記念樹

増田朋美

記念樹

落葉松の秋の雨に私の手が、濡れる。

落葉松の夜の雨に私の心が、濡れる(歌曲落葉松より引用)

その日も夏らしくて、暑い日であった。相変わらず、いつまでも暑いねえとみんな同じことを言っていたのであるが、まあ、頭の中にしまい込んで置くだけでは、我慢できないから、そういうことも言うのだろう。言わないでおかしくなるより、口にだって言ってしまったほうが、まだいいのかなと思われることもある。というか、人間、口に出して言わなければ何も変わらないという民族もあれば、黙っている方が美徳だと考える民族もいる。どっちを取るかは、結局民族性とか、そういうものではなく、個人の意識に関わっているのだと思う。

「おーい蘭。今日も買い物行こうぜ。ボケっとしてないでさ。午後は暑くなるから、早く行こう。」

杉ちゃんが、蘭の家の玄関口で、そういったのだが返事がなかった。

「どうしたんだよ。今日は一緒に買物行くって、言っていたじゃないかよ。」

もう一回言ってみるが、それでも返事がない。

「返事がないってことは、何かあったな。それならちょっと入らせてもらうよ。」

杉ちゃんという人は、どんどん蘭の家の中に入ってしまった。こういう人の家にどんどん入ってきてしまうのも、杉ちゃんならではと言える。杉ちゃんが、蘭の家に入ってみると、蘭は、居間にいて、テレビとにらめっこしていた。テレビは、電源こそ入っていたが、映像が何も映っていない、砂嵐状態であった。

「どうしたんだよ。なんかテレビとトラブルがあったの?」

このときばかりは、いつも勝手に入ってしまう杉ちゃんのことを、蘭は責めることはしなかった。蘭は、困った顔をして、

「いやあ、テレビが今朝から映らなくなってしまってね。電源は入るけれど、この通り砂嵐。天気予報もニュースも見られなくなってしまった。」

と、杉ちゃんに言った。

「はあそうか。ほんなら、直ぐに業者を読んで見てもらったらどうだ?」

杉ちゃんの答えは、とても単純である。

「テレビが故障したんだから、直してもらうのが当たり前じゃないか。すぐに、業者を呼んで、映るようにしてもらえばいいじゃないか。」

「そうだけど、テレビは、今年の正月に買い替えたばかりなんだよ。まだ、半年しか経っていないのに、もうこんなふうに壊れてしまうのかな。最近の家電は二年か三年持てば上出来って言うけど、半年であっけなく壊れてしまうとは。」

蘭は、悔しそうな顔をしている。

「まあまあ、そんなヘんな屁理屈言わないで、さ、早く、テレビを直してもらってよ。買い替えたばかりとか、そういう屁理屈を言う前に、テレビをなんとかしてもらうのが先でしょ。そんな屁理屈言ったってさ、テレビが直るわけじゃないじゃない。」

「そうなんだけど、、、。まあ、杉ちゃんには、いくら言っても通じないか。よし、じゃあ、業者さんを探して、テレビを見てもらおうか。」

蘭は、杉ちゃんに言われて、仕方なく自宅の固定電話から、テレビを専門に修理をしている業者に電話した。最近はインターネットで、業者をすぐに見つけられるから、それは、嬉しい時代なのかもしれない。腕前だって、口コミサイトを見ればわかる。とりあえず、評判のいい業者をすぐに見つけ出して、すぐに電話をかけることができた。業者さんは、ちょうど、暇だったようで、すぐにお宅へ伺いましょうと言ってくれた。

数分後。業者さんがやってきてくれて、すぐにテレビの状態を見てくれた。テレビだけでは判断できないというので、テレビの配線なども確認したが、何も、異常はなさそうだ。だったら、どうしてテレビが映らないんだと杉ちゃんが言うと、ちょっと屋根のアンテナを見てみましょうと業者さんは言った。二人とも暑い外へ出て、業者さんが、アンテナを確認しているのを眺めていた。業者さんは、蘭の家のアンテナに、大きな木の枝が引っかかっているのを見つけた。

「ああ、あの木が原因ですよ。あの木の枝が、アンテナに引っかかっているんです。それで、テレビが、映らなかったのだと思います。この木の枝は、どこから来ているんでしょうか?これは、落葉松の枝ですね。お宅に落葉松の木がありましたら、すぐに剪定を頼むとか、そういうことをしてくれれば大丈夫ですよ。」

と、業者さんは言った。健康な人であれば、簡単に見つけられる原因なのかもしれないが、蘭や、杉ちゃんのような歩けない人物には、業者をたのまないと行けないことでもあった。

