気の所為か、そうでないもの

なか

気の所為か、そうでないもの




中学3年生の夏。


周りの流れと同じように、俺もいわゆる受験生だ。

今は日々、受験勉強に勤しんで…いるわけでもない。

テキストを開いても、気が付くとぼーっとしたり見るともなしにスマホを弄っている。

集中力がカケラもない。


「暑いしな〜」


誰にともなく独り言を呟く。

暑いだけが理由ではないことを本当はどこかで気が付いている。

でも、あえてそれは見ないふりをする。

だってそれは…




今日もどこかから蝉の声が延々と聞こえる中、暑さにもめげずに学校へ来ていた。


次の授業は移動教室。友人と1階の端にある教室へ移動して、始業のチャイムまで雑談していた。


「うわっ、置いてきた」


会話の中で、今日提出の課題を自分の教室に忘れてきたことに気が付いた。

慌てて教室に戻り、課題を手に持った時には始業まで残り僅か。急いで2階の自分の教室から授業のある教室へ向かう。

その途中、階段を降りる手前でふと近くにある空き教室の扉が目に入った。扉の窓は、暗い教室を背景にまるで鏡のように俺の上半身から上を映し出していた。

窓の中の、時間を気にして焦った目をした自分と目が合う。


「え……」


思わず声が漏れた。

自分の姿と半分重なるようにしてもう1人、人の姿が見えたからだ。

周りの教室は普段使われておらず、始業直前の今は誰も居ないことを自分で目にしながらここまで来ている。

そんな自分以外に誰もいない事実が頭の中で流れるまま、自分と重なる人の姿を目に映す。

その姿は全体的に白くぼんやりとしていて、自分とは違い肌と服はまるで白壁のように白い。

俺の意識が白い人の姿を捉えた途端、その人物が口の端を吊り上げた――


次の瞬間、俺は走り出していた。

狂ったように鳴る心臓と妙に耳につく呼吸の音を聞きながら、気が付いた時には移動教室の前に立っていた。

一度だけ深呼吸をしてから、チャイムの鳴る中扉を開く。

扉を開ける手が震えていたことを押し隠し、騒つく教室の中に紛れ自分の席に着いた。


「課題あったか?…どうしたんだ?」


隣の席で声をかけてきた友人が、反応の無い俺を怪しむように顔を覗き込んできた。


「いや…何でもない」


一瞬さっきの出来事を話そうかと思ったが、白い人物の笑った顔が妙に恐ろしく蘇り誤魔化すことしかできなかった。




あれから数日――

あの日以来、白い人物を見ていない。一度だけあの空き教室の前を通ったが、扉の窓に映ったのは自分の姿だけで変わった様子はなかった。


「見間違いだったのかな…」


学校から帰ってきてリビングの扉を開けると、何気なく壁際に飾られた写真が目に入った。

そこにはまだ小学生だった自分と、その隣で朗らかに笑う爺ちゃんの姿が写っていた。公園に遊びに行ったときの写真だっただろうか。写真に写る自分も楽しそうな顔をしている。


知らず知らず溜め息が出た。

今年の夏の初め、まだ梅雨が明けきらないどんよりとした雨の日。

爺ちゃんは旅立っていった。

今でも爺ちゃんの声を思い出すことができる。いつも当たり前のようにそばにいる気でいたが、そんなことはないのだと突きつけられたようだった。

もう一度溜め息を吐くと、写真から目を逸らした。




それから数日後。

教室にいるときに、後ろから友人に声をかけられた。離れた所にいる友人の方へ体を捻って振り返る。


「え…」


振り向きざまに、視界の端で人ではない何か黒い塊が見えた気がした。

慌てて振り返り黒い塊の見えた先を見るが、誰もいない机と外へと繋がる窓があるだけで、黒い塊どころかそれに近いものも見当たらない。

気のせいだったかと首を捻ると、友人の方へと改めて顔を向けた。




それからまた数日後。

教室を出ようと廊下へ首を巡らせたときだった。

視界の隅に黒い塊が映る。

急いで振り返るが、離れた所にクラスメイトがいる以外は机が並ぶだけで見えた所に黒い塊は無い。


また、見間違いか……


昨夜寝るのが遅くて、寝不足だったからだろうか。そう考えると、すぐにその出来事は頭の中から消えていった。




しかし、それから暫く経った頃。

また振り向きざまに、廊下の隅にあの黒い塊が見えた気がした。

すぐに振り返っても、当然そこには何もない。


黒い塊はいつも同じような形をしていて、大きさは腰の高さくらいで、人がしゃがんでいる姿をシルエットにしたようなずんぐりとした感じだ。

とはいえ、見かけるのはいつも振り向きざまの一瞬のことで、近くの物の影を見間違えただけなのかもしれないが…。




その後も、教室の隅であったり窓の外であったりと学校の至る所で、まるで忘れた頃を見計らったかのようにその黒い塊は姿を表した。

何度見てもはっきりとしたことは何もなく、釈然としない気持ちで首を捻ることが続いた。




初めに白い人物を見てから数ヶ月が経っていた。

最近は受験生らしく勉強に集中できるようになってきたからか、希望していた学校への受験もなんとかなりそうなくらい成績が落ち着いてきた。


志望校を変えずに済みそうで良かった。

そんなことを考えながら夕暮れに染まる学校からの帰り道を歩いていると、近くから子供たちの笑い声が聞こえてきた。振り向くと、隣の公園で小さい子供たちが遊んでいる姿が見える。


そういえば俺も小さい頃、この公園で爺ちゃんと遊んだことがあったなぁ。

朧げながらも懐かしい記憶が蘇り、思わず微笑んで公園から帰り道へ顔を向けた。


「っ!」


首を振った視界の中に、今まで見たことの無いものが映り込んだ。

それは大人ほどの背丈で、全身に白い布のような物を身に纏い、まるで照明が当っているかのような白い光を帯びていてた。

慌てて振り返るが、そこには何も無い。

公園で遊ぶ子供以外は周りに人の姿も無く、夕焼けで橙色に染まる景色に白く光る物は何も無かった。


また…見間違え?

心臓が大きく脈打つが、何故だかそれが嫌な感じではなかった。




公園で白いものを見てから数ヶ月が過ぎた。

気が付くとあの日以来、黒い塊も見ていない。


その日は卒業式だった。

身支度を終えリビングにいると、ふと爺ちゃんとの写真が目に入る。

爺ちゃんとまともに会話をしたのはいつが最後だっただろうか…。


爺ちゃんが亡くなる1年程前。

些細なことで爺ちゃんと喧嘩をしてしまった。理由は、俺がスマホを弄ってばかりで人の話を全く聞いていなかったことを注意された、そんなしょうもないことだった。俺が悪いのに素直になれず、何となく爺ちゃんと口を利かなくなってしまった。謝るきっかけが掴めないまま爺ちゃんが入院し、俺が学校に行っているときに息を引き取った。

爺ちゃんが居なくなったのがついこの前のような、随分と前のような不思議な感覚だ。



…今日、卒業式なんだ。



心の中でそっと爺ちゃんに語りかける。



今までありがと。…行ってきます。



写真の中の爺ちゃんが、そっと微笑んでくれた気がした。

照れ臭くなって微笑むと、俺は学校へ向かった。





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