番外編 鏡の向こう
鏡に、さかさまに映るあなた。似た者同士なのに、どんどん遠くにいってしまう。私はあなたが好きなのに。
――お願い、どうか私を見て?
***
「……あっつ」
そんな声と共に蹴飛ばされた布団から冷たい空気が入ってきて、頭が起きる。すると蹴飛ばされた布団は、再度引っ張り上げられて、私はその中にすっぽりと埋まってしまった。
「うーん、あついよー……」
埋もれながら声を出す。私は目の前の人に抱きついている腕の片方を動かし、布団をおいやる。
「うっ……」
抱きついている人物が少し唸る。布団がなくなったことで感じる外の空気は涼しい、いや、温い。
そりゃそうだ。夏の籠った部屋の空気が涼しいわけがない。それなのに、私はぎゅっと目の前の人にさらにくっつく。
「うわ、あっつ! あんたらよくこの部屋で寝れるわね。しかもそんなくっついて」
バン、と大きな音を立てて扉が開くとともに、母親が苦言を呈する。
「こんなとこで寝てたら死ぬよ! ほら、早く起きなさい二人とも!」
母親は私と抱きついている人物を両手でゆさゆさ揺らして起こすと、扉を開けたままリビングのある下の階へと降りて行った。
「うーん……よい、しょ!」
「うあ、びっくりした」
私はその人の腰に腕を回しながらぐるんと体を起こし、お腹の上に乗っかった。
「えへへ。おはよ、
「ん。はよ、ねぇね」
私がおはようと呼びかけ、私をねぇねと呼ぶその人物は、私と同じ顔をしていた。
***
洗面台で朝の身支度をする。鏡には、いつも同じ身長の同じ顔が二つ並んで写る。
私、
とはいっても生きてる時間に差はないし、どっちがどっちだなんて私たち以外には見分けはつかない。親でさえ間違えることは少なくない。
唯一パッと見で分かるのは妹は髪が腰くらいまでの長さで、私は肩くらいまでしかない。だから大体の人は長い方が結衣、短い方が結愛と見分ける。
「あ、結衣、制服のリボン曲がってる。直すから、じっとしてて」
「んー」
「……よし。髪の毛まとまった?」
「ん、大体は」
「よしよし。時間もないし、学校行こ」
私は二人分ある学校の鞄の片方を妹に持たせ、手を引いて玄関へと向かう。リビングを通る途中、「いってらー」と母親の気の抜けた声が聞こえる。私はその声に「いってきまーす!」と返すと扉を開けて外へ出る。
「最近ほんとに暑いよね。先週まで冬服だったなんて嘘みたい」
「んー」
日差しが強く、空には雲が少ない。少し湿気が強く蒸していて、朝の澄んだ空気は微塵も感じられない。私が握る妹の手は全く力が入っておらず、まるで抜け殻みたいだった。
歩く通学路には、学校に近くなるにつれて夏服の姿が多くなる。
「……ねえ結衣、まだ寝ぼけてるでしょ」
「ん……」
さっきから話しかけても反応が鈍い妹に少し不満を垂らす。それでも何も返してこないからちょっとむすっとしてしまう。
「もう。そろそろ学校着くんだから、頭起こしてくださーい。もう学校見えてるよ?」
「んあー痛いって……」
私は妹の頬を指でつねって伸ばす。それなりに痛くしたから少しは頭が起きるはず。
「あ、結愛ー!」
校門の辺りでそんなことをしていると、私のクラスメイトで友達のひなちゃんが後ろから手を振りながら近寄ってきて、私に話を持ち掛ける。妹は面識がないから、他人事だといわんばかりに流し目で見ている。
「おはよー、ひなちゃん」
「おはよ! あそう、ねえねえ……」
私は妹の手がするっと離れ、そのままどこかにいってしまうのを感じた。妹の方を見ると、校門を通り学校へと入っていった。
「あ……私、もしかして悪いことしちゃったかな」
「ううん、ひなちゃんは悪くないよ。結衣、私以外と話したがらないから。もう、あんなそっけない態度取らなくてもいいのにね」
私は下駄箱で靴を履き替えようとしている結衣をちらっとみて、少し寂しさを覚えた。
***
妹と私のクラスは別々。噂によると双子は同じクラスにならないとか聞いたことがある。私たちは小学生の時から高校二年生の今まで一緒のクラスになったことがないから、信憑性はあると思う。だから私は、クラス分けのことを意識する度この制度を作った人を良く思わない。
「結衣に会いたいな……」
さっきひなちゃんと話してた時のするっと手が離れていってしまう感触を思い出す。まるで妹がどこか遠い場所に行ってしまうような気がして、ものすごく不安に感じた。そんなの杞憂だし、大袈裟なのはわかっているけど、あのまま手を掴んでおけば、もう少し長く一緒にいられたのかな、とか色々考えてしまう。
「ん? もう妹さんのこと恋しくなっちゃったの?」
ホームルームが始まる前のざわついた朝の教室でぽつんと座っていると、トイレから帰ってきたひなちゃんが話しかけてきた。他の子とも話してたみたいで、何人か一緒だ。