「ほんなら、その木の枝をとればいいわけ?」

杉ちゃんがすぐ言うと、

「はい。そうです。単純な故障ですよ。それでも映らないようであれば、また原因を調査しますから、またご連絡をください。」

と、業者さんは、業者さんらしく言った。そして次の家に行かなければならないので、すぐに、かえっていってしまった。

「おかしいなあ。うちに落葉松なんて植えた覚えはないよ。」

と、蘭は腕組みをする。

「でも枝は、落葉松の枝で間違いないんでしょう?それなら、落葉松を植えた人に撤去してもらうように、頼むんだなあ。」

杉ちゃんが言うと、蘭はそうだねえとため息を着いた。

「落葉松ねえ。そもそも、こんな田舎町に、そんなおしゃれな木を植える人がいるのかなあ。普通の松の木なら植える人はいるかも知れないけどさあ。落葉松なんて、植えるんだろうか?」

蘭が考えていると、隣の家からピアノの音が聞こえてきた。その音を聞いて杉ちゃんが、

「お、落葉松だぜ。」

杉ちゃんが言う。確かに、演奏されている曲は、小林秀雄という作曲家が描いた、落葉松という歌曲であった。合唱をやっている人であれば、歌ったことがあるという人気のある曲である。

「はあ、これが落葉松という曲か。それでは、このうちが落葉松を植えたということだな。隣の家の人が落葉松を植えて、その枝が、僕の家のテレビのアンテナに引っかかったんだな。これはいい近所迷惑だ。よし、すぐに文句を言いに行こう。」

と蘭は、すぐに、隣の「川口」という表札がある大きな家に向かって車椅子を動かし始めた。杉ちゃんも、それに着いていった。

蘭は、その川口と表札がある家のインターフォンを押す。すぐに、はいはいちょっとお待ち下さいと言って、この家の主人と思われる中年の男性が出てきた。

「あの、お宅の左隣の伊能と申しますが、大変失礼なことをお聞きしますけど、先日、落葉松の木を植えなかったでしょうか?」

蘭は、その男性に聞いてみる。

「はい。確かに、落葉松を植えましたが、それをどうして知っているんです?」

そう言われて蘭は、

「ええ、実は、お宅の落葉松の枝のせいで、うちのテレビが映らなくなりましたので、どうでしょう、枝を切っていただかないわけにはいかないでしょうか?」

と、言った。川口さんは、はあ何のことですかな?という顔をしているので、

「だからあ、お前さんの家の落葉松の木の枝が、蘭の家のテレビのアンテナに引っかかって、テレビが映らなくなっちまったんだよ。だから、落葉松の枝を取ってくれないかなと、お願いをしているんだ。」

と、杉ちゃんがきっぱりと言った。そういうところが杉ちゃんのすごいところで、社交辞令とか使わないでも、すぐに答えを出してしまうことができるのである。

「そうですかそうですか。申し訳ありません。あの落葉松は、娘が勝手に植えたもので、それがお隣にご迷惑をかけてしまっているのであれば、すぐに切り倒させます。本当にすみませんでした。すぐに、植木屋を手配しますから。ちょっとお待ち下さい。」

と、川口さんは、すぐにスマートフォンを出して、電話を始めた。どうやら行きつけの植木屋さんがあるらしい。なんだか、その話を聞いていると、植木屋さんは、すぐには来られないそうだ。

「申し訳ありません。植木屋がただいま用事が立て込んでいるようでして、一週間したら来てくれるそうです。申し訳ありませんが、一週間待ってください。お礼は必ずします。」

と、川口さんは、申し訳無さそうに蘭に頭を下げる。

「そうですか。しかたありませんね。それでは、一週間テレビが見られないのかあ。それでは、ちょっと不便な生活になるなあ。まあ、でも、仕方ないな。テレビは、必要なものですから、なるべく早く、植木屋さんに来てもらってくださいよ。」

杉ちゃんが言うと、

「はい。わかりました。申し訳ありません。すぐに落葉松を撤去するようにしますので。撤去できましたら、すぐに、お伺いします。」

川口さんは、申し訳なさそうに、杉ちゃんたちに頭を下げた。

「別に撤去してと言っているわけではありません。僕の家のアンテナに引っかかっているところだけ取ってくれればいいだけです。まさか落葉松を切り倒してしまうなんて。」

蘭は、そういうのだが、

「馬鹿だねえ蘭は。どうせ、何年かすれば、枝がまたのびてきて、またテレビが映らなくなるんだぞ。落葉松ってのは、成長が早い植物なんだから。あの落葉松のうたみたいに、のんびりしているような木じゃないんだよ。」

