08-15:「なるほど、退屈しねえな」

「どいつもこいつも! 俺を舐めるな!!」


 ギルは再び勢いよく避難船をハッチにぶつけた。


 グレネード弾で損傷していた事もあり、ハッチはその衝撃で開いた。そして避難船もぶつけた時の勢いのままで学園宇宙船の外へと飛び出した。


「良し、これでウィルハム宇宙港へ戻って……」


 そうつぶやいた瞬間だ。避難用宇宙船の各種ディスプレイが危険を表す赤い色の文字で埋め尽くされる。


 周囲の星々は夜の雲を通してみるように輝いていた。間違いない。これはリープストリーム内の光景だ。


 まずい……!


 ギルは咄嗟に避難船を学園宇宙船のデッキへ戻そうとした。


 学園宇宙船は恐ろしいばかりの勢いではるか彼方へ飛び去り、一瞬で点となりそして見えなくなった。


 それと同時に周囲を円筒形状に包んでいた雲も見えなくなる。あとにはごく当たり前の宇宙空間が広がっていた。


 しばしの間、ギルは呆然とするしかなかった。何が起きたのか、理屈としては理解できている。


 リープストリームに入った状態で、ディストーションエクステンダーDEXを装備してない宇宙船が外に出るという事は、惑星上の交通機関に例えるならば飛行中の飛行機から乗客が飛び降りるようなもの。


 運良く無事だったとしても、飛行機を追いかけてまた乗るわけにもいかない。そして空港まで戻ろうにも、その距離はとてつもなく遠いのだ。


 そして飛行機と違うのは、リープストリームに入った宇宙船は自由に止まったり引き返したり出来ないという事だ。


 リープストリームという超空間の流れにそって移動しているだけなのだ。


 しばらくの間。ギルはただ呆然とディスプレイを眺めているだけだった。


 誰もそんなギルに声を掛けない。当然だ。避難船に乗ってるのはギル一人。


「待て、おい待て! どういう事だ。なぜ学園宇宙船はリープストリームに入っていた? ここはどこだ? ウィルハム宇宙港は近くなんだろうな!!」


 通常の宇宙空間に事もあって、ディスプレイの危険表示はすべて消えていた。


 我に返ったギルは急いで避難用宇宙船の現在位置を測定する。特徴的な恒星いくつかの相対位置から、現在位置を判定する装置はすぐさまその結果を出す。


 ウィルハム宇宙港から約三光年。つまりギルに一番近い場所にいる人間は、三光年先という事になる。


「なんだと、おい……」


 何度何度もギルは測定をやり直したが無情にも結果は同じ。


 リープストリームに突入してしまえば数秒もあれば踏破できる距離だ。しかし近距離用の避難船ではそうもいかない。十数万年はかかる距離だ。仮にディストーションエクステンダーDEXを搭載していたとしても、近くにリープ閘門がないとリープストリームに突入できない。


 それは即ち誰かが救助に来たとしても、リープストリームを使って帰還できない事を意味している。


「どういう事だ! 畜生、誰のせいだ! 誰だ!!」


 ミロか! いや、そういえばあいつは最後に学園宇宙船がどうしたとか言っていた。俺を停めようとしていたのか?


 お袋か? 叔父貴か? あるいは皇帝である父グレゴールか!?


「くそ! 畜生! なんでだ! なんで!!」


 ギルは一頻り避難船の操縦席で暴れ回った。


 これまでならばギルが癇癪を起こせば、誰かが止めてくれた。たしなめてくれた。しかしここでは止めてくれる人間などいない。いるはずもない。


 彼に一番近い人間は三光年先なのだ。


 何時間暴れ回ったか分からない。


 疲れ切ったギルはまた操縦席に座り直して考えを巡らせる。これまでも事故などでリープストリーム中の宇宙船から放り出された例は有る。


 そのうち何件かは救出例、発見例があるが、それはいずれも奇跡的という形容が付く事例ばかりだ。


 たまたまリープ閘門が近くにあった。


 たまたま人が住める天体が近くにあった。その近くというのはせいぜい一天文単位以下。三光年などという距離では聞いた覚えがない。


 リープストリームからはじき出されたおおよその位置が分かれば、そこを通過するディストーションエクステンダーDEX装備の宇宙船が、通りすがりに援助物資を投下する事は出来る。


 その気になれば人間を送る事も出来れば、いざとなれば宇宙船そのものを送り届ける事も出来るのだ。しかしディストーションエクステンダーDEX装備の宇宙船があっても近くにリープ閘門がないのでは何の意味も無い。


 無用の長物だ。


 リープストリーム以外に人類は超光速で飛行する手段を持たない。


 そうなると在来型ロケットエンジンの宇宙船を利用するしかないが、仮にそれを送り届けて貰っても、十数万年という数字が一桁か二桁変わるに過ぎない。


 なんという事だ。


 ギルは頭を抱えた。まさに絶望的な状態だ。


 そのまま何時間経過したのか分からない。今のギルには時間は無意味な概念だ。しかし肉体はそうもいかない。


 空腹感と喉の渇きを覚えた。寮で適当に食事を済ませたはずだが、何を食べたのかも今は覚えていない。もしかしたら、いや確実にあれが最後のまともな食事だったのだろう。


 ギルは操縦席の後ろにある倉庫へ行き、ついでに水と食糧の積載量を確認した。水のボトルを手に戻ってくると、操縦席で酸素と燃料、そしてサバイバル設備を確認する。


 搭乗者はギル一人。


 一人なら、節約すれば食糧は十年ほど持つ。水はリサイクルされるのでほぼ問題ない。酸素も同様。推進剤には限りが有るが、電力などを供給する小型反応炉カシミールエンジンはメンテナンスさえしっかりしていれば百年は使えるはずだ。


 さらに緊急用の低代謝睡眠ポッドも搭載されていた。これなら食糧や反応炉の消費を抑える事が可能だ。


 冷凍睡眠ほど確実ではないが、これを使えば三十年ばかりは眠ってすごす事が出来る。


 そして避難船のメモリーには一生かかっても読み切れない程の本や動画、音楽のデータが収録されている。そしてチェスやカードゲームの相手をしてくれる、様々なタイプのAIもバンドルされていた。


「なるほど、退屈しねえな」


 ギルは笑った。操縦席についてもギルは笑い続けた。


 そうだ、ここにいるのは俺一人だ。


 俺一人の王国だ。もう誰も邪魔は出来ない。邪魔はさせない。


「わははははははは!!」


 腹の底から笑ったのはいつ以来だろうか。


 こんなに楽しい事はない。もう誰も俺に手を出す事が出来ないからだ。


 ギルは笑いながら、操縦席で大きく伸びをした。


 さて、なにをしようか。慌てる事は無い。時間はたっぷりとあるのだ。

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