「隣のクラスよね、確か。あんまり知らないけど、たまに廊下で結愛さんと同じ顔をした人を見かけるから、外見だけ知ってる」
「なんかいい噂聞かないイメージ。素性のわからない、ミステリアスな感じってのはよく聞くけど」
後ろにいたおさげの子とポニーテールの子が口に出す。
ミステリアス、とはまたちょっと違う気がする。単に人付き合いが苦手な上、私以外と関わりたくないだけ。
私とは正反対、昔から。口数も少なくて、表情も固い。ずぼらで、いつも私が世話を焼いている。それは自分が好きでやってはいるけども。けど私といる時だけわかりやすく嬉しそうな顔になる。それがすごく可愛い。他の誰にも見れない、私だけの特権で、少し自慢。姿だけ一緒で、中身は全部違う。私よりも可愛くて素敵なそんな妹が、私は自慢で。憧れで。好きで。
「あはは……」
私は二人の言葉を聞いて笑ってはみせるが少し傷ついてしまった。
「君たちー? 本人の姉の前でそんな話しない!」
それに気づいたのかひなちゃんが腰に手を当ててダメ出しをした。「はーい」と二人がそれに合わせて返事をする。
「いいんだよ、別に。結衣、そういうの気にしないし」
少し嘘をついた。確かに自分のことは何を言われようが気にしないかもしれないけれど、私のことになると物凄く嫌な顔になる。
「はーい、そろそろ座ってー。ホームルーム始めますよー」
ガラガラっと教室の扉が開いて、担任が教卓に立つ。それを合図に、ぞろぞろと生徒たちが自分の席に帰り、次第にざわざわした教室に静けさが満ちる。
「起立、気をつけ――」
日直の合図と共に、この日の始まりを告げる。私の寂しさなんて知らないふりをして、一日が流れ始める。
***
生まれた時のことは覚えてない。お母さんのお腹の中にいた時の記憶があったらいいななんて思ったりもするけど、私にはない。
あるとすれば、物心ついた時から、隣に結衣がいた。何をするにも、結衣がずっと一緒だった。
双子で、同じ日に生まれて、同じだけの時間を過ごすその中で、私は姉だから、結衣のお手本になろうとした。
いつでも結衣の手を引いて、率先して前に立って結衣を引っ張ろうと頑張った。
そのおかげか、結衣は私をねぇねと呼んで、私の真似をするようになった。私が左手で色んなことをすると、結衣も左手で色んなことをした。そのおかげで、結衣と私は同じ左利きになった。
私の好きなものは結衣の好きなものになったし、私が嫌いなものは結衣も嫌いになった。流石に、好き嫌いくらいは自分で決めてもいいのにと思ったけど、結衣はそれがよかったみたいだ。
小学校に上がる時、結衣と一緒にランドセルを選んだ時も、私が選んだものを見て、結衣が「これがいい」と言った。結衣とお揃いが嬉しかったし、結衣もお揃いなのを嬉しそうに背負っていた。
小学校に上がって、初めて結衣と離れ離れになった。クラスが分かれて、初めて一人で知らない世界へ入れられた。
入学式の時、最初泣いてしまったのを覚えている。初めて一人になって、とても寂しかった。でも、結衣はもっと寂しい思いをしてるだろう、姉なのに泣いちゃダメだと自分に言い聞かせて無理やり泣き止んだ。式で結衣を見つけて、ずっと泣いているのを見て、あとでいっぱい頭を撫でてあげようと思った。一人でよく頑張ったね、って抱きしめてあげようと思った。
帰る時間になって、結衣を迎えに行った時、結衣はようやく泣き止んで、笑顔になった。あの時、私も心の底から安心した。もう会えなくなっちゃったと思ったから。少し泣きそうになったのを覚えている。
帰る時、私は結衣に伝えた。「がっこうでは、ずっとねぇねがついていられるわけじゃないの。だから、ゆいがひとりでやらないといけないんだよ」
結衣はそれを聞いて「やだ」と言った。そうだよね、寂しいよね。でもそれはできないんだとはっきり言わなきゃと思い、初めて私は結衣を叱った。本当は励ますつもりだったのに、少し言い方が強くなってしまった。「だめだよ! がっこうはそういうばしょなんだよ! だからひとりでもできるようにがんばるの!」そういうと、また結衣は泣き出してしまった。
それでも結衣は私の言ったことを一生懸命守ろうとしてくれた。最初の一週間は泣かない日はなかった。だから私は休み時間や、会える時があればすぐに隣のクラスから飛んでいって、ずっと一緒にいた。そのうち、慣れていったのか結衣は泣かなくなっていった。
結衣は真似をするのが得意だったから、周りの人の真似をして頑張ったみたいだった。クラスのみんなは右手で文字を書いたり箸を持ったりしてたから、結衣は右利きに直してた。一人で頑張れていたのが嬉しい反面、共通点がなくなってしまったのが少し寂しかった。