と、杉ちゃんは、すぐに言った。

「そうですよそうですよ。影山さんの言うとおりです。それに、落葉松は、他の松に比べるとあまり強い木ではないとも聞きますし、松くい虫を塞ぐのにも合理的だ。それでは、すぐに撤去いたします。もう少しお待ち下さい。」

川口さんに言われて、蘭は、はあとだけ言ってしまった。

「じゃあ、早く蘭の家のテレビが映るようにしてね。頼んだぜ。」

杉ちゃんに言われて、川口さんは、はいといった。二人は、よろしくおねがいしますと言って、川口さんの家を出た。

「まあ、これで良かったじゃないの。一週間待たなきゃならないけど、一応テレビが映るということになったんだから、それを喜べや。」

とりあえず蘭の家に戻って、杉ちゃんがお茶をがぶ飲みしながらそういうが、

「どうもおかしいよな。なんか、僕たちに、木の枝を切ってと言われるのを、待っていたような節がある、言い方じゃないか。」

と、蘭は言った。

「もう、どっかの登場人物じゃないんだぞ。細かいことは気にしないの。それより、テレビが映って、天気予報とかニュースが見られることを、喜ぼう。」

杉ちゃんがそう言うが、蘭は、なんだか腑に落ちないところがあった。なぜ、川口さんは、あの木を倒してくれと苦情が出るのを待っていたような感じだったのだろう、、。?

その翌日。蘭は、用事から帰ってきて、玄関のドアを開けようとすると、蘭の家のアンテナをじっと見つめている女性がいたのでびっくりする。

「あの、うちの家の屋根に、なにかありましたか?」

と、蘭は彼女に聞いてみる。

「あの!」

蘭がちょっと語勢を強くして言うと、

「ああ、申し訳ありません。いよいよ、この落葉松の木も切り倒されてしまうんだなと思うと、感慨深いものがありまして。」

と、彼女は言った。

「それは、どういうことでしょうか?」

蘭は、彼女に聞いてみる。

「なにか、わけがあったんですか?」

「いいえ、だってお隣の家のテレビが映らなくなってしまっては、いい迷惑ですよね。それは、やっぱりいけないことですし。すぐに切り倒さなければいけないことだって、わかっています。だから、この木を忘れないようにしておきたいなと思いまして。」

「そうですか。どんな訳があったんでしょう?」

彼女がそういうのを見て、蘭は聞いてみることにした。

「もしよかったら、話していただけませんか?話してくれれば、少し楽になるかもしれませんし。」

「ええ。」

と、彼女は話し始めた。

「もともと、この落葉松の木は、妹が生まれた記念に植えたものだったんです。と言ってもわけがあってこの家にはいられなくなってしまったんですけど。父や母は、もう正気に戻ることは無いから、もう帰ってくることは無いって言ってますし、若い頃はさんざん大暴れしたりもしたので、もうひどい目にあったから、妹を捨てたいと思っているみたいで。それで、もうあの木を切り倒してしまいたいと思ったんだと思うんです。だけど私は、妹に、服をあげたり、勉強を教えたり、そんな思い出がまだ残っていて。この落葉松を切り倒してしまうのは、なんか、名残惜しい気がしまして。」

「そうだったんですか。なんだか、そういうことと、僕がテレビを見られなくなってしまったこととは、全然わけが違いますね。」

蘭は、彼女に言った。

「いえいえ、そんなことありません!テレビが見られなくなってしまったのは、大きな痛手でしょうし、うちにある落葉松の木が迷惑をかけているのであれば、切り倒してしまっても結構ですよ。だって、お隣の方に迷惑をかけてしまっているなんて、申し訳なさすぎますよ。」

女性はそういうのであるが、蘭は、落葉松の木を切り倒してくれと言ってしまった自分が、いけないことをしたと思った。

「そうですが、そんな思い入れのある木でしたら、残しておいたほうがいいでしょう。それは記念樹ではないですか。僕の都合で切り倒してしまうなんて。」

「いいえ、もういいんです。妹が正常な判断ができて、一緒に笑える日はもう無いと思います。それで、もういいと思わなきゃ。それに妹は、この世の中にいてはいけないことをしましたから。」

と女性が言うのだから、多分、妹さんは犯罪者になってしまったのかなと蘭は思った。

「今、妹さんはどうされているんですか?」

とりあえずそれだけ聞いてみる。

「ええ、今病院に収監されてます。なんだか、自分がどこの誰なのかもわからないくらい、中毒が進行していたようです。それでは、こっちの世界に戻ってきたって、何もできないですよね。それなら、もう切り倒してしまったほうがいいです。」

