける。

「そうだ。服貸してください。スーツで焼肉は気が引けます。」

詩意が服のボタンを外しながらそういうと美意は収納の中から適当な服のセットアップを選び詩意に投げる。着替え終えるとすぐに二人は部屋を出ていった。


ただの恋愛小説家とただのアシスタントのただの日常。この夜に二人はただの芸術家志望と夜の街を楽しんだのだった。

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B 美意 @lovebe1208

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