私は今まで結衣に対してだったお姉ちゃん気質がクラスのみんなに対して出て、みんなにお節介を焼いているうちにクラスに馴染んでいった。隣のクラスでは、結衣は後ろからついていくタイプだから、積極的に仲良くしようとできなくてあまり馴染めていないみたいだった。この頃から、結衣と正反対になり始めた気がする。
一学年二クラスくらいのそれほど大きくない学校だったから、私は学校のみんなと仲良くなれた。そのおかげで、結衣はみんなに受け入れられた。結衣がいたし、みんなと仲良くできたから、小学校は楽しかった。
けれど、中学に上がると、他の小学校から入ってきた人たちとも同じ環境で過ごすことになって、周りの人達から「双子なのに全然違う」とか「比べられて可哀想」とか「なんで双子なのに姉と妹でこんなに違うんだ」とか、色々言われるようになった。
最初は結衣が悪く言われるのが我慢できなくて、そういったことを言う人達に私は強く言い返していた。けれど、言い返す度に、結衣はあまりいい顔をしなかったから、私はぐっと我慢することにした。
その時ぐらいからだった。結衣が少し遠く感じるようになってしまったのは。ずっと隣にいるはずなのに、どこか離れたがっているような、そんな雰囲気を感じた。手を握っても、握り返してくれなくなった。
しばらくして気づいた。結衣は自分が隣にいることで私が悪く思われると思ってる。だから私から離れようとしている。そんなの結衣が悪いわけじゃないのに。気に病む必要なんかないのに。私は結衣と一緒にいたいのに。でも、何故か私は言い出せなかった。
そのうち、結衣がよそよそしい素振りを見せるようになっていった。結衣は自分のことをあまり好きになれないみたいだから、自分に嫌気が差してるのかな、と最初は思っていたけど、薄々違うと感じた。
そしてある日気づいた。結衣は私のことが好きなんだ。姉妹としてでの好きではなく、恋愛対象としての「好き」。そう考えると、色々辻褄が合った。よそよそしい態度も、離れようとしているはずなのに離れないのも。なにより、結衣なら私を好きになってもなんらおかしくない、そんな確信があった。
私はものすごく頭の中がぐるぐるした。もしこれが本当に好意なら、私も結衣を見る目が変わってしまう。女の子同士だし、姉妹だし、どうすればいいのかわからない気持ちと、まんざらでもない気持ちが混ざって顔が赤くなった。
落ち着いて頭の中を整理していくと、段々と私も結衣のことが好きなんだと気づいていった。ドキドキする心臓が止まらなかった。結衣が突然よそよそしくなった理由がわかった。
この気持ちを伝えるべきか、考えた。でも、結衣は結衣なりに色々悩んでいるみたいだったから、結衣が自分の考えがまとまるまで待ってみることにした。
高校に上がっても、変わらなかった。周りの人達から何か言われるのも、私たちの関係も。
いっそ、結衣が私の気持ちに気づいてくれれば――
「結愛ー? んー……ゆーあー!」
「はいっ!?」
いきなり大声で呼びかけられて、びっくりして振り返る。そこにはひなちゃんが不満そうな顔で立っていた。
「何ぼーっとしてんの、もうお昼だよー?」
時計を見ると、確かにお昼休みの時間だった。授業が終わったのに気づかなかった。
「あ、ごめん。ありがとうひなちゃん。お昼ご飯食べてくるね」
「たまには一緒に食べない?」
「あー……いつかね」
私は笑いかけてその場を後にする。正直、お昼ご飯は妹以外と食べる気はなかった。
***
昼ご飯は大体中庭のベンチに座って食べる。ちょうど日陰になるところで、暑い今日でもここは比較的涼しい。隣のクラスに行って居眠りしていた妹を連れ出して一緒に行く。ここは人気がないのか、誰にも知られていないのか、いつも妹と私以外の人を見たことがない。
「いただきます」「いただきまーす」
お弁当の蓋を開けて、手を合わせて食べる為の動作をする。
「ねぇねってさ、他の人とは食べないの?」
不意に妹が聞いてきた。弁当の中身を口に入れながら聞き返す。
「んー? どうして?」
「いや、いっつも私とお昼ご飯食べてるから、他の人とは食べないのかなーって」
「えー、他の人と食べちゃったら結衣、ひとりぼっちになっちゃうじゃん」
「え、友達いないの馬鹿にしてる?」
「違う違う。だって結衣、私といるときに他の誰かがいるの嫌がるでしょ」
「それは……そうだけど。私放っておいて他の人と食べればいいのに」
「何言ってるの。結衣と食べたいのに結衣どっか行っちゃったら意味ないじゃん」
「……そっか」
私が一緒に食べたいのは確かにそうだし、一番の理由ではあるけど、結衣も私と食べたがってるから、って言ったらお節介って跳ね除けられちゃうかな。
私は結衣のそばにいたいし、結衣が私と離れて寂しそうな顔をするのを見たくない。
「最近どお? クラスにうまく馴染めてる?」
少し踏み込んだ話をしてみる。明らかに妹の顔が曇る。