ということは、ビリー・ホリデイみたいに、薬物に走ってしまったのだろう。

「そうですか。でも、妹さんとの思い出を覚えていられるってことは、すごいことですよ。」

「あの、植木屋さんはちゃんと来てくれますから、もう少しだけ我慢していてくださいね。テレビが見られないのは、不自由ではあると思いますけど。本当に今回は申し訳ないことをしました。」

女性は、軽く頭を下げて、自宅の中に入った。蘭も汗を拭きながら、家の中に入った。それから、数分後、またインターフォンが五回なった。誰だろうと思ったら、杉ちゃんだった。

「どうしたんだよ蘭。なんか、また考え事しているようだけど?」

「いやあねえ。考えてみれば、テレビの修理はしなくてもいいんだよな。」

蘭は、杉ちゃんに言われて、先程の女性とのやり取りを、杉ちゃんに話した。杉ちゃんは、なにも変わらなかった。

「はあ、そんな事聞いて何になるのさ。いくら、妹さんのことが可哀想だと言っても、犯罪者には変わりないじゃないか。それに蘭はテレビの無い生活をこれからも続けていくつもりかい?そんな苦痛な生活、三日坊主で終わっちまうと思うよ。」

「苦痛ねえ。でも隣の部屋の妹さんの気持ちを考えてあげれば、帰ってきたとき、落葉松が迎えてくれたんだっていう気持ちがあるだけでも、更生に役立つと思うんだがな。」

蘭は、なんだか、変なことをいい始めた。

「馬鹿。そのせいで、テレビが見られなくなるんだぜ。誰かのために、自分のことを我慢するって、できそうだけど、できることじゃないよ。それに、一週間後に植木屋が来てくれるんでしょう?それを喜ばなきゃさ。」

「そうだねえ。」

杉ちゃんにそう言われて蘭は、また考え込んでしまった。あのお姉さんの話を聞いて、なんとか松の木を切り倒さないでほしいなと思ったのだが、テレビはどうしても、日常生活で必要なものでもある。

「まあ、綺麗事より、自分たちで生活していくことを考えなくちゃダメだよ。」

「そうだねえ。」

と杉ちゃんに言われて、蘭は、生返事しかできないのだった。

一週間後、隣の家に、植木屋がやってきた。予定通り落葉松の木はチェーンソーで切り倒され、蘭の家のアンテナに引っかかっていた枝もきれいに取り払われる作業が開始された。蘭が、部屋の外へ出てみると、先日あった女性が、その落葉松の木が倒されるのを、眺めていた。

「あの。」

蘭は、彼女に声をかける。

「本当にすみません。僕が、こんな事言ったせいで、妹さんの大事な記念樹が、倒されてしまうなんて事になってしまって。」

蘭は、彼女に頭を下げてしまった。

「いいえ、いいんです。私達も、蘭さんの生活が成り立たないと困ることは、よく知っていますから。」

という彼女に、

「妹さんはまだ、病院にいるのですか?」

と蘭は尋ねた。

「ええ。まだ、回復していないので、もうしばらく、病院にいることになりそうです。でも、いずれは帰ってくるでしょうね。そのときに、落葉松の木がなくなっていたら、妹は悲しむと思いますけどでも、やったことがやっただけに、仕方ないことですよね。私は、これからも、妹のことを、ずっと、優しくしてあげようと思っていますが、父と母は、もうそのきが無いみたいで。」

そういう彼女に蘭は、本当に申し訳ないと思って、こう提案してみることにした。

「よろしければ、松を彫って差し上げましょうか。腕でも背中でも、どこでも構わないです。あなたが希望すればの話ですけど、妹さんの記念樹はなくなったけど、あなたが代わりに持っているということにしてあげれば、妹さんも少しは、安心するのではないでしょうか?」

「本当にいいんですか?」

そういう彼女に、蘭は、にこやかに笑って、

「ええ、職務ですからね。」

と、言った。

「そういうことなら、お願いしようかな。妹は、きっと帰ってくるはずですし、そのときに、記念樹の落葉松がなくなっていたら、本当に悲しむと思うし。それを私が、体に絵として残すことで、また自分は愛されているというきっかけになるかもしれないですしね。私も、妹のためになにかしてあげたい気持ちは持っています。」

女性は、静かな口調でそういった。宣言するような口調でなくても、ちゃんと彼女は、気持ちを持っているんだと言うことがわかった蘭は、

「では、ちょっとこちらにいらしてください。」

と言って、彼女を、仕事場へ招き入れた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

記念樹 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る