「……馴染めてたら隅っこで寝てないと思うんですけど」
「もう、そういうとこだよ。……また周りの人からなんか言われちゃった?」
隣のクラスにも、良くない噂というのは流れてくる。それが妹のものだと、物凄く悲しくなる。姉と比べた、妹が一番傷つくものであればなおさら。
勝手に比べないでよ。妹と私は姉妹でも、双子でも、一人の人間なのに。別人なのに。そんなことを言った人に怒りたくなる。
でも、妹はそれを望んでない。せめて辛いよ、悲しいよって私に泣きついてきてくれればいいのに、迷惑をかけるからって必死に我慢してる。そんなことないのに。
「いや。別になんもないよ」
「……そっか。ならよかった。あ、でも。せめて普通に話せる人くらい作ってください」
誤魔化された。暗い顔しながら言っても説得力ないよ。でも、それ以上踏み込むのはやめた。自分から話を振っておいてひどいかな。
「いいよ別に。私にはねぇねがいるし」
「そのねぇねが、作って欲しいって言ってるんですー。ほんと、困ったお姉ちゃん子だ」
「まあ、ねぇねが言うなら」
「よろしい」
その後、二人で手を合わせて「ごちそうさまでした」と口にする。今日のお弁当、自分から美味しくなくしちゃったな。ごめんね、結衣。
「さてと、帰ろっか。午後の授業は寝ないでね」
「多分無理」
妹の背中に手をパーでドンと叩きつけた。
***
午後の授業が終わり、下校時間になった。すぐに自分のクラスを飛び出て、隣のクラスに行く。
「あっ、ねぇね」
顔が綻んだ妹が待っていた。早く帰りたかったんだろうなーって伝わる。
「ごめんお待たせ。ちょっとホームルーム長引いちゃった」
「ううん。私も今終わったとこだし、大丈夫」
「そっか。さ、行こ?」
妹の手を握り、そのまま手を引いて教室から連れ出す。
***
学校の外に出て、校門に差し掛かった辺り。
「おーい、結愛ー!」
後ろから手を振って走ってくる人がいる。ひなちゃんだ。
それを見て妹が繋いでる手を離そうとする気配を感じ、させまいと妹の手をぎゅっと強く握り直す。
「今度は逃さないよ?」
私はにっこり微笑みながら小声で朝のことを不満に思っている旨を伝える。妹がわかりやすく不満そうな顔をする。
「あっ、ひなちゃーん。どうしたの?」
「いきなり呼び止めてごめん! 明日さ……」
どこか行きたい、早く帰りたいオーラを妹から受けながら、ひなちゃんと話をする。ダメですとさらにぎゅっと妹の手を握るとしゅんとなって大人しくなった。少し可愛くてきゅんとなってしまった。
「そういうことだから、結愛、明日の放課後手伝ってくれない?」
「しょうがないなー。いいよ。友達のためだもん」
妹といる時間が少なくなってしまうが、友達が困っているならしょうがない。
「ほんと……! やったー! ありがとう、結愛! あ……妹さんも、ごめんね? それじゃ、また明日ねー!」
私が無理矢理その場に留まらせたせいで険悪なムードを放っている妹を見て、ひなちゃんが申し訳なさそうに謝って、その後手を振りながら校舎に消えていった。なんかごめん、ひなちゃん。
「なんか、嵐みたいな人」
「ひなちゃん、元気でしょ。一緒にいると楽しいよ? 結衣のこと話したら『いい子だね』って言ってくれたし。結衣も仲良くなれると思うよ?」
「いやいいよ私は……」
妹はああいう人は苦手だとでもいうような顔をする。
「もう……それで、なんで朝といいさっきといい、逃げようとしたの」
意地悪く聞いてみる。ぎゅっとまた手を握り直す。
「友達との時間を邪魔したら悪いし」
「だから、結衣と帰りたいのに結衣がいなくなっちゃったら意味ないでしょー。まったく、変なとこだけ気使うんだから」
私は前を向き直して歩き出す。手を引いてるとはいえとぼとぼとちゃんとついてくる妹がいじらしくて申し訳なくなった。意地悪しすぎた、あとで甘やかして慰めよう、そう思った。
***
「布団もういらないんじゃない?」
「だーめ。流石に一枚も掛けないのは風邪ひいちゃう。ブランケット涼しいからいいでしょ?」
もう外が真っ暗になって、部屋のカーテンも全部閉まっている。夏は陽が落ちるのが遅いから、寝る時間が早く感じる。
「よし。ほら、こっちおいで」
私はベッドに寝転がって手を広げる。そこに吸い込まれるように妹がベッドに入る。
「ん……」
「はい、捕まえた。ぎゅー」
妹が私の腕に包まれる。もふもふで、ふわふわで、あったかい。間近でみる妹の端正な顔立ちは、私に同じ顔がついているのが信じられないくらい綺麗。そうだとしても、多分私より綺麗なんじゃないかな。そんなこと言ったら妹に怒られるけど。
妹からする優しい香りは、心を落ち着かせて、私を眠りに誘う。
「結衣の髪、長くて綺麗。気持ちいい。私も伸ばそうかな」
「……こうするから、暑いんじゃないの」
「だってこうしないと寝れないでしょ? 結衣も、私も」
子供の頃から同じベッドで寝て、毎日妹に抱きついて寝ていたら、妹を抱いてないと寝れなくなった。妹も私に抱かれてないと寝れなくなった。
昔二段ベッドを親から提案されたが、二人とも拒絶した。
「あー結衣気持ちいい……もふもふ……癒されるぅ……」
少し頭の位置を下げて、妹の胸に顔をすりすりする。自分でも蕩けた顔をしているのがわかる。
「もふもふって、私が太ってるって言いたいんですかね」
「そんなこと言ってないでしょー。それに体型私と変わんないじゃん。……お、ちょっとドキドキしてる?」
妹の胸に耳を押し当てて心音を聴く。トクトクと普通より早く脈を打っている。等間隔の音が心地いい。
「してないよ」
「ほんとー? ちょっと早くない?」
「気のせいでしょ。十何年これで寝ててドキドキする方がおかしいって」
「ふふっ、確かに。……あーちょっとそっち向かないでよー」
妹は私の腕の中で寝返りを打つ。
ドキドキしてる、それは私もだった。
結衣の「好き」と、私の「好き」は、同じだよ。いっそ仕返しだとでもいって、私の胸にも耳を当ててくれれば、おんなじ気持ちなのがわかるのに。背中越しに妹の心音を聴きながら思う。
「もう寝るんだからそんなに騒がないの」
「むぅ、お姉ちゃんみたいなこと言ってる。お姉ちゃんは私なのに」
「同い年でしょ」
「そうだけどー、ちょっと不服」
子供みたいに頬を膨らましてしまう。
「……明日さ、私学校早く行くし、帰るのも遅くなっちゃうから。一緒に聞いてたよね? 帰りにひなちゃんと話してたの」
「あー、全然聞いてなかった」
「もう。まあ別に聞かなきゃいけないわけでもないし、いいけどさ。とにかく、明日バラバラの登下校だから。あ、お昼も一緒に食べれないかも。だから寂しくなんないでね」
「……別になんないよ」
「嘘。結衣わかりやすいもん。今の時点でもう寂しがってるでしょ?」
妹の頬を人差し指で突っつく。意外にも無抵抗なそれから、思った以上に寂しがってることに気づく。
そうだよね。少しも離れたくないよね。私も一緒だよ。ひなちゃんには悪いけど、断ればよかったかな。でも、困ってる人は流石に見過ごせないや。ごめんね。
「そんなわけないでしょ。それに私、学校じゃ何考えてるかわからないで有名なんだけど」
「えーそうかな。こんなにわかりやすい人いないと思うけどな」
「それはねぇねだからでしょ。ほら、もう寝ようよ」
「そうだね。それじゃ……おやすみ、結衣」
「うん。おやすみ、ねぇね」
背中越しに言葉を交わして、目を閉じる。妹から感じる温もりは、夏なのに全く苦じゃなかった。
***
「それじゃあ、行ってきまーす!」
「ん、いってらー」
隣が寂しいまま、親と挨拶を交わして家を出る。
「……」
静かだった。強い日差しだけが朝をうるさく照らす。妹が隣にいないだけで、こんなにも空虚になるものか。
いつも妹の手を引いて学校に行っていたせいで、手が寂しい。鞄の持ち手を握ったり、スカートの裾を掴んだり、忙しなくなってしまう。朝の反応の悪い妹に話しかけるのがどれだけ私が好きだったか気づいた。
今日は私が起きるタイミングで妹も同時に起こされたから、そのまま一緒に登校するって連れてくればよかったかな。
「お、早いね結愛。おはよう」
「おはよーひなちゃん」
教室に入ると、ひなちゃんが待っていた。教室にはまだひなちゃん以外に人はいない。
「なんか元気ないね。あ、妹さんがいないから」
ひなちゃんが納得したように頷く。
「もー、そうだけど……」
「結愛妹さん大好きだもんねー。まあ朝は話せる時間余るくらいには早く終わるから、安心しなよ。それより、早く行こ? 妹さんに会う時間無くなっちゃうよ」
「あ、ちょっと待ってよ!」
教室を出るひなちゃんを追って教室を飛び出る。
***
「はぁ……あそこまで力仕事だったとは……」
「まあ荷物運びだからねー」
手伝いから帰ってきて、自分の学年の廊下を歩く。ひなちゃんは疲れ果てた私を見て苦笑いしている。力仕事なら、見るからに非力な私は人選ミスなのではと思ったが、今言うのはずるいからやめた。
「それにしても、意外と時間かかちゃったねー。妹さんと話す時間ある?」
「まあ、話すくらいなら……」
「私の姉を馬鹿にするなって言ってるの!」
大声が聞こえたその方向を見る。そこには私の妹がいる教室があって、そこから聞こえた今の大声は、妹のものだ。
「結衣っ!」
「待って!」
飛び出そうとする私の腕を掴んで、ひなちゃんは止める。
「いきなり入ってったってどうにもならないよ。何があったのかとりあえず見ようよ」
「う、うん。ごめん……」
私は俯いて、暗い顔をしてしまう。教室の扉についている小窓から中を覗き込むひなちゃんを見て、顔を上げて私も覗き込みに行く。
「私のことなんてどうでもいい。でも姉を馬鹿にすることだけは許さない」
教室の中では、妹と妹のクラスの人の誰かが口論になっていた。その人は、明らかに妹に嫌味たらしく突っかかっていた。
「謝ってください、今すぐ」
「はぁ? なんで」
「悪いことをしたら謝る。幼稚園児でもわかりますよ」
「馬鹿じゃないの? 何も悪いことしてないのになんで謝んないといけないわけ?」
「っ! ダメ!」
「あ、結愛!」
結衣がその人に近づき始めて、私はいてもたってもいられなくなった。ひなちゃんが止めようとした時には、もう扉に手がかかっていた。
「――結衣っ!」
ガラガラと勢いよく扉を開けて、教室に飛び込んだ。そのまま妹の身体に抱きついて、目の前の嫌な人から離した。
「結衣、大丈夫? 何があったの? 教室の外まで声聞こえてきたよ?」
「……別に、何もないよ」
「おお、愛しのねぇねが助けに来てくれたじゃん。よかったね、ねぇねがいないと何もできないもんね」
妹を馬鹿にする言葉を言う口に私は怒りが収まらなかった。
「私の妹を悪く言わないでもらえますか。あと、妹以外がその呼び方で呼ばないでください」
妹を守るように抱きながら振り向いて、強く言った。圧をかけたから、その一言で、今までのうるささが嘘のように鎮まった。
「わかったよ、結衣。とりあえず、今は落ち着こ?」
妹を抱きしめて頭を撫でながら、傷つけないように言葉をかける。
「……うん」
腕の中で震える妹を落ち着くまで抱きしめていた。
***
お昼休みはひなちゃんの手伝いで妹と一緒にいられなかった。朝のことを思い出して一緒にいればよかったかなと後悔する。
時間が進むにつれて、妹への心配が大きくなっていった。最後の授業が終わって、下校時間になった。
「ひなちゃん、ごめん! やっぱり放課後、手伝い行くの断ってもいい?」
「あーいいよ。妹さんでしょ? 一緒にいてあげな。ごめんね、昼も一緒にいる時間奪っちゃって」
あっさり了承されたのに驚いて深く下げた頭を上げる。自分勝手に急に言い出したのに、許してくれると思わなかった。
「いいの……!? ありがとう! このお礼は絶対後で返すから!」
私はそう告げると隣のクラスへと一目散に飛び出した。
「結衣っ!」
扉を開けて結衣を迎えに行く。けれど、結衣は教室にいなかった。
「……」
朝口論になった悪い人と目が合ってしまって、少し睨んでしまった。私はそれを振り切って、学校の外に飛び出る。
「うわっ、雨!?」
かなり土砂降りの雨が、地面を打っていた。朝はあんなに晴れていたのに。
「結衣、折り畳み傘持ってないよね……」
結衣なら傘をささずに家に帰ってしまう、そう思った私は、鞄から折り畳み傘を引っ張り出して走った。風でまともに雨を遮れずに少し身体が濡れる。周りも気にせず走ったから、水溜りが跳ねて制服に飛び散った。ジメジメした纏わりつく夏の雨が、とても嫌に感じた。
「はぁ、はぁ……」
息を切らしながら、傘を畳む。家の前に着いて、急かすように扉に手をかける。
「……開いてる」
玄関にはバラバラに放り投げられたローファーが転がっていた。私はさらに心配になり雨に濡れた身体も拭かず自分の部屋に向かった。
おそるおそる扉を開けると、そこには髪が散乱して、その中でボサボサに短くなった髪の妹が俯いてへたり込んでいた。横にはハサミが落ちている。
「……! 結衣っ! 大丈夫!?」
最悪な想像をしてしまい、恐怖に駆られながら妹に駆け寄る。
「ふぇ……ねぇね……? どうして……?」
私を見つめる妹の目には涙が浮かんでいて、とても辛そうだった。
「結衣が心配で帰らせてもらったの。それより、どうしたの、この髪!」
「……自分で切った」
「どうして!?」
妹の手を掴んで切迫した顔で問い詰めてしまう。妹は少し黙ってから、口を開いた。
「もう、いらないかなって」
いろんな感情がごちゃ混ぜになってなにがなんだかわからなくなった。
「……っ!」
気づくと、私の左手は妹の頬にパチン、と音を鳴らしていた。不慣れなその叩き方は、妹の頬を痛く赤くしてしまった。
「なに言ってるの! そんなわけないでしょ! 少しは自分のこと大切にしてよ!」
気持ちが溢れ出て、止まらない。ポロポロと口からまとまらない言葉が出てきて、涙が出てくる。
「いっつも私のことばっかり考えて、自分のことは後回し、今日の朝だって、私のことで怒ってたんでしょ!?」
震えながら妹の手を握った。力が入らず、うまく握れない。
「私のために自分を犠牲にして、自分を失くさないでよ! 私はその髪型の結衣が好きだったのにっ!」
どんどん涙が零れてくる。
あれ、おかしいな。こんなに言うつもりじゃないのにな。優しく受け止めてあげたいのにな。言葉が溢れ出て止まらないや。どうして?
「私に迷惑かけるからって私から離れようとしないでよ、寂しいよ……。それで結衣が傷つくの嫌だよ! もう、結衣が傷つくの、見たくないよ……!」
ぎゅっと、妹の身体を抱きしめる。妹の身体は、雨に濡れていて、とてもか細く感じた。
「……ごめん、ごめんね、ねぇね……」
妹は私の身体に手を回し、慰めるようにさすってくれる。申し訳なさが胸の中で滲んで、痛くなる。
「私……ただ、ねぇねに、幸せになってほしいだけで……私が、隣にいると、ねぇねが、傷ついちゃう、から……」
たどたどしく言葉を吐く妹を見て、私はこの子の姉であることを思い出す。
こんなにも私のことを思ってくれる妹の前で、泣いてちゃだめだ。
「……もう、バカだなぁ結衣は。そんなの、自分が傷ついちゃうに決まってるじゃん。結衣はお姉ちゃん子なんだから」
私はまた泣き出しそうになりながら、微笑みかけた。妹が、私の真似をして笑えるように。
「私は自分が悪く言われるより、結衣が隣からいなくなっちゃう方が嫌だよ。だって、私の幸せは、結衣と一緒じゃなきゃだめなんだもん」
それでも、妹の涙は止まらなかった。泣き虫な妹だ、本当に。
「だからお願い。もう消えようなんて思わないで。ずっと隣で見つめてくれる結衣が、私は大好きだよ」
妹の目に浮かぶ涙を拭って、目を合わせて頭を撫でる。昔から妹が泣いている時は、ずっとこうしていた。今も変わらず。
「そんなの、そんなのっ……!」
すると妹は勢いよく私に抱きついてきた。びっくりして私は少し後ろに倒れてしまう。
「私もねぇねが好き! ずっと隣で見守ってくれるねぇねが大好き……!」
ぎゅっと、腕に力が込められた。涙がどんどん溢れてきて、私の肩を濡らしていく。せっかく拭ったのに、また目を赤くする妹が愛おしかった。
「頭撫でてくれるねぇねが好き! 抱きしめてくれるねぇねが好き! 本当は離れたくなんかない、ずっと一緒にいたい……!」
「大丈夫。ずっとそばにいていいんだよ。何か言われたって、私がいる。私が結衣を守る。何があっても、結衣のそばから離れない。だって双子でしょ?」
トントンと、妹の背中に手を置き、頭を撫でる。ずっとこのまま、妹が泣き止むまで抱きしめようと思った。
***
「これでよし、っと」
私は妹にタオルをかけて、椅子に座らせる。
「さて。バーバー結愛、何年かぶりの開店でーす」
椅子の上でじっとする妹の姿がお風呂場の鏡に写る。
今からやるのは、散髪だ。妹が荒く切ってしまった髪を整える。
中学の時は好きで私が妹の髪を切っていたから、髪を切るのは得意だ。今はもうやめちゃったけど、自分の手で妹を綺麗にできるのが嬉しかった。
「もう何年も経ってたんだね」
「だって中学の時だよ? これ用に買ったハサミも、こんなに綺麗に残ってる方が奇跡だよ。まあちょっと刃こぼれとかしちゃってるかもだけど、今はしょうがないよね」
洗面所の棚にしまっていた銀色のハサミは、今までどこに行ったのかわからなかったが、タイミングよく見つかってよかった。見つからなかったら文房具のハサミで泣く泣く切っていた。あれめちゃくちゃ切りづらい。
「それより、今日はお母さんとお父さん、帰ってくるの遅いから、それまでにはこの髪どうにかしないとねー。まったく、派手に切ったねぇ」
「……ごめん」
「大丈夫。そんな俯かないで? ……私も、やりすぎちゃったしさ。ごめん」
妹の右頬は、今もちょっと赤い。あんまり腫れてないみたいだから、よかったけど。本当に申し訳なくて、少し俯いてしまう。
「それよりも、ハサミで怪我してないだけ、安心した。最初何があったかと思ったよ、ほんと」
「……本当にごめん」
今度は妹がしゅんとなってしまい、暗い空気が流れてしまう。なんだかなぁ。
「もう……今日謝るの禁止ね? 悲しい顔するのも禁止。ほら、こっちの方が可愛いよ?」
妹の口に指を当てて、口角を無理矢理上げる。鏡に写る妹の笑顔は、やらされてる感満載だった。
「っと、お母さん達帰ってくる前に終わらせないと、何あったか心配されちゃう。ほら、前向いて? 始めるよ」
霧吹きをかけて、雨に打たれた髪を再度湿らせてから切っていく。ちょき、ちょきと髪を切られる妹は心地良さそうに目を瞑っている。
「それにしても、私と同じくらいの長さまで切っちゃうなんて、勇気あるよね。結衣の髪、腰くらいまであったのに」
「……一応、ねぇねの髪目指して切ったから」
「なるほどね。私になりたくて切ったと。どおりで」
妹のことだから、自分に嫌気が差して、姉みたいになれば、自分が消えてしまえると考えたんだろう。わかりやすい妹だ。
「まあ私を目指してくれたのは、ちょっと嬉しい。でも、この髪整えるとなると、もっと短くなっちゃうけど、ごめんね」
「ううん。私がやったんだし、ねぇねが謝ることないよ。それに、ねぇねがやってくれたなら、どんな髪型も嬉しい」
「もう、そんなに褒めても何も出ないよ? むしろ、テンション上がっちゃって失敗するかも」
「それはやめて」
ふふっ、と二人の笑い声がお風呂場に響く。鏡に写る顔は、おんなじ笑顔を並べている。まだ少し目が赤くなったままなのも同じ。
久しぶりに、結衣の笑顔を見たかも。なんだかんだ似た者同士なのは変わらないな。
「手先器用だよね、ほんと。散髪自分でやっちゃうなんて」
「そう? ありがと。でもこれ、結衣のために習得したんだからね? 結衣以外には、やる気ないし」
「え、そうなの?」
「そうだよ。結衣に喜んでもらいたくて、頑張って練習したんだから。……まあ、それでも床屋さんには敵わないから、やっぱり床屋さんでやってもらったほうがいいと思って、やめちゃったんだけどね」
私は自分で自分の髪を切ることは出来なかったから、床屋さんでやってもらっていた。その度に、自分の下手くそさを感じさせられて、やっぱりやめようとなった。本業の人と比べるのが間違っていたんだろうけど。
「……またやってほしいな」
「え? 嬉しいけど、床屋さんでやってもらった方が綺麗だよ?」
「ねぇねにやってもらうことに意味があるの」
真剣な顔で訴えかける妹を見て、私はとてつもなく嬉しくなった。
「……そっか。そこまでいうなら、また練習し直さないとね! ちょっと高いけど、ハサミも新しいの買い直さなきゃ、お母さんに相談しないとね。ねぇね、頑張るよ!」
張り切りながら、再度妹の髪を整えていく。
「……よし。こんなものかな。どう? 後ろ、机の上の鏡くらいしかなかったけど、見える?」
「うん、頑張れば」
バッサリ切ってショートカットになった妹は、今までとはガラッと変わっていた。
「すごい……」
「気に入ってくれたみたいでよかった。さっすが私、なんてね」
自分で言って照れてしまう。それを見て妹が笑う。
「似合ってるよ、結衣」
「ありがとう。ねぇねのおかげだよ」
「そう? それならよかった。……いいね、私も短くしてみようかな」
「だめ」
その言葉に反応して、妹は私の腕を掴んだ。
「だめ。ねぇねはそのままでいて。私はそのねぇねが好きだから」
初めてだった。妹がこんなに強く自分の気持ちを伝えてくれるのは。
「そっか、うん……! そうだね!」
嬉しい。妹が少しでも私に気持ちをぶつけてくれて。今にも泣きそうになるくらい。
「嬉しいな。結衣がこの私が好きって言ってくれるなんて」
「もう、恥ずかしいからいいでしょ」
「えー照れ屋さんだなぁ。……それじゃそろそろタオル外すね。このままお風呂、入っちゃおうか」
私は妹にかけていたタオルを結んでいる首元に手を伸ばす。
「ん……ちゅ」
巻いていたタオルを外して、不意を突いて妹の頬にキスをした。
「……へ? え? な、なにしてんの」
「ん? お礼のちゅー」
私は意地悪く笑顔で答える。妹は何が起こったのかわからなくて固まってしまっている。それがおかしくて笑ってしまう。
「もう、好きって言ったじゃん。結衣のこと」
「え? それは姉妹としての好きで……え?」
「はぁ。鈍感すぎ、にぶちん」
鈍い妹に、ちょっと不満を感じる。やっぱり本当の意味で伝わってなかった。
「それに、先に好きになったのは結衣の方でしょ。勝手に意識し出して、よそよそしくなっちゃってさ。それなのに、何も言わないんだもん」
「え、気づいてたの……?」
バレバレな好意がバレていたことに驚く妹に、少し呆れて腰に手をやる。
「だからいったじゃん。結衣はわかりやすいって。……もう何年も前から気づいてた。ホントは、結衣が素直になったら、オーケーしようと思ってたんだけどね。……まあ今日色々吐き出してくれたから、良しとしましょう!」
同じ気持ちであることが伝わったから、今はそれだけでいい。目の前に好きな人がいる、それだけで。
「……好きだよ。これからも、ずーっと一緒」
「……うん。ずっと一緒」
私の好きな人が好きな私になろう。それは、私にしかできないことだから。
同じ姿をしている私が、好きだと言ってくれる人がいるから。
ちぐはぐの鏡 霜月透乃 @innocentlis
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